2章10話 21時45分 ロイ、チカラを与えられる。(1)



 ロイは自分で自分に対して身を焦がすほどの憤りを覚える。

 激しい怒り、深い悲しみ、嘆き、悔やみ、懊悩と懺悔、そしてその無限に続く連鎖。


 ありとあらゆる負の感情を抱いたまま、それでも自分にできることはなにもない、と。

 そう強く、強く、鮮烈に言い聞かせて、シャーリー対【土葬のサトゥルヌス】が終焉を迎えるまで、彼は適当な王都の物陰で息を殺していた。


 自分で自分が情けない。

 あの2人と比べたら、自分なんて砂や埃も同然だ。


 強くなりたい……ッ、せめて自分で自分を守れるぐらいには……ッ!

 でなければ、最愛の女の子たちを守るなんて夢のまた夢だ……ッ!


 今なお、ロイの網膜には2人の死闘の様子が灼き付いている。それは克明に、まるで焼き印のように。

 天が裂傷するかのごとき極光の明滅の乱舞。大陸が壊れるのではないかと錯覚するほどの振動。紛うことなくあれこそ最強の一角が為すわざであり、今のロイでは手も足も出ない神域の戦闘だった。


 そして、シャーリー対【土葬のサトゥルヌス】が終焉を迎え、彼女が施した時間停止の魔術が解除されると――、


「っっ、そろそろ、星下せいか王礼宮おうれいきゅうじょうに戻れそうかな……? 時間が動き出したってことは、門扉のセキュリティも正常に稼働し始めた、ってことだし……」


 なんとかロイは気持ちを切り替える。

 ウジウジしてここにい続けるなんて、自分を逃がしてくれたシャーリーのことを思うと、本末転倒だったから。


 普通なら、門扉の魔術的セキュリティが稼働していない場合、そちらの方がより簡単に城に戻れそうな気もするが、違う。

 星下王礼宮城の周りは当然だが城壁で囲まれており、門扉だって高さが10m以上ある。


 無論、肉体強化の魔術を発動すればギリギリで城壁を上ったり、門扉を跳躍できたりしそうなものだが……魔力の反応を出してしまうということは、2人の殺し合いが終わる先刻まで、せっかく撤退できたのに【土葬のサトゥルヌス】に居場所を知られてしまうということと同義だった。


 だが、今は違う。

 シャーリーが時間停止を解除したということは、自分にはどのような結末になったか依然不明だが、少なくとも【土葬サトゥルヌス】を撃退できたということだし、普通にセキュリティを解除するという方法でも、肉体強化の魔術を発動するという方法でも、星下王礼宮城に入れるようになった、ということだ。


 もちろん、あまり考えたくはないが、シャーリーがやれらた、だから時間停止が解除された、という可能性もあ。

 しかしそれならそれで、【土葬のサトゥルヌス】に捕捉される前に、なおさら早々に星下王礼宮城に入るべきだろう。


 ゆえに、ロイが城に向かい足を動かし始めた、ちょうどその時だった――、

 ――路地裏で、建物の屋根の上から、『とある男』がロイに声をかけてきたのは。




「――――ようやく巡り合えたぞ。運命を仕組まれた救世主よ」

「…………ッッ、まさか、また魔王軍!?」




 その男は魔王軍の制服を身にまとっていた。

 死体の眼球のように光が差さっていない無感動な瞳孔。全ての感情が死滅したかのごとき、やはり死体のような顔面。


 まるで幽鬼、亡霊のような雰囲気を漂わせており、世界、現実に、救いようがないほど絶望していそうな男性である。

 喩えるなら、彼の周りだけ、空間に存在する色彩いろがセピア色になっていて、時間の流れが止まっているような感じ、とでも言えばいいのだろうか。


 まるで老人のように白い髪。

 鮮血のように紅い双眸。


 見たところ、年は40代ぐらいだろう。

 外見も、雰囲気も、あまりにも特異すぎる。そしてなにより、再度になるが、身にまとっているのは魔王軍の制服。


 ロイはすぐさま、衝動的に肉体強化の魔術を発動すると、エクスカリバーを顕現させながら、全力でバックステップしてその男から距離を取った。

 その男に向けるのはおのが聖剣の切っ先。ここに、ロイの臨戦態勢は整った。


 しかし、だ。

 翻り魔王軍の男は屋根から着地しても、微塵も戦闘に挑もうという様子を見せず、静かに、ただ1つだけをロイに問う。


「叶うのならば、答えてほしい。貴様はロイ・モルゲンロートで相違ないか?」

「そうですけど……そういうあなたこそ、魔王軍の軍人で相違ないですね?」


 愚問だった。互いにそれを否定したところで、相手が納得してくれるはずもない。

 ゆえに自明。ロイの問いも、その男の問いも、どちらもYESなのである。


 それを同時に両者は察したのだったが、その瞬間、ロイが警戒を強めるのと裏腹に、魔王軍の軍人はクツクツと嗤い始めた。

 最初は片手で顔面を覆い、堪えるように。徐々に堪えきれなくなり、最終的には歓喜にも酷似した笑い声をあげる。


 男のどこかヒステリックな哄笑が、王都の夜に痛々しいほど木霊した。

 そしてそれが落ち着くと――、


「なるほど……ッ、なるほど……ッ! そう来るか! そう来たか! 運命はそのように収束するのか……ッ!!!!! このような歓喜は数年ぶりだ……ッ! とうの昔に感情なんて死滅したと思っていたが、まだ俺の中にくすぶっていたなんてな……ッ! 今、俺は世界に愛されている……ッッ!!! 祝福を受けている……ッッッ!!!!!」

「な、なにを言って……っ」


「――懐かしいな。久しすぎて涙が出てくる」

「は? 懐かしい? 久しい?」


 強く訝しむロイ。

 彼は眼前の魔王軍の軍人に、変人を見下すような視線を向けた。


 当然だろう。ロイにはこの男との面識がないのだから。

 というより、彼はこの男に限らず、魔王軍の軍人と誰ひとりとして知り合いではない。出会って、戦闘に発展すれば、基本的にはどちらかが死んでしまい、次にそいつと会う、ということはなくなってしまうからだ。


 ゆえにこの男とは初対面。

 しかし、当の男の方はまるでそれを意に介さず話を続けた。


「――――嗚呼、実に僥倖ぎょうこうだ。この出会いは奇跡にさえ相当する。今宵の目的はイヴだけとエルヴィスには伝えたが、前言撤回させてもらおう。なるほど、運命は少なくとも今、俺を味方しているらしい」

「なにを言っている? 頭、大丈夫か?」


 男はロイを置いてけぼりにして、1人で歓喜に打ち震えていた。まるで本物の神からの奇跡を目の当たりにした宗教の信者のように。

 否――事実、その男にとって、ロイとのこの出会いが本当に奇跡だったのだろう。でなければ、これほどまでにどこか感動にも似た興奮、あるいは興奮にも似た感動で嗤うわけがない。


「一応、自己紹介ぐらいはしておこう」

「――――」


「俺は魔王軍最上層部、純血遵守派閥、黒天蓋こくてんがいの序列第6位、【霧】のゲハイムニスだ」

「…………ッッッ!」


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