第68話 虫が鳴いてる

 出店を冷やかしながら歩く。

 そのまま参道の坂道を登っていくとお寺の境内に出るのだが、多くの人が向かうのはその途中で脇に逸れたところにある展望台だ。当然見晴らしがいいので祭に合わせて開催される花火大会では絶好のビューポイントになるのだ。

 とは言えその分人でごった返すわけで、そうなると必ずしも絶好とは言い切れなくなる。


 そこで僕らはそちらへは逸れずにそのまま真っ直ぐ境内を目指すことにしたわけだが、何分羽深さんは浴衣なので履物も下駄を突っ掛けている。

 慣れない下駄履きですぐに足が痛くなりがちということは、漫画で学習済みだ。何しろこっちはプロのDTだから情報源はいつだって創作物だ。どうだ、悲しくなるだろう。泣いたっていいんだよ。


 ここはひとつこちらから手を差し伸べるべきか? いやいや、それはいくらなんでもハードル高すぎる。あんまりガツガツ行ったらドン引きされるかもしれないし。


「足、痛くなってない?」


 とは言え今日の僕は気遣うことを怠ることはない。


「うん。だいじょ……いや、ちょっと痛いかもぉ……」


 そう言って羽深さんからは必殺の上目遣いが返ってきた。


「やっぱ結構痛いかもぉ……」


 うむ、いつものやつだ。二回言うやつ。

 僕が鈍いと思ってるんだろうが、今日の僕は一味違うのさ。


「あ、じゃあ一旦休む?」


 と言ってもこの辺りは延々参道の石畳が続くばかりでベンチなんかも展望台の方に行かないとなさそうだ。


「うぅん。大丈夫」


 いや、結構痛いって言ったし。大丈夫じゃないっしょ。うーん、どうすれば……。

 とまた迷っていたら、羽深さんの方から僕の腕に絡みついてきた。


「拓実君に支えてもらうから大丈夫っ」


「お、おぉ……」


 くはぁっ。久々のエア鼻血がっ。

 なんつぅあざとかわいさだよっ。

 そしてなんつぅ柔らか仕上げだよっ。


「ふふふ。嬉しいな。今日を楽しみにしてたんだよ、わたし」


 それは光栄なことだけど、僕だってもちろん今日という日を心待ちにしていたのは同じだ。

 それにしてもなんで羽深さんがそこまで? プロフェッショナルDTの僕には今ひとつ解せないのが女心というものである。うむ。


 そうして羽深さんと歩きながら境内を目指す。

 途中展望台へ続く分岐点を過ぎると急に人気が疎らになり、出店もないのですっかり寂しくなるのだが、ずらっと並ぶ提灯が石畳を照らしているので暗くはない。


 しばらく歩いて境内に到着すると、先客が何人かいたが各々お互いを気にする風もない様子だ。

 この時間帯、ここにいるのは参拝客というわけでもなく、ほぼカップル。こっちは嫌でも意識させられる。

 坂道を上がってきたにせよ脈打つ鼓動は思いの外速い。


 僕らは街明かりを見下ろせる側のお寺の石段に腰掛け、何を言うでもなく黙っていた。


「文化祭」


 不意に羽深さんがそう口にした。


「うん」


「終わったらわたし、拓実君に話がある」


「話なら、別にいつでも聞くけど? 今だって構わないし?」


「うぅん、違うんだ。けじめなんだよ、これは」


 そう語る羽深さんの横顔は、何だかキリリと音がしそうなくらい真剣に見えた。


「けじめ?」


 羽深さんが言いたいことが今ひとつ掴めなかった僕は、間抜け面でおうむ返しに訊ねた。


「そ。けじめなの。わたしのね。だから文化祭のライブが終わってから話すね」


「……分かった」


 いや、てんで分かってないけど。

 でも空気を読んで僕はキリリと音がしそうな凛々しい顔をしてはっきり答えた。


「プッ。全然分かってないでしょ、拓実君」


 と笑われた。

 あれ、僕のキリリどこ行った、おい? 鳴ってなかった、音? キリリって。鳴らなかったかなぁ。


「ふふふ」


 そんな僕を羽深さんが随分とおかしそうに笑う。

 そしてまるでそれが合図だったように一発目の花火が上がる。そして間を開けず、夜空を大輪の花で埋め尽くさんばかりの勢いで花火が打ち上がると、それにほんの少しばかり遅れて辺りは爆音に包まれた。


「おぉー、花火って何で真夏の暑い盛りにやるのかねぇ」


 大音響の中、必然声も少々張り上げながら、ふと湧き上がった疑問が口をついて出る。


「ホントだね。海外だと年明けとかに上げたりするのに、日本独特だよね」


「そう言えばそうだ。へぇ〜、日本だけかぁ」


 花火が上がる度、その光が羽深さんの横顔を浮かび上がらせる。綺麗な横顔だ。まあるいおでこからきゅっと高く程よい長さの鼻筋。口角の上がった形のよい唇。美しい丸みを描いて細くて長い首へと繋がる形のよい後頭部。

 こんな素敵な女の子と二人っきりで夏のメインイベントを満喫してる僕は、こっそりリア充気分を満喫することにする。今だけだ。誰にも邪魔されずに今だけ。


「ちょっとお二人さん。何気にいい雰囲気出しちゃってるじゃん」


 って誰にも邪魔されずにと内心で呟いた途端にこれか。いくら今だけって言ったって、あまりにあっという間過ぎないか。

 折角のいい雰囲気をぶち壊してくれたのは、羅門の野郎だった。

 取り合う気も起こらないが、邪魔すんなという意思を込めて横目で羅門を見やる。


「おっと、すまんすまん。今日のところは二人を邪魔する気はなかったんだけど、彼女が不憫すぎて放っとけなかったんだよ」


 そう言う羅門の背に隠れるように佇む曜ちゃんが、今にも泣き出しそうな顔で唇をへの字に曲げて食いしばっていた。

 そんな顔を見せられるとさすがに胸が痛む。


「神さんよね。ちょっと話せるかな」


 徐ろにそう言って曜ちゃんの元へ歩き出したのは羽深さんだ。

 前の時の不穏な空気を思い出して二人を止めようとしたが、逆に僕の方が羅門に止められる。


「何で止めるんだよ」


「いいから。やめとけよ今は」


「訳分かんね」


 羽深さんは曜ちゃんと連れ立って少し離れた方へと移動していった。しばらく二人を見ていたが激しくやり合うような雰囲気でもなさそうなので、取り敢えず羅門の言う通り干渉するのはやめにした。


 そして僕も羅門も黙って上がり続ける花火をぼんやり眺めていた。何が悲しくてこいつと花火見てんだか。


「羽深ちゃんはいい子だよな。正直で気取ってないしさ」


 全面的に言ってることには同意だが、僕は羅門の奴を認めるのが嫌なので、リアクションは取らずに黙っていた。

 そんな僕にはお構いなしに羅門は一人で話し続ける。


「あんないい子が何でお前なんかと花火大会なんか来ちゃうわけ? まったくもって納得いかんけど、昔からお前って不思議といいとこ持ってくよなぁ、くそ」


 なんか悪態吐かれてるぞ?


「はぁ? よく言うよ、この女ったらしが。言っとくけど中学の時のことだってまだ忘れてないからな」


「はっ。相変わらずだなぁ、まったく」


「お前もな」


 こいつはギタリストとしては文句ないけど、プライベートではどうにも相容れない。


 随分ぼんやり過ごしていたようだ。羽深さんたちが戻ってきた。

 決して仲良しと言えるような雰囲気ではないが、険悪というほど酷くもない様子で少しホッとする。

 ホッとしたはいいが、これからどうすればいいんだろうか。気まずい。


「花火……終わっちゃったね……」


 言われてみれば確かに花火はいつの間にか終わっていた。

 最初の方だけ羽深さんといい雰囲気で楽しめたのに、途中から羅門の野郎と二人で眺めるなんていう誰得な状況になってしまっていたし。

 羅門を睨め付けると、奴はしれっと目を逸らしやがったが、悪びれた様子もなく曜ちゃんに声をかける。


「どれどれ。神さんさ。遅いし今日は俺が駅まで送ってくよ。何なら愚痴の一つや二つ聞いてあげてもいいぜ」


「お前なぁ」


「おっとぉ。お前の指図は受けないぞ。お前が責任持って送ってあげるわけじゃないだろう?」


「ちっ」


 確かに言われる通りではあるが、こいつが送り狼になったら送ってもらう意味がないからな。


「責任持ってきちんと送り届けろよ、お前」


 渋々ではあるが、曜ちゃんを一人で帰らせるわけにもいかない。


「任せろよ。さ、帰ろ」


 と早速曜ちゃんの手を引いて行こうとする羅門。


「おいっ」


 羅門をひと睨みすると両手を挙げてノーファウルをアピールしてきた。


「おー、怖っ」


 なんて言いながら、曜ちゃんを連れて帰っていった。

 曜ちゃんがこちらを振り返る様子から、後ろ髪を引かれる気持ちが伝わってきたが、ひとまず引いてくれたようだ。

 羽深さんと何を話していたんだろうな。訊いてみたいけど、多分訊いちゃいけない気がする。


 ふと羽深さんの様子が気になってそっと目を向けると、背筋をピンと張って曜ちゃんをじっと見ていた。

 その眼差しは、怒りでもなく、敵愾心でもなく、侮蔑でもなく、ただ真剣な眼差しに見えた。


「さてと。花火も何だか中途半端になっちゃったなぁ。この後どうしよ?」


 もちろん羽深さんに向けた言葉だが、何となく独り言の体で言ってみた。

 もうちょっと一緒にいたいけど、素直にそう言い出しにくい。曜ちゃんと羅門に邪魔されて何だか味噌がついちゃったから、ここで誘って断られちゃうと何となく後を引きそうに思えて。


 気付けばすっかり周囲のカップルたちもいなくなっていた。

 ここは街を眼下に見渡せる小高い山の上。

 陽が落ちてもうしばらく経ち、人気もなくなった境内で時々涼風が葉を揺らしている。

 首筋を撫でていく風が優しい。


「虫が鳴いてる」


 僕の独り言風の誘いへの意趣返しなのか、返ってきたのはそんな呟きだった。


 言われてみれば確かに。

 静まった境内を取り囲む四方の茂みから、チリリリと響いてきてなかなか風情がある。


「ホントだ」


 僕らはそれからしばらくの間は、何かの言葉を交わすこともなく、ただじっと虫の声に耳を傾けていた。

 時々気になって羽深さんを見れば、そこには毎朝見るのと同じ、幸せそうな顔をして虫の鳴き声に聴き入っている彼女がいる。

 その顔を見てると、何だか僕の中にも幸せ成分が溢れ出してくるみたいだ。

 羽深さんと二人の時間だけにあるこの感じ。


 その夜はしばらくそうして過ごしてから、羽深さんといつもの交差点まで一緒に帰った。

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