ガライド編「家族」 第5話
それからはエレノアと共に、街外れのあちらこちらを巡った。住民は皆歓迎ムードで、エレノアが友人だと紹介した俺の事も受け入れてくれた。
中には家の中で、寝たきりになっていた者もいた。そんな彼ら彼女らをエレノアは一人一人訪問し、どんな重病人であっても恐れず手を取り励ましの言葉をかけた。
人々を訪問している最中、エレノアはずっと生き生きとしていた。それが彼女の優しさを表しているようで、俺は彼女にますます惹かれていく自分を感じた。
この街外れを最初に見た時、まず浮かんだのは各地にある貧民街だった。弱者が踏みにじられ、悪徳が栄えるそんな場所。
だがここは、それとは全く違う。社会から見捨てられた弱者が、互いに寄り添い力を合わせて生きる場所だ。
もしかしたら、エレノアの存在もこの場所が清らかである一因なのかもしれない。荒んだ心も包み込んで癒してしまいそうな、そんな魅力を彼女は持っている。
温かな人々に囲まれ、心が満たされていくのを感じながら、その日一日は過ぎていった――。
「今日は本当にありがとうございました、ガライドさん」
夕暮れ時。大神殿に近い路地まで来たところで、エレノアが俺を振り返った。
外套は既に、元々エレノアが身に付けていたものに戻してある。誰かがエレノアを手引きしたと、疑われる事はない筈だ。
「礼を言われる程の事はしてないさ。俺の方こそ、充実した時間を過ごさせて貰って感謝している」
「私も今日は、いつもより楽しかったです。きっと――ガライドさんがいてくれたから」
微笑みながら告げられた言葉に、胸が高鳴る。このまま彼女と離れたくない――そう思い始める自分がいる。
だが、それは叶わない事だ。彼女には帰る場所がある。――例えそれが、彼女の望んだ場所でなくとも。
「ガライドさんは、いつまでこの街に?」
エレノアが、俺の目を見つめながら問い掛ける。その目が少し寂しげに見えるのは――そうであって欲しいと願う、俺の願望なのか。
「まだ来たばかりだからな。少なくとも一ヶ月は滞在しようと思っている」
「なら……なら、また私と会ってくれませんか? あの街外れで……」
――ドクン。心臓が、一層大きく高鳴った。
また、会える。会う事が出来る。エレノアに。
「あ……ああ。構わない」
「本当ですか!? 嬉しい……またガライドさんと会えるんですね!」
頷いた俺に、満面の笑顔で答えるエレノア。ああ――ああ、心臓が今にも爆発してしまいそうだ。
「それではまた三日後に。何とか捕まらないで来れるよう、私も頑張ります。絶対に、絶対に来て下さいね。約束ですよ!」
「ああ。約束だ」
「ふふっ。それじゃあ、また!」
零れんばかりの笑顔を浮かべながら、エレノアは駆け出していった。俺はその背が雑踏に紛れるまで、ずっと見送っていた。
「にゃーん」
不意に、足元で鳴き声が聞こえる。見るとそこでは、依頼人に聞いた通りの毛色の、首輪を付けた猫が俺の足で暖を取っていた。
「ははっ……こんな所にいたのか」
手を伸ばし、そっと猫を抱き上げる。猫は嫌がる事なく、すっぽりと俺の腕の中に収まった。
「お前には感謝しないとな。お前のお陰で、エレノアとまた会えた」
「にゃーん」
「さあ、ご主人様のところへ帰ろう。心配して待ってるぞ」
腕の中の猫を一撫でしながら、俺は三日後のエレノアとの再会に思いを馳せた。
「……まだ夜か」
こんな時間に目が覚めるなんて珍しい。そう思い、寝直そうとしたその時。
窓の向こうに、赤い光が見えた。
即座に跳ね起き、窓に駆け寄る。あの方角は――街外れの方だ!
俺は急いで簡単な身支度をすると、宿の外に飛び出した。赤い光は、建物を挟んでも確認出来るほど大きく広がっている。
「くそっ……!」
全力で駆け、一心に街外れを目指す。あれは間違いなく炎の明かり……しかもかなりの規模で燃え盛っている。
脳裏に、街外れの住民達の温かな笑顔が浮かぶ。住民達は――無事なのか!?
長距離の全力疾走に息も切れだした頃、漸く俺は街外れの入口が見える所まで辿り着いた。そこで目にした光景に――思わず、目を疑った。
入口には、先客がいた。一人ではない。大勢の人間がいた。
最初は野次馬かと思ったが、違う。そいつらは全員、僧服を着込んでいた。
「ファレーラ教徒……? 街外れの住民を救助に来たのか?」
希望的観測を口にしてみたが、それにしては様子がおかしい。何故、街外れを取り囲むように立ったまま動こうとしない? そして何故、避難民が誰もいない?
おかしいと言えば、火事の規模だ。入口の向こう側は激しい炎に今も蹂躙されているのに、俺のいるこちら側には何の被害もない。
そこから導き出される結論は――一つ。
「あいつら……やりやがった……っ!」
無意識に噛み締めた奥歯が、ぎしりと軋んだ。奴らは――聖職者として、
奴らは、何度止めようとも街外れに行くエレノアをどうにかしたかった。ファレーラ教の未来を背負わせるべき聖女に、奴らにとって唾棄すべき人間が集う街外れは相応しくないと考えていた。
だがエレノアは見た目はか弱いが、芯の強い女性だ。説得を繰り返したところで、そう簡単に聞き入れようとはしなかっただろう。ならばどうすればいいか?
答えは簡単だ――行くべき場所を
奴らが街外れを取り囲んでいるのは、シールドの聖魔法で炎を街外れの中だけに押し留める為だ。消火の意志を見せようとしないのは、跡形もなく街外れを焼き尽くす為だ。
そして、これだけの火事にもかかわらず誰も避難したり、避難の為に入口に集ったりしていないのは……恐らくは火を放たれた時には、もう……。
奴らは――そう奴らは。自分達の都合だけの為に、本来守るべき弱き者達をこの世から抹殺したのだ……!
握り締めた拳が、ブルブルと震えた。今すぐにでも、集まった僧達を全員殴り飛ばしてやりたかった。
しかしそれは、あまりにも無謀だった。何しろ慌てて出てきた今の俺は、魔法を使う為の杖も、剣すらも持っていない。
恐らくは、不味い場面を見られた口封じとして殺されるのが関の山。それでは全く意味がない。
くそっ……くそっ! 何で肝心な時に、俺は無力なんだ……!
「……そんな……」
不意に聞こえた声に、振り返る。そこには――今一番、この現場を見せたくない人がいた。
「エレノア……」
気付いてすぐに駆け出してきたのだろう、寝間着姿に裸足のままのエレノアは、俺の姿など見えていないようにフラフラと炎に向かっていく。それを俺は、前に回って慌てて抱き止めた。
「駄目だエレノア、あの中はもう……!」
「ハンス……あの子……言ってたのよ。大きくなったらこの街を出て、世界中を旅するんだって……ハンスだけじゃない……皆……いつか日の当たるところで暮らしたいって……なのに……」
うわ言のようにぶつぶつと呟きながら、それでもエレノアは炎に向けて懸命に手を伸ばす。俺はそんなエレノアを、ただ抱き締める事しか出来なかった。
「どうして……どうして……」
「……っ」
エレノアの空虚な呟きが、炎の爆ぜる音に混ざって夜の闇に溶けた。
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