第70話 それだけじゃないんだな、これが

 羽深さんとバンドをやることになった時には、残りの高校生ライフ終わったと思った。

 ところが、クラスメイトからの視線が痛いと思う場面はしばしばあるものの、予想に反して妙な奴らから絡まれるような事態にはなっていなかった。

 つまり夏休みも明けて実力テストがようやく終わった今に至るまで、平穏無事な学園生活を送っているということだ。

 とはいえ根が臆病というか慎重な性格の僕は、今のこの状況を今ひとつ信じきれていない。いつひっくり返ってもおかしくないと、日々おっかなびっくり戦々恐々としながら送っている。

 そんな僕の緊張感をよそに、意外にも文化祭までの日々は淡々と過ぎていく。


 ここ数日は茹だるような暑さも朝晩には影を潜めるようになり、いよいよ文化祭本番が近づいてきたなという実感も強まる。

 羽深さんの、スタイル・ノットに込めた情熱みたいなものは結成当初から変わらずで——いやむしろより熱を増したと言うべきか——時々思い詰めたような顔をしていることがあってちょっと心配だったりする。

 そんな時に声をかけても決まってバンドは楽しめていると返事が返ってくる。

 何かまた取り巻き連中のことででも悩んでいるのだろうか。力になれたらいいんだけどなぁ。


 一方、曜ちゃんからの連絡はあれ以来途絶えているし、こちらから連絡を取ることもしていない。

 まあそこは不気味といえば不気味かもしれないが、たとえ報われずとも、羽深さんに対して一途であるべきだろうと、あの夏祭り以来自分に言い聞かせている身としては、不要に思いを揺らさないために助かっているのかもしれない。

 ただあの曲は完成させたいなとちょっと思っているんだけど、この中途半端な関係のままじゃ進められないよなという気持ちがブレーキをかけている。


 そんな折、メグ経由で青柳高校のTHE TIMEのライブの話が舞い込んだ。

 そう、曜ちゃんが所属しているあのバンドのお誘いだ。

 ライブにトラとして参加するのは全然問題ないのだけど、何しろ曜ちゃんと顔を合わせるのは気まずいこの状況だ。頭が痛い。


「んで、どうすんの、楠木としては?」


「うぅ〜ん……」


「だろうねぇ。そうなるわなぁ」


 言わんこっちゃないっとばかりにメグからのちょっぴり冷ややかな視線が刺さる。

 はいはい分かってますよ。メグが言いたいことは分かってる。僕がはっきりしない態度だったからこういうことになってます。とっくに認めてますよ。


「ま、向こうさんとしては、俺らの演奏はかなり買ってくれてるみたいだけど、遅くてもこの週末には返事しないとだから検討よろしくな」


「あぁ、了解。考えとく」


「ったく、頼むぜ、楠木ぃ」

 そう言ってバシッと叩かれた背中よりも、胸の奥の方が痛んだ気がする。


「スタイル・ノットの方もいよいよだなぁ」


「うん。いよいよだなぁ」


 メグの言う通り、今週末がスタイル・ノットの文化祭本番へと向けた最後のスタジオ練習となる。そして来週末がいよいよ文化祭だ。

 ちなみにTHE TIMEのライブというのが奇しくも文化祭前日の金曜日。

 僕が依頼を断ればドラムは打ち込みとなるらしい。返答しあぐねているうちに、あれよあれよとここまで来てしまったんだけど、いい加減腹を決めないとな。

 バンド内恋愛はバンド崩壊フラグだとか言ってた曜ちゃんの言葉が脳内でリフレインする。確かにバンド内の人間関係がギスギスするとやりにくく感じるもんなんだな。


 こんな状態で鬱々と日々は過ぎ、すぐに週末を迎えた。

 結局、THE TIMEの出演依頼を今更断ることもできず受けることにした。何とも気分は上がらないが、演奏にはそんなうじうじした気持ちは持ち込めない。


 そしていよいよ我がバンド、スタイル・ノットの最終スタジオリハを迎えていた。


「えー、それじゃ最終確認だけどぉ〜。セトリはこのリスト通りの順番でOKってことで、みんないいかな?」


「異議なーし」


 うちの練習スタジオに集まったスタイル・ノットのメンバーたちが、通しリハを終えて最終確認するメグの質問に対して口々に承諾を表明する。


「うん、よし。あと、演奏の細かな点も散々詰めてきたからもうないかな?」


 そこも特にこれ以上の意見は出なかった。まぁ、ここまで散々話し合って煮詰めてきたのだ。これ以上やり過ぎても予定調和的でつまらない演奏になるだけだと思う。


「よっしゃ! 演奏は上々。来週の今頃はいよいよ講堂のステージの上だね! ま、やることはやってきたんだから後は思いっきり本番を楽しもー!」


 メグがそうまとめると各人各様に声を上げて最終的に拍手で締めた。


「お疲れー」


 お互いに労い合いながらスタジオを出る。

 銘々が帰途につくのを見送って、僕とメグは自販機でコーヒーを買って受付の前にある長椅子に腰を下ろした。


「さてと、この後はTHE TIMEのリハだな」


「んー」


 気のない返事をした僕に、メグはこちらをちらっと見ただけで何も言わなかった。

 と、そこにトイレの入口に隠れるようにしてこちらをこっそり窺う羽深さんが視界に入る。

 メグの視界も彼女を認めたようで、気を利かせたのか立ち上がると「次までまだ時間あるな。俺、ちょっとそこいらでもぶらっと時間潰してくるわ」と言って出ていってしまった。


「お疲れ様ぁ」


 後ろ手を組んだあざとかわいい羽深さんがトコトコ近づいてきて隣に腰掛けた。

 電車のときみたいにピッタリくっついて座っている。

 僕は相変わらず慣れなくて固まってしまう。しかもここってうちの親の仕事場なんだよね。

 そう思うと気が気じゃないんですけど願わくば身内に見られませんように……ってこれフラグじゃないよね!?

 余計に僕の挙動は不審になってしまうが、羽深さんはそんな僕を見てフフフと笑みをこぼしている。

 接する二の腕を介して伝わってくる羽深さんの体温にますますドギマギせずにいられない。


「いよいだねぇ〜」


 感慨深げにそう話す羽深さんだが、言わずもがな、文化祭のライブを一週間後に控えての感慨のこもった言葉だ。

 特にバンドマンとして高校生にしては結構な場数を踏んできている僕らと違って、羽深さんはこの文化祭が初ライブなのだ。バンド結成からここまでの準備にかけてきた時間を思えば感慨も緊張も一入ひとしおだろう。


 そんな羽深さんに対して、未だドギマギが止まらない僕はどう返答していいのか分からず両肩を萎縮させて固まっている。


「っはぁーーっ、緊張するーーっ!」


「き、緊張するよねぇ。僕も初めてステージに立った時は緊張でブルブル震えたもんだよ。ま、ドラマーだからステージに立ったと言うより座ってたんだけどさ。あはは……」


 大きく息を吐いて緊張を口にする羽深さんに、ドギマギしつつも自分の初舞台を振り返ってしょうもないことを言って自分で失笑する僕。てか、今緊張してるのってむしろ僕だし。


「ステージもそうなんだけど、緊張するのはそれだけじゃないんだな、これが」


 尻すぼみになっていく羽深さんの呟きが弱々しくロビーに響いた。


「ん?」


「ん〜ん、何でもなーい」


 何か他にもあるのかな。まぁ、僕のような底辺と違ってカーストの天辺頂に君臨するクイーンには、僕には計り知れぬことが色々とあるのだろうと想像してそれ以上考えるのをやめた。


「けじめだもん」


 ゆっくり噛みしめるかのような、静かに囁かれたその言葉は僕の耳にもかすかに届いてはいたが、その時には、それが夏祭りの後の二人きりの境内で羽深さんが言っていた“けじめ”とは、全然結びついていなかった。

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