編集済
読み手を試すかのようなお話で(全然違ったらすみません)、アホな私には解釈の難しい作品でした。なんだか以前テレビで見た「地球へ…」のアニメを思い出します。
スピリチュアルやオカルトVS 知識人のような気もしますし、集団心理 VS マイノリティの歴史のようにも感じます。隠れキリシタンへの迫害のような。
物語の最初の語り手は、テレパスによるプライバシーの侵害と、多くの人々が現実社会から離脱・剥離されることを恐れたのでしょうか。
あまり詳しくないのですが、イエスキリストは教えを説いて回った人ですが、キリスト自身も弟子たちも処刑されて、一見愛や神の世界とは程遠い悲惨な最期を遂げたように見えます。しかし彼らは現世ではない神の世界を見たことで、現世からは計り知れないほど幸せだったのかもしれません。
法悦と失禁を衆目にさらしてまもなく故人となった番組司会者は不幸だったのでしょうか……。テレパスは何か悪いことをしたのでしょうか……。
「恐竜の気持ちがよく分かる」がじわっときました。地上から滅び去った繋がりの信徒たちの魂に幸あることを願います。
長文失礼しました。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。『地球へ…』、アニメは見てませんけど、漫画は読みました。迫害される特異な者たちというのは、SFの王道テーマでもありますね。
隠れキリシタンへの迫害というのは、たしかに近いイメージかもしれませんね。イエスと弟子たちが幸せだったかどうかは、解釈の分かれるところでしょうし、決められることではないのかもしれません。でも、正しさに殉じていると、こころの底から信じられた瞬間があるなら、その瞬間は幸せだったのではないでしょうか。
存在しているだけで有害だと断じられるのは、哀しいことだと思います。死後であれなんであれ、なんらかの救いがあることを願います。
丁寧な感想をいただけて、とても嬉しいです。ありがとうございました。
編集済
読み始めは、日本SF大賞を取った神林長平の『言壺』の世界観を強く感じたんですが、テレパスのくだりが出てきてからは、一種のウィルスによるパンデミックを連想しました。
視える言葉(メール)よりも、視えない言葉(思念)の方が恐怖を煽りますからね。ウイルスみたいに、知らず体内を侵蝕していくイメージがあります。
私はケータイもスマホも持ったことないんですが、常になにかと繋がってる状態がものすごく厭なんですよ(苦笑)。
ビートたけしは昔、報道番組で「繋がってる」のではなく、ケータイを端末に見立てて「操られてる」って表現してました。
作者からの返信
神林長平は、『言壺』は未読なんですよね。『完璧な涙』や『小指の先の天使』は好きなんですが。
つながるのが苦手というのはわかる気がします。人間は道具を使っているのではなく、使われているとはよく言いますね。
とりとめのない返信になってしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。
読んだ。
ちゃんと、しっかりSFだった。
>大衆というのは定期的に同じ踊りを繰り返すようである
ここの言い回しが好き!
koumotoさんの、読めてよかった。滅びとか、死に対して親和性が高いものを書くなぁとしみじみと思った。
ありがとうだけでも伝えたかったの。koumotoさんの作品、好き。
ありがとうございます。
作者からの返信
SFと言っていただけて嬉しいです。SFとミステリは、読むのは大好きなのに、書ける自信はあまりないので……。
物語を書くとどうしても死の方向に向かってしまいます。
こちらこそ、励まされるコメントをいただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。
神辺さん、読んでくださってありがとうございます。
つながりたい、というのは人の根源的な願いのように思います。けれどつながりを確信した時、それは呪いのように私達を縛ることもあるのでしょうか。
つながりたくて、言葉を紡ぐ。手探りで重ね合わせる言葉が、新たな扉を開く。
最後の彼らのささやきが、沁みました。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。他人とつながりたいという願望は、人を動かす原動力にもなりますし、不運な罠にもなりますね。電話やネットの発達も、テレパシーに近いものかもしれませんが、言葉こそが、いまのところもっとも強靭な伝達方法なのかもしれません。数百年前に死んだ人の言葉にこころを動かされたりすると、不思議な気分になります。ありがとうございました。