第17話 認めるようなもんだぜ

 電車の中はまさに二人の世界で夢心地だった。

 あれよあれよとこんなことになってしまって、理由はよく分からないがどこからどう見てもやってることが恋人っぽい。

 羽深さんさては僕のことを……。


 と思い込みかけて我に帰る。プロのDTはチョロいと同時に疑り深いものなのだ。言い換えれば自信がなくてとことん卑屈。

 思い込みは危険だ。羽深さんから告白されたわけでもあるまいに。何か常人には思いの及ばない思惑が裏で働いているのかもしれないのだ。


 例えば羽深さんが悪の秘密結社に弱みを握られていて、僕と付き合ってる風に勘違いさせないとその弱みをバラすと脅されているとか。

 ぶるるっ。怖い怖い……。

 羽深さんをそんな目に合わせるとはけしからんが、それ以前に僕を勘違いさせようとする秘密結社は一体何を企んでいるのだ!?


……っ!? 世界征服か……。

 これは相当手強い組織だな……。世界規模の組織に違いない。となれば世界中に敵がいるわけか……。

 などと妄想が明後日の方向へ飛んでいるうちにもう教室に着いていた。


 羽深さんは自分の席について鞄を置くと、ニコニコとご機嫌な様子でこちらを向いて座った。僕も自分の席に座ったが、羽深さんがいつものようにイヤホンをつける様子がないので手持ち無沙汰だ。


 そういえばしばらく前、羽深さんが早朝来なかった日があって、それがきっかけで僕も早朝の登校をやめたんだったよな。あれは何だったんだろうか……。

 羽深さんを見やれば相変わらずニコニコしながらこちらを見ている。何のつもりだろうか。


 さっきまで有頂天になっていたが、ひとたび正気に戻ってしまえば、かわいいけど得体の知れない恐怖を感じてしまう。


「あの……」


 呼びかければ首を傾げて「何?」と応じるその仕草。途端に心が蕩けたようにフニャンとなってしまう僕はやっぱりプロのDT、チョロい。


「前に何日かこの時間に来なかった時期があった気がするんだけど……」


「あぁ〜……あったね、確かに……」


 そう言って気まずそうに羽深さんは目を逸らした。

 ん、何か気まずい理由があったのかな。だったら僕なんかが聞かない方がいいだろうか……。


「だってあの時……拓実くんが……」


 その時羽深さんの言葉を遮るかのように僕のスマホの着信音が朝の静かな教室に鳴り響いた。

 曜ちゃんからThreadに着信だ。

 羽深さんを見るとまた気まずそうに横を向いている。

 僕はThreadを開くといつものように曜ちゃんが明るく朝の挨拶のメッセージを送ってきていた。


『タクミくん *・ヾ(Ő∀Ő๑)ォハョォ゚*

 昨日は疲れてたみたいだけど

 ぐっすり眠れたかな? ( ˘ω˘ ) スヤァ…』


 昨日様子がおかしいと感じていたらしい曜ちゃんが、朝から気遣ってくれている。優しい。彼女らしいや。


『ありがとう! 元気だよ』


 返信してほっこりしていると視線を感じる。当然羽深さんだ。

 顔を上げるとなぜか羽深さんは寂しそうな顔で僕を見ている。


「なんか楽しそうだね、拓実君」


「え? 何が……?」


「スマホ。わたしといるよりスマホの方が楽しいって顔してるぅ」


 かわいいふくれっ面で僕を睨んで言う。


「いや……そんなことはないと思う……けど?」


「ウソ。それ、相手はジンピカちゃん?」


「っ!?」


 どうしてそれを……?

 あ、ジンピカというのは曜ちゃんがThreadで使っている名前だ。彼女の名前はじんひかりちゃんなのだが、クラスメイトからは略してジンピカと呼ばれているそうなのだ。


 ゴクリ……。なぜか思わず固唾を飲んでしまう僕。

 はっ!? 僕のスマホと連絡先の交換をした時か? あの時そういえば付き合ってる人がいるのかと訊かれた気がするが……。

 Threadの設定の時に見られたのか……!?


「あぁ〜、えぇっと……まぁ……そうですけど……」


「ふぅん……やっぱり仲いいんだ……ジンピカちゃんと。かわいいもんねぇ……彼女」


 ど、どうしてそれを……!?

 はっ!? 僕のスマホと連絡先の交換をした時か? 曜ちゃんは自撮りの写真をプロフィール画像に使ってるからそれを見たわけか……。


「う、うぅ……」


 なんだろう……羽深さんの迫力に何も言い返せない。幸せ気分から一転して剣呑な空気が教室を満たしている。完全に蛇に睨まれた蛙のように固まる僕。


「ねぇ、拓実君。ジンピカちゃんとはどういうお知り合いかわたしに教えてくれるかな?」


「え……曜ちゃんは、青柳高校のTHE TIMEっていうバンドのボーカルで、僕がドラムで手伝った関係の知り合い……ですけど……?」


「ふぅん、曜ちゃんかぁ……」


「う……」


 だって曜ちゃんは羽深さんと比べるとなんていうのかなぁ……。庶民的? 僕みたいなのでもなぜか接しやすいんだよなぁ……。


「うぃーーーっす、ららちゃん! 今日も相変わらずかわいいねぇーっ」


 と軽ーい調子で教室に入ってきたのは羽深さんのことをららちゃんなんてサラッと呼べる程度には羽深さんと親しそうな佐坂君だった。


 ゲッと思う。もうそんな時間になってしまっていた。

 僕が朝、羽深さんと二人で教室にいたなんて知れるとあれこれ面倒なことを言われかねないから最大限気を遣ってきたのに……。


「あれれ? 楠木君? もしかしてららちゃんと二人っきりでこの教室にいたのかな? つーかなんか剣呑な空気を感じたんだけど? 楠木君は何か羽深さんにキモいことでもしたり?」


 あぁ……やっちまった。こうならないようにと思って、みんなが登校してくる前に一旦教室を出て行くようにしてたのに……今日に限って……。しくじったぁ……。


 僕は黙って立ち上がり教室を出た。


「おいおい。こそこそ逃げるとか認めるようなもんだぜ」


 出て行くときにそんな言葉を投げられるが、言い返せるような言葉も持ち合わせず、そのまま、彼が言うように逃げるようにして立ち去った。

 羽深さんからはなんの言葉もなかった。


 トイレの個室に逃げ込んだ。

 最悪だ。どん底だ。クソッ。トイレだからって別にクソをしてるわけじゃないが、これは悪態をついて言ってるクソだ。我ながら紛らわしいので念のため。


 あぁーーー。最悪最悪最悪。

 僕があの教室から逃げ出てくる時、羽深さんはどんな顔をして僕を見ていたのだろうな……。


 はーーぁ。

 溜息しか出てこない。


 朝礼に間に合うように教室に戻ると、羽深さんの周囲に集まる取り巻き連中が一斉に僕に対する非難がましい目を向けてくる。羽深さんは気まずそうに目を伏せて僕の方を見ようとしない。


 泣いてもいいでしょうか。うぐ。


 教室に着くまでのふわふわと天にも昇るような気持ちから急転直下のこの状況。それはもう地獄のような鬱々とした気持ちで一日を送ることとなったのだった。

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