(4)涙姫とお茶会


 空はなんとか雨の雫を抱え込んでくれたようだ。

 薄明かりの白い空の下、初夏の花々に囲まれた可愛らしいテーブルセットに、そんな美しい中庭がとてもよく似合う可愛らしいフローラ姫が侍女数人に囲まれて座っていた。


 毎回ながら、顔を合わせた瞬間にぽろぽろ泣き出すのはなんとかならないものかと思ってしまう。だって嬉しいんですもの、が本人の言葉だ。

 それだけでなく、花が綺麗とか、小鳥が可愛いとか、何を見てもぽろぽろ涙をこぼす。涙姫の名は伊達ではなかった。


 香りの良いお茶を飲み、小さくて驚くほど美味しいお菓子を食べながら、そんなフローラ姫のお話を聞く。最初は緊張疲れをしたものだが、回数を重ねるうちにリームも慣れてきていた。


「それにしても、リーム。ちょっと元気がないんじゃないかしら? 何か心配事でもあるの……? うううっ、かわいそうに……っ」

「想像で泣かないでください、フローラ様。別に心配事なんて……」


 ないです、と言おうとして、一瞬ためらい、リームはお茶を一口飲んでから続けた。


「……フローラ様は、ティナのこと、何か聞いてますか? その……例えば、王妃様からとか」


 フローラ姫は侍女から受け取ったハンカチで目元を押さえつつ、ちょっと小首をかしげた。30近い年齢とは思えないほど可愛らしい。私も金髪で色白だったら良かったのにな、とリームは思ってしまった。


「そうね、リームも聞いているかもしれないけど、ファラミアル様とエイゼル様が駆け落ち状態で森に立てこもっていた頃、エイゼル様を連れ戻せる風従者を募集したそうでね。その中にティナさんとそのお仲間さんたちがいらっしゃったらしいの」


「えっ、そうなんですか!? 初めて聞きました……王様と王妃様の逸話って作り話がほとんどだと思ってましたけど、本当にあったことなんですね……」


 黒竜と王子の種族を超えた恋物語。数多の吟遊詩人が歌い、戯曲が演じられ、物語が著され――クロムベルク王国だけでなく、世界中で知られる『生きたお伽噺』だ。


 風従者とは、『旅する何でも屋』とでもいうような存在で、大抵は魔法士や精霊使いとそれを護衛する戦士という組み合わせが多い。

 ティナが以前風従者をやっていたという話は少し聞いたことがあった。しかし、王妃様と国王様に関わったという話は初耳だ。


「結局、説得されたのはエイゼル様ではなくて、先王だったそうよ。おかげで今のクロムベルクがあるのだから、ティナさんやその時の風従者の皆さんの功績は大きいわね……うううっ、感動的っ……」

「んーと……ティナって……竜族なんですか?」


 竜族だから黒竜であるファラミアル様に味方した、と、そういうことなのではないだろうか。しかしフローラ姫は、惚れ惚れするほど可愛らしく小首をかしげて言った。


「あら、そうなの……? 私は人間だとばかり思っていたけれど。確かにファラミアル様とエイゼル様のご結婚は18年前だから、普通に考えるとティナさんの年齢はおかしいわね」


 どう見ても本来の年齢より10歳以上若く見えるフローラ姫が言ってもあまり説得力がなかったが、確かにそのころ風従者をやっていたならティナは今少なくとも30代半ばのはずだ。


「フローラ様は……ティナが竜族だとしたら、一緒に居るのは危ないと思いますか?」

「あぶない? 何故かしら。この国は王妃様に守護されているのよ」

「……ですよねぇ」


 こと『黒竜に守護された国』クロムベルクにおいて、竜を敬う者は多くても恐れる者は少ない。その力に畏敬の念は抱くが、その力は国を守り、正しいことにふるわれるのだと心から信じているのだ。


 やっぱりロデウォードはフローラ姫が心配してるなんて嘘言ってたんだな。リームは老魔法士に対する心の中の信用ランクをぐぐっと引き下げた。


「でも、ティナさんが竜族だとしたら、隠したくなるのも当然かもしれないわね。今でこそ王妃様のおかげで竜族のイメージは良いけれど、18年前はそれはもう大騒ぎだったもの。王子が黒竜に食べらた~だなんて言われてたのよ。そうそう、私はそのころちょうどリームと同じくらいの年齢ね……うううっ、リーム、こんなに大きくなって……嬉しいわっ」

「な、泣かないでくださいってばっ」


 リームはちょっと赤面しながら、もじもじと指をくんだりほどいたりした。若くて可愛らしいフローラ姫が母親然としたことを言うのは似合わなさすぎて、恥ずかしくなってしまうのだ。きっとそうだ。


「奥方様、そろそろお時間でございます」

「まぁ、もうそんな時間なの……うううっ、もうちょっと一緒にお話したかったけど、残念だわ……また遊びにきてちょうだいねっ……」


 涙をハンカチでふきながら言うフローラ姫に、リームは子供をなだめるかのような笑顔でハイと答えるしかなかった。





 いつもはお茶会が終わる頃に迎えに来てくれるティナ。今日は果たしてちゃんと来てくれるのか心配だったが、いつもの時間通りにティナは現れた。ただし、小脇には例の本をかかえている。


「今日のお茶会は楽しかった?」

「お茶会は別に普通でした。けど、到着したのがいつもと違う場所で大変だったんですよ」

「あー、そうなんだ。ごめんごめん。帰りは気をつけるから」


 そうして本を開き、呪文を唱え始めるティナ。間近からじーっと目を凝らしてつま先から頭のてっぺんまで見てみたが、人間以外にはまったく見えない。


「……王妃様みたいに、空を飛んで帰らないんですか?」

 ぼそっとつぶやいてみた。


「え? 空飛んで帰りたいの? まぁ、この規模のお城なら空船ぐらいあるんじゃない? 貸してもらう?」

「ううん、そういう意味じゃなくて……別にいいんですけど」


 はぐらかしているというよりは本気でそう思っているように見えて、ティナってたまに鈍いよなぁとリームは思う。それともティナが竜族だという仮定が間違いなのだろうか。


 薄紫色の光につつまれながら、リームはなんとなくティナの服の裾をきゅっとにぎった。

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