煌めく杯にむすばれて
赤だしお味噌
プロローグ
太陽
子供がひとり、柱の陰から
はるか昔に“流れ去った”
鼓膜をつんざく激突音に身がすくみ、鋭い
やがて子供の視線の先で、両陣営が動きを止めて睨み合う。
争っている一方の勢力は巨人の騎士達だった。
一人目は大柄な巨人。二人目は比較的小柄な巨人。そして最後の三人目は見たこともない獣に
ただならぬ気配を放射する彼らの兵装は、全て紛れもない
大柄な巨人が振り回す
小柄な巨人が両手に構える二枚の
騎兵の長大な槍は
全員が
しかし、そんな輝かしい
――狂っているのだ。子供はその目を知っている。嫌というほどに。
彼らはかつての
気が
いかなる
かの巨人の騎士達は
だが、あの男は何者か。
雪のように白い髪を腰まで伸ばし、巨人達のよどんだ黒い瞳とは対照的に、生気に満ちた赤い瞳の男だ。
男の
男は
不意に、男が弾かれたようにまっすぐ巨人の陣形に飛び込んだ。一本の放たれた矢になって正面の小柄な巨人の
それが合図となって、再び息の詰まる戦いが始まった。
男の跳び蹴りを受けて体勢を崩した盾の巨人。それをフォローして騎兵が槍を構えて横脇から男に
その
あえなく
大柄な巨人がよろめいた。そこに男が間髪を容れず
無防備になった大柄な巨人へ男が一歩前に出た瞬間、どこからか
男は大きく後ろに跳んでそのひと振りを
男はその隙を見逃さなかった。着地と同時に片脚を振りかぶって頭上の空気を蹴飛ばすと、一瞬、その足先から不可視の力が放たれて見えた。その直後、最前面に
その一撃を身体を揺らして踏ん張った小柄な巨人の陰で、逆の手に構えた
この反撃に、追撃のために駆けていた男が僅かに動揺を見せたものの、男は突進を止めずに両腕を交差させて正面で応じた。鋭い軌道で飛翔する円盾と、男の腕の防具が衝突し、耳障りな異音を立てて派手に火の粉が散った。男が盾の衝撃に押されてその場で足を止めると、円盾は鋭い音を立てながら大きく円軌道を描いて小柄な巨人の手元に戻っていった。
それは超越者達の闘争だった。
無双の英傑三人を相手取って、
激闘は絶え間なく続き、大地を揺るがした。
時折、巨人達の見事な連携が男を捉えると、その身体が
父から授かった目は辛うじて彼らの動きを追うことができた。
しかし、子供には男の全てが理解できなかった。
なぜ、あの身体で巨人の
なぜ――なぜ――――
その攻めは吹雪の
ひときわ大きな音が中庭に響き渡った。騎兵とのすれ違いざまに振るわれた男の脚が、際だって荒々しい
その様子を尻目に、男は勢いを殺さず直進して奥の大柄な巨人に肉薄する。迎撃の体勢で待ち構えた大柄な巨人が、手に持った凶悪な金棒を大上段に構えたが、その腕が振り下ろされることはなかった。代わりに、けたたましい破砕音と共に巨人の美しい
追って伝わってきた激しい振動に足元から揺さぶられ、はっとした子供の当惑は氷解した。たちまち顔が火照り、胸元から熱気が立ち上がって、背筋に汗が噴き出した。
――あの男は、巨人の英傑達に
単純にして鮮烈な事実を目の当たりにし、彼らが書物から飛び出してきたような、あるいは自分が英雄譚の中に紛れ込んでしまったような、そんなどこかふわふわとした感覚に陥っていった。
子供は、わずか半日前の、白髪の男との出会いを思い返していた。
子供は両親と共に、この存在し得ない古都にたどり着いた。そして母が去り、父が倒れ、その後も
諦めてはいなかったが、不可能だとも分かっていた。
そんな認知的不協和に囚われて、長い孤独の中であらゆる感情が死に絶えていった。皮肉なことに、感情の喪失は子供の行動から迷いを取り除き、生存を助け、また結果的に苦しみを長引かせた。
そして絶望だけが残った、ある夜のこと。
路地の隅で宙を見つめていた子供の
孤独な自分をあざ笑う夜空を、突如として切り裂いた数え切れない
――時勢の変わり目に、星の恵みが空を切り開いて訪れる。
数々の英雄譚がそう
その夜、子供は勝算のない賭けに出ることを決めた。
準備は周到に進められ、砂粒の可能性で山ほどの効果が得られるように計画した。来る日も来る日も、無人の古都で
嵐が収まった数日後。来たる日の朝。子供が全てに終止符を打つべく古都の細道を歩いていると、遠くから不思議な歌声が聞こえてきた。明るい調子で響くその声に耳を傾けた時、なぜか失われたはずの年相応の感情が唐突に湧き上がり、ためらいと不安に心臓が押し潰されそうになった。
子供がふらついて壁にもたれ、声のする大通りの様子を
男の後ろ姿を見た時、子供は母の面影を見た。
髪の色がよく似ていた。髪の長さもよく似ていた。でも、それだけではなかった。
父から受け継いだ野生の嗅覚が、
母から受け継いだ狩人の勘が、あの男こそが全てに決着をつける唯一の希望なのだと告げていた。
こうして子供は本能に突き動かされて、白髪の男に駆け寄った。
男の長い
子供が追憶の中で男の存在に
あたかも自分の心臓が貫かれたように、全身が大きく跳ねて血の気が引いた。
獣の下敷きとなったはずの騎士が投じた槍が、
希望は
それほどまでに決定的だった。
だが男は倒れなかった。胸を深く貫かれてなお、スパークを振りまく槍を掴み、鋭い犬歯を剥いて凶暴な表情を見せる。
まったく信じられなかった。狩人の経験に照らして間違いなく致命傷に見えた。
『――
それは歌だった。
男の声音に誘われて、地底から穏やかではない何かがせり出してくると、
子供は柱の陰で金縛りにあって身じろぎひとつ出来なくなった。
男の口から
『鬼の
歌の終わりと共に、男の周囲におどろおどろしい
それは星が大地に恵みをもたらす時、天を破って空に引かれる、あの
子供はその雄姿に魅入られ、
男の胸を貫いていた槍が
子供が男の姿を探し求めた時、あの恐ろしげな声音が再び聞こえた。
直後、重い
追って到来した大音響に押されて身体が浮き、後方の壁に叩きつけられると、視界には星が散って呼吸が絞り出された。
それでも子供は中庭の光景から目を離せなかった。
不快な耳鳴りがわんわんと頭の中で反響し、空気を求めて
――
その言葉がすとんと胸に落ちた時、魂の奥底から湧き上がる
子供は男の眼光に太陽を見た。
これが、この子供の長い長い“おとぎ話”のような旅の始まりである。
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