第73話 聞いてもらいたい我儘

 スタイル・ノットとザ・タイムのバンド練習をようやく終えて、僕の今日の主だったスケジュールは消化できたことになる。


「ふぅーっ」


 大きくひと息吐いてから、スタジオに持ち込んでいたスネアとキックペダルを取り外して持ち出す。

 ひと荷物抱えながら表に出ると、そこにぽつねんと立っている曜ちゃんを見つけてビクッとする。

 あ、これ、僕を待ってたよね? ここで向き合うのはメンタル的に結構しんどいんだけど、もう逃げの姿勢はやめだ。何となく覚悟を決めて声をかける。


「曜ちゃん……」


「えへへ。会えちゃった」


 いや、会えちゃったってかわいく言ったけど、明らかに待ってたっしょ、これ。


「お、お疲れ。えーっと……あ、どっかでお茶でも飲む?」


 家はすぐ目の前だけど、家に誘うのも何だしと思ってそう誘ってみる。


「うぅん、いいの。これ、渡したかったんだ」


 そう言って彼女が僕に差し出したのは、一枚のCDRだった。


「あ、これってもしかして……」


「うん、前に送ったメロディにタクミ君がメロディとかコードとか足してくれたでしょ。歌詞も付けて歌ってみた」


「そっか……凄くいい曲だと思ったから気になってたんだ。必ず聴かせてもらうね」


「うん……文化祭」


「ん?」


「文化祭のライブ、観に行くね。羽深さんにも言ったけど」


「あぁ、来てくれるんだ。そりゃ頑張らなくっちゃ」


 僕は空元気だけど、腕をブンブン回してそう言ってみせる。


「うん。それでね、ひとつだけ聞いてもらいたい我儘があるの……」


 我儘? 羽深さんみたいなあざとさがない上目遣いを向けられて、きっと今からされるお願いを僕は断れる気がしないんですけど……。


「うん……」


「あのね、ライブの後でいいから、また一緒に歌って欲しいの。ほら、前にピアノセッションしようって言ってたのに、そんな感じじゃなくなっちゃったでしょ? その埋め合わせ……」


「そうだったね……。うん、いいよ。やろ」


「よかった、勇気出して……」


「じゃあ、この曲しっかり練習しとかなきゃね」


 曜ちゃんは耳まで真っ赤にしてモジモジしている。


「よかった……」


 もう一度そう呟いて、「それだけ」と言い残すと、クルッと踵を返して小走りで路地の向こうへと消えていった。

 曜ちゃんが消えた後の路地をぼんやり眺めながら、文化祭で彼女とのことも決着が着くんだろうなと、何となくそんな予感めいたものが頭に浮かんだ。


「ぷはぁーーっ」


 我に返ってみれば、張り詰めるあまり呼吸も忘れていたらしい。

 そして何でか自分でも分からないけど、両手で顔を覆ってゴシゴシと二、三回擦ってもう一度大きく息を吐いた。


「ぷはぁーーっ」



 部屋に戻り、曜ちゃんからもらったCDRを取り出してみる。

 真っ白なCDRの盤面にオレンジ色のマジックで、Lost Circusと書かれていた。


「ロスト・サーカス?」


 サスペンスチックな何かを想起したが、取り敢えず音源をスマホに取り込んで聴いてみた。

 僕が送り返したピアノ音源に彼女の透明感があって可憐な歌声が載っていた。


「いい曲じゃん」


 曜ちゃんのメロディの断片から構成を広げてコードを付けたのは自分だから、何となく自画自賛になっちゃうけども、この曲の核となる部分、この何とも切なくもありながらどこか希望が垣間見えるような絶妙な感じを作ったのは紛れもなく彼女だ。

 言ってみれば僕はその世界を壊さないように肉付けしたに過ぎない。


 そしてどうやらLost Circusは迷子になってしまったサーカス団のことを指しているらしい。

 ふーん……迷子のサーカスかぁ……。意味ありげのようななさげのような、まぁ雰囲気のあるお題目ではあるな。

 一緒にセッションしたいって言ってたなぁ。学校でやるとなると、あんまり人目につかない方が良いよなぁ。特に羽深さんの目には。

 うーん……学校でピアノが置いてあるのは、音楽室と講堂と、あと二階の渡り廊下のところに古いピアノが置いてあるけど、あれは調律も狂ったままで使えんから除外だな。

 講堂はちょっと目立ちすぎるか。人いなくても音が響き渡るからなぁ。

 となると、やっぱり音楽室かぁ。文化祭中って部活どうなるんだろうか。うちの吹奏楽部や合唱部ってそんなに強豪ではないよなぁ。一応その辺りは要確認だな。


「何だか疲れたなぁ」


 イヤホンを耳に突っ込んだまま、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。

 しばらく何を見るともなく天井を眺めた。

 なるようにしかならないか……。

 何の解決策にもならないような回答に行き着いて、僕は睡魔に促されるがままいつの間にか意識を手放した。


 目が覚めると、階下で母が夕食の支度をしているのであろう匂いが漂っていた。


「ん、もうそんな時間かぁ」


 スマホを見たら夕方の六時を回ったところだ。やべ、もうバッテリー切れそうじゃん。こいつもそろそろ買い替え時かなぁ。

 高校生にしてはミュージシャンとしてのバイトで結構な収入があるとはいえ、機材や服にもお金を使うし、10万前後もする後継機種にホイホイ買い換えるというのもなかなか大きな決断になる。


「もうしばらくはモバイルバッテリー併用で我慢な」


 言い聞かせるように独り言ちる僕なのだった。

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