第7話

 瀬川と私がそれを知ったのは、三井という女子生徒の告白によってだった。中嶋が弓道場を出てから、三十分くらい経過したころだっただろうか。弓道場の端で生徒の練習を見守っていた瀬川に、意を決したように話し始めたのだ。三井は恐らく、一人だけ抜け駆けをした中嶋を快く思っていなかったのだろう。女子生徒の結束は固く、普通であれば友達を庇うくらい雑作もないのだろうが、この時ばかりは三井も腹に据えかねたらしい。

 三井の告白により、中嶋の行動は白日の下に曝されることになった。瀬川の呼び出しに対して、中嶋は病気を理由に断ろうとしていたようだが、瀬川がすべてお見通しと分かると、最終的にはその呼び出しを受け入れた。


 学校に戻った中嶋は、反省をしているという感じではなかった。不貞腐れ、機嫌が悪かった。若さというのは、健やかさと危うさの両方を兼ね備えた、もろくも鋭い刀だ。使い方を間違えれば自分も他人も簡単に傷つけてしまう。その時の中嶋は二年生で、その刃を大人への階段を素早く昇る危険な道具として使っていたようだった。

 瀬川と並んで学校の会議室の椅子に座り、正面に中嶋を座らせた。夕日が会議室の窓から鋭く差し込み、中嶋の顔を照らしていた。中嶋は斜陽と瀬川の視線から逃れるように俯き加減だった。瀬川は中嶋の両親に連絡を取らなかった。それは瀬川のせめてもの優しさだった。しかし中嶋はその優しさにつけ込み、尊大な態度を取っていた。


「あなた、自分が何をしたのか分かっているの」瀬川はそう切り出した。「自分の身勝手な行いで部員にどれだけの迷惑がかかるのか考えたの」

「なに、偉そうに。私が部活をさぼったって、一体誰が困るって言うわけ? ばかじゃないの」

 私の知る中嶋は、こんな乱暴な言葉を使う生徒ではなかった。私の前ではいつも笑顔だった。歯を見せて笑う姿に初々しさを感じていた。

 しばらくは、瀬川と中嶋の言葉の応酬が続いた。私には正直ついていけないスラングがたくさん飛び交った。教師が生徒に対してそんなよく分からない言葉を使っていいものかと、私一人が焦っておろおろしていた。


「ねえ、サラはどう思う?」中嶋が突然、私のファーストネームを言うので驚いた。ひと回りも違う少女に呼び捨てにされることに違和感を感じた。私は自分でも知らない間に日本の長幼の序というものを身に付けていたのだろう。

「中嶋さんは、どうして弓道をやっているのですか」私は率直に質問をした。中嶋は前日も普段通り練習をしていた。実力もそれなりにあったし、リーダーシップもあった。二年生の中では中心的な存在と言っても良かった。ひたむきに的に向かう彼女の姿に、疾しさや浅ましさはなかった、はずだった。それだけにその日の彼女の言葉や振る舞いに疑問を覚えていた。

「どうしてって、そんなの」中嶋は言い淀んだ。「そんなこと、今は関係ないでしょ」


「いいえ。関係あります」私は断言した。「でも、今のあなたには、その理由が分からないでしょう。どうして自分が毎日弓道場で弓を引いているのか、暑い時も寒い時も、休まずにあの場所に立って的と自分との距離を計っていたのか。そのことを、ゆっくりと考えてきてください」

 私は中嶋を信じていた。きっと、初めて弓を引いた時の緊張感や、初めて的に中った時の爽快感を忘れてしまったのだろう、と。もちろん、そんなドラマのような展開を私が期待していたのではない。それでも、私は信じた。




 中嶋が職員室を訪れたのは三日後のことだった。その間、中嶋は部活動に顔を出すことはなかった。瀬川はずっと不機嫌だったが、私は瀬川を宥めた。私は不安で仕方がなかったが、啖呵を切った手前そのような心境を瀬川に吐露するわけにもいかず、悶々と数日を過ごしていた。だから中嶋が弓道具を肩から下げて職員室に入ってきた時、図らずも心の中で拳を突き上げた。日本ではその仕草をガッツポーズというらしい。

 中嶋は瀬川と私の座る席の近くまで来ると、荷物を下に置いて、深く頭を下げた。

「先生。すいませんでした。この間は生意気なことを言って、ごめんなさい」顔を上げた中嶋は、目に涙を浮かべていた。


 瀬川はしばらく無言のまま、腕組みをして考える仕草をした。そして、体をすっと起こすと、中嶋を正面から見据えて言った。

「今日から一週間、練習の後の片付けはあなたがやりなさい。中嶋、次はないからね」瀬川は、腕組みの姿勢を崩さなかったが、口調は穏やかだった。「サラにも、ちゃんと謝りなさい」

「サラ先生、騙したりしてすいませんでした。私がどうして弓道をしているのか、実はまだよく分からないんだけど、でも、弓道をしたくてうずうずしている私がいるんです。あの場所に立てば、それも分かる気がします」

「そうですね。今日が第二のスタートラインです。一緒に頑張りましょう」私は小さくガッツポーズを作った。中嶋は笑顔になった。やはり、この子には笑顔が一番良く似合うと思った。


 中嶋が出ていった後、瀬川は椅子の背もたれに体を預け、大きく息を吐いた。

「ああ、緊張した。生徒を叱って、でも前を向かせるのって難しいな。サラはすごいね、この間もそうだったけど、あの子をあそこまで掌握できるだなんて」

「掌握だなんて、大げさです。私はただ、中嶋さんを信じていただけですよ」

「それができれば、先生なんかやってないって」瀬川はまた教師の道を外れる発言をした。

「まあまあ、この件は私の顔に免じて、刀を鞘に納めてくださいよ」

「サラは、そんな言い回しをどこで勉強したの」

「さあ、どこでしょうね。分かりません」


「あの子にあんなことを言っていたのに。分からないとか言っちゃだめだよ」瀬川は気が抜けたのか、だらっと体を椅子に預けたまま、顔だけを私の方に向けてきた。その姿こそ、生徒に見せるべきでないと思うが、それは言わないでおこうと思った。

「そうですね。だからこれは内緒にしていてください」私は口の前で人差し指を立てた。しーっと息を出す。私としても、どうしてあの場所で、弓道と中嶋の関係性に口を出したのか分からなかった。もしかしたら、弓道を通じて、私も知らず知らずのうちに自分を見つめ直していたのかもしれない。


 いや、それは違う。私は自分を見ていたのではなかった。的をじっと睨んでいる時はいつも、あの五十嵐のことを考えていたのだから。

 私の仕草に、呆れたと言って、瀬川は立ち上がった。「さあて、部活だよ。サラ。今日は特別に、私がつきっきりで指導をしてあげる。覚悟しておきなさいよ」

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