きまぐれ長門草紙

長門拓

ナルキッソス~narcissus~

 女子寮の裏手の雑木林をくぐると、程よい大きさの湖水が見つかります。

 人家や通りからは絶妙に隠れた場所ということもあり、学生の密会に使われることもしばしばあるようです。

 四季折々の草花、水面に映る夕日や明月の色、恋人は男ばかりとは限りません。


 しおりという女の子がおりました。

 成績は悪くありませんが、暇さえあれば図書館に出入りしています。

 奥の古ぼけた本棚の前に歩み寄り、誰も手に取らないような洋書を紐解ひもといているのは、そこにはさまれている一通の手紙のためです。

 辺りをキョロキョロと気にしながら、ふところにしまい、そそくさと寮の部屋に戻ります。


 二人部屋の相方は休日がてら実家に帰省していますので、遠慮なしに手紙をひらきます。


 『午前0時に会いましょう。場所は、湖水の水仙の咲く場所で』


 

 時計の針の進みをじれったく思いつつ、栞は午前0時を待ちました。

 満月が、夜空と湖水にぽっかりと二つ浮かんでいる深夜です。

 水際みぎわのひとところ、水仙がぼうっと黄金色に夜を照らしています。

 彼女は約束どおり、そこに待っていました。


「会いたかったわ、栞さん」

 彼女がそう言いました。互いに握る手のひらが、晩秋の寒さのなかで、ただひとつの温もりです。

「私も、あなたに会いたかった。なかなか機会がないのだもの」

 湖水のほとりに並んで座りながら、彼女は紙に包まれたお菓子を差し出しました。

「これはなあに?」

 指でつまみながら、栞が首をかしげました。飴玉のようでありながら、ごつごつとした突起を持っています。

「工場のおばさんから頂いたお菓子よ。金平糖こんぺいとうとかいうんですって」

 おそるおそる口の中でかじると、しびれるような甘さが広がります。

「……おいしい」

 思わず三粒噛み砕いたところで、もったいないと我にかえりました。

「遠慮しなくてもいいわよ。また頂くこともできるから」

 彼女がそう言いながら、いつの間にかくしを手に栞の髪を梳いています。

「栞さんの髪は、ほんとうに綺麗ね」

 初めての口づけは、金平糖のかけらがころがりました。


 冬の半ばあたりから、彼女の手紙は途絶えがちになりました。

 栞の実家から、出征する兵士との縁談が持ち込まれたのは、そんな日のことでした。

 彼女にはついに会えないまま、栞は嫁ぎました。


 やがて戦争が終わり、女子寮は何度かの改修を経て、現在の姿になりました。

 寮生の誰かが、夜中の湖水でふたりの女性の幽霊を見たという話が、まことしやかに語られることもあるようですが、これ以上の詮索は無粋というものかもしれません。

 水仙だけはたしかに、今日もそこに咲いています。

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