第30話

アリサの頭痛はすっかり消え、思考も驚くほどクリアになった。


「本当に殺しちゃったの?」

「仕方ねえだろ、あの状況ならお嬢がレイプされたとしか思わねえよ」

「あんたねえ……、女の人も居たじゃない」

「あー、まあ、そりゃあそうだが……」


はっきり言う。ジンも冷静さを完全に失っていたのだ。頭に血が上り、自分で自分を制御出来なかった。やはり着いていけば良かった、俺が見張ってればと後悔していたのだ。


「でも結局はお嬢の装備を狙ってたんだろ?なら殺してもいいじゃねえか」

「公爵の息子よ?ただで済むとは思えないわ」


アリサはジンに後ろを向かせ、ビキニアーマーセットを装備し直している。


「本当にもう、すぐに殺すのはやめてよね!」

「へいへい」


軽い、軽すぎる。

8人も勘違いで殺したのにあまりにも軽い。

ジンはまだいい、元々こんな感じだ。だがアリサの言葉が軽すぎた。それには理由がある。

ジン曰く、アリサの異変は呪いだったようだ、なんでも人の不安を1を100に膨らますような呪いで、やがて精神がおかしくなり自殺してしまうと言う。普通の人は3日持たないと言うから、アリサもそこそこヤバかった。

だが、その間の記憶を鮮明に覚えている。

思えばあの裏庭のベンチにいる時からおかしかった。考えても仕方ないことを考えたり、ジンが居ない方が幸せなんてことまで考えてた。ありえない。ちゃんとリスクとリターンは理解している。約一年前のスタンピードの時から、『ジンと一緒に居ると言うことはどう言うことか』はきっちり理解して覚悟しているのだから。

だが不安な気持ちがゼロってことはない、人間なのだから。その不安な気持ちが膨らんでしまって、あんな軽薄な男に釣られてしまった。装備を取られそうになったことはまだ許せる、だが奴らは見たのだ。私の胸を、スカートの中を。死んでもらうしかない。その事実と一緒に闇に葬るしかなかった。少しジンに思考が似てきたが、仕方ないとも言えなくもない。

アリサも必死に自分に言い聞かせる、「仕方がなかった」「事故だった」「あいつらが悪い」と。

だがそんな内心はジンに見透かされていた。


「お嬢」

「何よ」

「人間、生きるということは、誰かを殺すことだ」

「……」

「肉が食いたきゃ動物を殺す、野菜が食いたきゃ植物を殺す、金が欲しけりゃ魔物を殺す。気に入らないってだけで魔族を殺す。そうやってしか人間は生きられない」

「……慰めてるつもり?……、まあジンらしいわ。それに結局は殺したのはジンだしね、私は気にしないわ」

「……、へいへい」


アリサは心の中でありがとうと言った。そして同時にあることを思い出す。


「あっ、そういえばその呪いは誰が私にかけたのよ?」

「あー、それについては心当たりがある」

「誰?」


ジンは空を見るように森の木々を見上げる。


「でてこい、システィーナ。居るんだろ?」


ガサガサ!


木の上から誰かがいきなり降りてきた。アリサはちゃんと魔力探知をしていたのに、全く気配も感じなかった。

女だ、ぴっちりとしたレオタードのようなものを着た、シャルロッテばりに胸が盛り上がった女だ。だが女は耳が尖っていて茶褐色の肌をしている銀髪だ。


「……魔族……」


システィーナと呼ばれたダークエルフの女は、アリサをきつく睨んでいる。アリサが何かを言う前にジンがその女と話し出す。


「システィーナ、俺ははっきり言って怒っている。アリサが死んだらどうするつもりだった?」

「魔王様、私も怒っている。一体何年帰ってこないつもりだ。盟約はどうなった?」

「俺にも都合があると言っただろうが」

「先の話だ、どうなるかわからない、しばらくは一緒に居ると言ったから、我らは戦火で死んだ同胞も弔わずに、魔王様に従って大陸を移住したのだ。それがすぐにふらっと消えて……、魔族100万人の期待を裏切るのか」

「お前らは今幸せなんだからいいだろう」

「それはジン=カザマツリと言う柱があってこそだ。心の柱を失った我らの気持ちがわからぬか?」

「俺の幸せも考えろよ」

「我らが与えていただろう。さんざっぱら我ら姉妹を、魔王様なしでは生きられなくなるほど抱いたくせに」


アリサは大きく目を見開く。ジンは抗議を目に浮かべる。


「お前、そういうこと言う?」


システィーナは、片側の口角のみをあげ、


「なんだ魔王様、その小娘にバレるのが嫌なのか?所構わず我ら姉妹を、いや、それ以外の魔族の娘も犯し回ったくせに、そんなチンチクリンが本命なのか?」

「お前、もう黙れよ」


ジンは少しシスティーナに殺気を飛ばす。アリサをないがしろにされた会話に、アリサも我慢の限界だった。


「誰がチンチクリンなのよ」

「貴様しかいないだろう」


アリサが前に出てきた。


「あんたが私に呪いをかけたわけ?」

「そうだが?」

「いつ?」

「魔王様と貴様が離れて、森の宿舎の裏庭に貴様が一人でいた時だ。貴様は魔王様と常に一緒だったからな、うらやま────、なかなか骨が折れたぞ」


ジンは薄目でシスティーナを見て、


「ほう、俺にも気づかせなかったか。なかなか腕を上げたな」

「これだけ放置されれば、嫌でも腕は上がる」

「で、あんたはジンを連れて帰るの?」


アリサはシスティーナを睨みつけながら言う。システィーナはアリサを完全に舐めている。それはそうだ、システィーナから見たら、アリサは完全に弱者なのだから。

システィーナは余裕の表情でアリサを見下ろす。


「当たり前だ、魔王様は魔族の長だ」

「……ジンは人間よ?」

「人間?それはこの世界で生まれ落ちたと言う意味か?…………、ははぁん、さては貴様、何も知らぬな?」

「……」


確かに。ジンはあまり昔のことを話したがらないし、それを根掘り葉掘り聞くのも無神経なようで憚られた。

でも、ジンの過去を知ってる人が現れると、それはもうはらわたが煮えくりかえる。それが女、しかもジンと寝た?

殺す。絶対に殺す。呪いが解かれて思考がクリアになったにも関わらず、アリサの頭は嫉妬一色に染まった。


「そう……」

「そうだ」

「なら殺すわ」

「言ってくれる。やれるもんならやってみろ」

「ジンは渡さない」

「魔王様は返してもらう」


このクソビッチが。魔族は汚い。その身体を使ってジンを誘惑したな?魔族に引き込んだな?。許せない、ある程度は想像ついていたけど、いざ顔を見てしまったら憎しみが火山のように噴火する。『本命』と言われたことで少しは溜飲が下がってまだ会話が出来ているが、アリサは今にも飛びかかりそうなほど怒っていた。

それに、こいつの呪いのせいで、自分は死にかけたのだ、戦う理由は充分にある。


ジンは少し困っていた。アリサを殺されかけたのにはもちろん腹が立つ。だが、システィーナたちも自分が命をかけて守ると誓った仲間なのだ。そして自分の都合の為に魔族との約束を破ったのも事実。アリサが死んでればわからないが、レイプもされていなかったし、そこまで死にそうな状態でもなかった。ブチ切れるってわけにもいかなかった。


「あー、システィーナ。俺は一応お嬢に着くぞ?」

「魔王様が敵に回るか。魔族も終わりだな」

「俺の立場も考えろよ」

「チンチクリンを殺してから考えよう」

「行くわ!!」


アリサはジンの上着と破れたシャツと帽子を脱ぎ捨て、上半身はオリハルコンブラに籠手、下半身はすね当てにオリハルコンパンツ、その上にミニスカートを履いた格好になる。

そのアリサが、上体を低くしてシスティーナに向かって走り出す。


システィーナに接近すると、フッとアッパーを繰り出すフェイントをかけ、そのままシスティーナの脚を払いに行く。システィーナは頭上の枝に掴まりながらそれを避け、反動をつけてアリサの頭を蹴る。アリサはそれを右に転がりながら避けると、既に顔面に蹴りが迫って来ていた。それを左の籠手で受け、飛び上がって頭突きを食らわす。システィーナはスウェーで避けて追撃を入れようとしたが、アリサは空中で一回転しだした。システィーナの頭にアリサのかかとが降ってくる。

下がって避けるシスティーナ、着地と同時にシスティーナに向かって水平に飛ぶアリサ。


「カザマツリ流格闘術奥義」


アリサは追い突きの要領で、システィーナを追いかける。


「羅刹」


右、左、と飛ぶように追いかけるアリサの突き、下がるシスティーナ。三発目の右の追い突きがシスティーナの脇腹にヒットする。


バシッ!


だがそれはシスティーナが十字受けで受けていた。


「ふん、さすが魔族ね」


システィーナはかなり余裕だ。ぶっちゃけ、100やったら100回システィーナが勝つほど実力に差がある。人間にしてはよくやると思ってるだけで、負けることは絶対にありえないと肌で感じている。


「よく鍛錬されている。だが……」


システィーナがブワッと魔力を膨らませる。


「カザマツリ流格闘術が貴様だけだと思うなよ!」


アリサが目を見開いた瞬間には、システィーナは目の前にいた。

目で追えないほどの高速のジャブが、アリサの顔にヒットし、システィーナはその場で体を回転させると、同じ手でアリサの胸をもう一度突いてきた、まともに食らって少しアリサがよろけると、気づいたら膝があった。左右と連続でアリサの顎は蹴り上げられた。アリサがおきあがろうとすると、システィーナはアリサを追うように横転をしてくる。アリサの頭上から蹴りが降ってくる。

避けきれない、倒れているアリサの腹に二発ともヒットする。オリハルコンのガードがあるのにみぞおちに痛みが激しく残る。

それでもなんとか起き上がると、システィーナがその場でバレリーナのように回転しているのがアリサの目に入る。


「カザマツリ流格闘術奥義、鬼首おとし」


ドーン!


遠心力で力を溜められた蹴りが、オリハルコンのガードを突き破るように衝撃を与えてくる。アリサは10mほど吹き飛び、大木に打ち付けられて跳ね返り、肺の中の空気を強制的に吐き出された。


ジンは思う。アリサの格闘術の練度はたかが1年とは思えない。アリサが希望するのでかなり厳しく教えて来たが、ここまでやれるとは思わなかった。だが、このままでは勝つのは無理だろう。元々種族的に魔族のが能力が高い、それにシスティーナにも格闘術は教えている、時間的練度もある、負けるのはほぼ確定的だ。アリサに手を貸してやるしかない。


「まあ、システィーナは死なんだろ」


システィーナはああ見えても、魔族の中の序列第7位だ。魔法や魔法抵抗だけを考えたら、剣聖ムスタファなどは軽く超える。


「お嬢!空斬だ!」


アリサの目は光り、魔力を脚に込め、背中の大木を蹴り、勢いをつけて飛んで前蹴りを繰り出す。システィーナは咄嗟にガードするも、あまりの威力によろけてしまう。


「アリサ、やるぞ!」

「っ!、あいつはじっとしてないわ!」

「アイツは空気が読める!!」


アリサはジト目でジンを見る。せっかくまじめにやっているのに、すぐに水を差したがる。


「ダークエルフに魔法だと?!やってみろ!受け切ってやる!!」

「ほら、空気が読める」

「なんなのよ……、せっかくの見せ場なのに」

「お嬢の見せ場はここからだ」


ダダダ、ダダダダ、ダッダッダー

ダダダ、ダダダダ、ダッダッダー


勇気が湧き出るような音楽が流れる。

ああ、これが流れてはもう止まらない、アリサは諦めた。

ジンは腹の底から声を上げる。


「トーーールハンマーー!、発動、承ぉぉぉぉ認っ!!!!」


アリサはちらりとジンを見て、


「了解!セーフティデバイス、リリィーーーーーィズ!!!」


と、叫びながら右腕の籠手を引きちぎるように外した。アリサの右腕に紫電がまとわりつく。

そして、ジンがアリサの背中に手をかざすと、アリサの背中に魔方陣が現れた。ジンは魔方陣に手を突っ込むと、ゆっくりと鍵を開くかのように回し始める。


「これがぁぁぁ!勝、利の、鍵だぁぁぁぁ!!!」


背中の魔方陣の幾何学模様がゆっくりと動き、2つの文字が現れる。アリサの魔力が膨大に膨れ上がる。

同時にアリサの目の前に、アリサの右腕から生まれた青い稲妻がハンマーの形を作り出した。


「ああああ!ハンマーコネクトォォォ!!」


アリサはそれをむんずと掴む。


「トーーール、ハン、マァァァァァァ!!!!」


アリサはハンマーをシスティーナの頭上へと投げた。


「マジ・クソ・ジン・モゥ・アホゥ」

「光よ降れぇぇぇぇ!!!」


ドォォォォォォン!!!!


ハンマーが形を変え、極太の光線のような雷がシスティーナ目掛けて降り注ぐ。

雷はすぐに晴れたが、システィーナは一撃で炭のように黒焦げになった。ジンは急いでシスティーナに駆け寄り、「教えた詠唱と違う」とかぶつぶつ言いながら手をかざして回復していく。当たり前だ、真の詠唱とは魂の叫びだ。アリサの心の叫びが詠唱に現れただけだ。

システィーナの身体はみるみると回復する。肌は茶褐色を取り戻し、綺麗な銀髪が生え、黒い干し柿のようになった乳房がみずみずしさを取り戻していく。裸体だが。

システィーナはむくっと起き上がると、アリサはシスティーナに言う。


「反則とは言わせないわ。元々人間は魔族に勝てないのだから」


システィーナはアリサに答えずに目に涙を溜めてジンを見つめ、


「お姉ちゃんに言いつけてやる!!!」


と言ってどこかに去っていった。


「なんだったのかしら?……、ジン?」


ジンは何故か震えていた。

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