第79話 それはそれで面白くはあるが

 音楽室を出て、重い足取りで引きずるように教室へと向かう途中、校舎の物陰に突然引き摺り込まれた。

 何事かと目を見張るが、目の前には佐坂や仙波、田代といった連中が僕を睨みあげていた。


 あーぁ、ついに来ちゃったかぁ。しかもこのタイミングとはまた間が悪い。只今絶賛やさぐれ中ですよ。


「尾形さん、やっちゃってくださいよ。お願いしやす」


 ははぁん。自分達じゃ敵わないもんだから外部に助っ人頼んだわけね。ま、どうでもいい。好きなようにしてくれ。今の僕は自暴自棄だ。

 それから僕は、大した抵抗もできないまま、いや、どっちかって言うと抗う気分にもなれずひたすらタコ殴りにされた。


 嵐が過ぎ去って暫く経つが、仰向けに倒れたまま起き上がる気もしない。

 校舎と校舎の間に覗くどこまでも澄んだ青空が、無性に遠く感じられた。


「はぁ〜、何やってるんだか……」


 誰に聞かせるわけでもないが、僕の弱々しい嘆き節は空に消えていった。


 あちこちの痛みを堪えながら教室に戻ると、模擬店はなかなか好調なようですぐに洗い物を命じられた。

 へぃへぃ、精々働かせてもらいますよ。今まで自由時間もらってましたからね。曜ちゃんとのセッション以降は散々だったけど。

 積み上がった食器類をサンテナに移し替えて洗い場に向かう。てか、ここまで誰も洗い物しなかったんかよ、こんなに溜め込みやがって。

 そう思ってから、こりゃ思いっきりブーメランだなと、心の中で曜ちゃんの泣き顔を思い浮かべて苦笑いするのだった。

 洗い物は結構な量でずっしり来るしあばらにも響く。もしかして肋骨やっちゃってるかなぁ。だとしたら次の演奏が辛いかもなぁ。

 今日は身も心も痛いわ……。


 あ……そう言えば、羽深さんと羅門の件……どうなったんだろ……。すんごい気になるんだけど……。

 これで羅門が羽深さんと付き合うことになってたら、目も当てられんなぁ……マジで。

 この時とことん自暴自棄になっていた僕は、羅門の告白の行方が気がかりで仕方なかった。別にあいつのことを気にかけるわけじゃなく、これ以上のダメージにはとても耐えられそうにないというごく個人的な事情による。


 時々節々に走る痛みに「いてっ」とかなんとか小さな悲鳴を上げつつ、僕は黙々と洗い物をこなす。心に溜まった澱もこうやって綺麗サッパリ洗い流せたらいいのになぁ、なんて考えながらも実際にはどす黒い感情が渦巻いている。

 羅門の奴どうなったんだろうかと、そればかりがぐるぐるしている。


「クソッ」


 苛立ちを抑えられずに、思わず食器洗いスポンジを投げつける。流石に食器を投げつけるとまずいと判断できるくらいの理性は残っている。


「随分荒れてるな。何かあった?」


 不意に声をかけられてギクッとして振り返ると、ゴミ箱を抱えたメグがこっちを見て立ち止まっていた。


「やべ、見られてたか……」


「うん、しっかりと」


 そう言うとゴミ箱を抱えたままこちらにやってきた。


「んで?」


「んー、色々あったんだよ……」


「そうみたいだな。シャツの襟のところ、血付いてるぞ」


 そうだったのか。自分じゃ見えないから気付かなかった。多分殴った奴の拳の皮が剥けて出血したんだろう。

 古いヤンキー漫画みたいに顔はやめとけとか言いながらボコってきたからな。


「前から佐坂たちからちょっかいかけられてたんだよ」


「マジかよ。あいつそんな強いの?」


 中学時代、結構ガラの悪い連中に絡まれていた僕らは喧嘩はそんなに弱くない方だ。


「いや、油断してた。それに、何か外注したらしくてさ……ゴッツイ奴らに羽交い締めにされて一方的にボコられた」


「何それ、こわっ。一緒にお礼しに行っとくか?」


 飄々とした調子で怖いことを言うメグ。こいつはこういう奴なのだ。


「いいよ、そんなの。あんだけやれば佐坂たちも流石にスッキリしただろ」


「何だよ。礼儀を欠くとは情けないぞ。何か知らんが自棄やけっぱちか?」


「そ、今日の僕は自棄っぱちなんだよ」


「何だよ。ライブに不満でもあったのか? すげぇいい出来だったと思うけど?」


「あぁ、ライブは最高だったな。その後が最低だったけど……」


 メグはそんな僕を見て短く溜息を吐くと、さらに近づいてきて僕の顔を覗き込む。


「言ってみ」


「今日さ、曜ちゃんが来てたんだ……」


「ほぉ〜ん」


 何だか呑気な相づちだなぁ、おい。ま、いっか。


「んで、返事を聞かせてくれって言われた」


「マジかよ。で、何て?」


「好きな人がいるから付き合えないって言ったよ、ちゃんと」


「……」


 慰めの言葉とか何かないんかい。そんな真顔になられたら余計救われないだろうが。


「おまけにライブ前に急に羅門の奴が、羽深さんに告白するとか言ってきてさ」


「お〜ぉ」


「お〜ぉじゃないっての、全く。これで羽深さんと羅門が成立とかなったら、浮かばれなさ過ぎるだろ! 僕も曜ちゃんもさぁ」


「うむ。それはそれで面白くはあるが、確かにじんさんが振られ損で気の毒な面はあるな」


「面白くないよっ、この野郎!」


「しかし、お前それは、あれだなぁ……ザ・タイムの今度のライブ、やり辛くなったなぁ。練習とか含めて」


「そうなんだよぉ。今から憂鬱だけど、そこはほら、お前にも言われてたけど身から出た錆だし、一度請け負ったことだし。多分今日のは曜ちゃんだって覚悟の上でのことだったと思うんだよね」


「うーん、なるほどなぁ。ま、仕方ないっちゃ仕方ないか。今日のところは打ち上げでぱーっと忘れちゃおうぜっ! ぱーっとさ」


「うーん……わりぃけど、今日のところは僕はパスかな。僕抜きでパーッとやってよ」


「何だよ、ノリ悪いなぁ。あんまり湿っぽくしてるとカビるぞ?」


「ちょっとはこっちの身にもなって考えろよぉ。打ち上げって当然羽深さんも羅門もいるんだぞ? 取り敢えず今日のところはもうこれ以上のことは無理」


「ん……まぁ、お前がそんなならしょうがないか。みんなには俺の方から巧いこと言っておいてやるよ」


「頼んだ」


「うん、とにかく何だ、その……今日の演奏プレイは最高だったぜ。じゃ、行くわ」


 メグはそう言い残すと、またゴミ箱を抱えてえっちらおっちら歩いて行ってしまった。

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