第3話 翔ちゃん

「僕はママのナイトだ。この魔法のレイピアを空高く掲げれば僕はヒーローになれる」


僕は鏡の前でかっこ良くポーズをとった。隣の部屋ではまだママが寝ている。


「う~ん」


ママがそろそろ目を覚ます。


「おはようママ」


僕はママのほっぺにちゅーをした。


「おはよう。私の可愛いヒーロー」


最近、ママは可愛くなった。綺麗な服を着てお化粧までしている。笑顔で抱きしめてくれるようになった優しいママ。もうすぐ5歳だから、きっと神さまが願い事を叶えてくれたんだ。


「じゃあ翔ちゃん。ママ、お仕事に行って来るからいい子にしていてね」


ママはそう言うと扉の前にダンボールを積み上げた。


お仕事に行く前のママの笑顔が一番可愛い。


お腹が空いていても、体が痒くても何も言わないよ。ヒーローは我が儘は言わないんだ。


「いってらっしゃい・・・ママ。大好きだよ」


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


厨房から肉じゃがの匂いが漂う。ここは夕方6時のいしづみの園。


外遊びをしていた子達も室内に入り、よりいっそう騒がしくなる。


赤ちゃん達は離乳食の時間。手掴み食べをする子達のために床にはビニールシートが敷かれる。


「はーい! 皆、赤ちゃん達のご飯の時間だよ! お兄さん、お姉さん達は少しの間別のお部屋に行こうね」


保育士が私達に退室を促す。


暇潰しに中庭に出ると癇癪を起こして泣きわめいている翔ちゃんの隣で秋枝が困り顔で立ち尽くしていた。


翔ちゃんの泣き声で皆が集まってくる。


「意地悪なんてしてないよ」


秋枝はそう言うと翔ちゃんに目線を落とした。


「ただ・・・本当の事を教えてあげただけなのに・・・うっ・・・うわあぁあああん」


秋枝も泣き出してしまった。


そこにちょうど入浴後の雪子が通りかかる。雪子は秋枝を見つけると少しばつの悪そうな顔で中庭に入って来た。


「ちょっと秋枝!何してるのよ!!皆見ているじゃない」


雪子は浴衣の袖で秋枝の涙を拭き取ると秋枝の腕を強引に引っ張り去っていった。


群衆の真ん中で地面に突っ伏ししゃくりあげている翔ちゃんを私は抱き起こして囁いた。


「翔ちゃん、お願いお部屋に戻ろう。私の分のデザートをあげるから」


少し翔ちゃんの体に力が入った気がした。私は更に畳み掛ける。


「何なら明日のおやつもあげようかな。明日のおやつは翔ちゃんが大好きな卵ボーロだよ」


翔ちゃんは泣きべそをかきながらも私と手を繋ぎ歩み始めた。


保育部屋にはもう誰も居ない。


「少し落ち着いてから皆の所に行こうか」


私は翔ちゃんに水を一杯手渡した。翔ちゃんはこくりと頷く。


しばらくの沈黙の後、翔ちゃんは経緯を少し話してくれた。


「秋枝ちゃんがね、私にも迎えが来ないんだから翔ちゃんにも来るわけがないって言うんだ。でも秋枝ちゃん嘘つきだもん」


私は翔ちゃんの最期を知っている。


「ママ・・・何で迎えに来ないのかな?もしかして、おねしょをしちゃった事まだ怒ってるのかなぁ」


翔ちゃんはそう言うと窓の外を見た。


石塔に明かりが灯る。


「そう言えば、ここへ来る時にママにお別れのちゅーするの忘れちゃったぁ」


飛びっ切りの笑顔を見せる翔ちゃん。少し胸が痛くなる。


幼い子は多少違和感のある世界でも現実として受け入れる。


「ママったら寝ている間に保育園に連れてきちゃうんだもん」

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