その5


「……勝手に……殺すな……」


 いや、死んだと思われたバベルであったが、間一髪で致命傷を逃れていた。普通の冒険家であれば確実に生命の鼓動を止められたシーンであったが、日ごろの鍛錬による強靭な肉体と、無意識ではあるが一瞬の身のこなしにより、からくも急所を逃れていた。


 フラフラとした足取りで、何とかノーラの下に駆け寄るバベル。いたるところを赤に染める姿からどうして、生きているというのを連想できようか。「実はゾンビでした」と言っても納得するだろう。


 とても戦うという雰囲気ではなかった。


「どうして! あなた、勇者バベルでしょ! なんでゴブリンなんかに……」

「……」


 質問に答えるという雰囲気でもなかった。


 気が付くと、ゴブリンの集団が二人を取り囲んでいた。彼らの焦点はノーラに向かっている、次はこいつだと言わんばかりに。砂利道を踏みしめる音が聞こえてくるたびに、彼女は魔物との距離が徐々に縮まっていくのが分かった。


「私が、やらなきゃ……」

「大丈夫、研修で何度も戦った」


 確かに、ゴブリンとの戦闘はある程度はこなしていた。しかし、すべて、魔物「一体」が相手のシーンのみである。なぜか。彼らはもともと集団で狩りをする種族であり、個々が連携を取って戦うことを得意とする。複数体のゴブリン相手というのは、意外と難易度が高い。それゆえ、研修生には、それは少々荷が重いと考えられているからだ。


「それでも、私は冒険家……」


 ノーラは軽く息を吐き、魔法を唱える体制を整えた。山から吹く冷たい風が、彼女の精神を研ぎ澄ませる。そして、覚悟を決めた。


「私は逃げない!」


「いや、逃げてくれ」


 魔法を詠唱しようとする、その時だった。ゾンビと化していたバベルが突如として彼女の腕をつかみ、それを遮った。


「え! バベル、大丈夫なの?」


 突然のことに戸惑うノーラ。


「なんとか、な……ここまでは想定の範囲だ。それより……」


 やや持ち直した感のある彼は、続けて話す。


「お前にはやることがあると、俺は言った」

「ええ、それが?」

「それは、今だ。帰還魔法で街に戻るんだ」


 ――帰還魔法は時空魔法の一種。時空魔法を使えるのは少数の魔法使いに限定され、熟練度やセンスなどに因らず、一種の生まれながらの素養というものが必要だった。それは、世界有数の魔法使いであるバベルにしても、扱うことが出来ないものあった。魔法の習熟度が低いノーラではあるが幸運にもその素養を備えており、そして基本である帰還魔法を使えることができた――


「でも、私が戦ってるから、その間に……」

「いいから、やるんだ!」


 鋭い眼光が、それが本気であると告げていた。


 彼女はまだ理解できていなかった。時間は掛かるが、回復魔法を使えば戦いに復帰できるほどには持ち直せる。予め魔法をまとわせておけば、大小問わず傷口は徐々に塞がっていく。バベルほどの魔法使いなら、どちらも可能だろう。しかし、そんな様子は微塵も感じられず……


「ああ、もう! よく分からないけど、分かった!」


 考えることが苦手なノーラは、意を決したように急いで帰還魔法の準備に入った。さっきから理解できないことだらけだが、ただ一つ、期待していた勇者はろくに戦えないということは理解できた。


「時よ――空間よ――我を――いざなえ!」


 詠唱が終わると同時に、二人の身体は一瞬にして消失した。地面に残るはそのぬくもりだけ。獲物が突然にして消えるという現象を目の当たりにしたゴブリンたちは、困惑した様子で辺りを見回していた。


 ――


「いたたた……」


 時空魔法の練度が足りないノーラは、はたして上手く帰還できるか不安だった。しかし、その不安は杞憂に終わった。イメージしたとおり、街はずれの正門前に座標を合わせることが出来たのである。まあ、高さが人一人分ほどずれたため、落下で腰を強打したのが誤算であったが。


「そうだ! バベル! ……あれ?」


 慌てて周囲を見渡すが、どこにもいない。帰還に失敗したのかもしれない、不安を感じるノーラであったが、しばらくすると、「うぅ……」という唸り声がどこからか聞こえていた。


「……重い……」

「え、どこ? って、あ!」


 その声は下のほうから聞こえてくる。ノーラは、バベルを自分の尻に敷いていることに気づいた。


「……し、死ぬ……」


 持ち直したはずのその身体は、少しだけ死に近づいていた。


「だ、大丈夫? はやく治療しないと」


 ノーラは回復魔法が使えない。とはいえ、このまま何もしなければ本当に死んでしまう。


「回復……回復……そうだ、あそこだ」


 思いついた彼女は「よっこいしょ」とバベルを担ぎ、街の中心へと歩みを進めた。


「もうちょっと我慢してよ」

「……」

「や、やだ、死なないでよ」

「……」


 あんまりにも声を出さないから、ついに息絶えたのかとバベルの顔をのぞき込んだ。しかし、なぜだろう、その顔にはうっすら笑みがこぼれていた。


「ふふっ」

「え、なに?」


 突然の反応に戸惑うノーラ。


「生と死が隣り合わせの、この感覚……実に久しぶりだ」

「はい?」

「俺が求めていたのは、まさに、この痛み」

「はい?」

「もっとだ、もっと痛みを!」

「……変態ですか?」


 ある意味、変態である。

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