2章6話 19日21時 イヴ、促される。(1)



 運搬という言葉がある。人や物を運び、別の場所に移すことだ。全然難しい言葉ではない。むしろ子どもでも知っている簡単な言葉に該当する名詞だろう。

 それはロイの前世の日本でも、グーテランドでも変わらない。


 そして、リタは言っていた。魔王軍に縁があるから、グーテランドに送られるスパイは、みな一様に死霊術を習得しているのを知っている、みたいなことを。

 無論、彼女が説明したように、敵の霊魂を掌握して現地で仲間を増やしたり、敵国の墓地を利用してゾンビ集団を操作したりするため、というのもウソではない。


 だが、リタは魔王軍に縁があるといっても、今では少し曖昧な立場に立っているので知らなかった。

『敵の霊魂を掌握して現地で仲間を増やす』という1つ目の理由と、『敵国の墓地を利用してゾンビ集団を操作する』という2つ目の理由だけ知っていて、魔王軍が死霊術をスパイの必修科目にしている上で、一番重要な3つ目の理由は説明されていなかった。


 たとえば、グーテランドでは『宗教』と『倫理』なんて理由で死霊術が許されていない。

 それは第2部後編4章6話、ヴィクトリアとレナードが語り合ったとおりだし、実際、ロイが死んだ時の蘇生にも、死霊術は使われていなかった。


 では、そのグーテランドに、死霊術を修めた人員を複数人送り込むとどうなるのか?

 無論、スパイが全員、熟練度の高低は置いておいて死霊術師である以上、その肉体、器には、2人分以上の霊魂が宿っていることになる。


 つまり、これは死霊術が禁止されている国家に、その禁止されている魔術にかなり密接に関わっている媒体、霊魂を運搬――いや、より厳密に言ってしまえば密輸した、ということだ。


 リタの行い、自称・ヒーロー活動はハッキリ言えば法に基づかない処刑ということで違法なモノだったが――しかし、彼女がスパイの人数を減らさなければ、さらにヤバイことになっていたはずである。

 当然ただの結果論ではあるが、リタは本当に素晴らしいことをしたのだ。


 さて、死霊術における霊魂の解放には、主に3パターンある。


 リタが女スパイにしたように、死霊術師本人を殺して解放。

 前回の大規模戦闘で魔王軍の幹部がアリシアを倒すためにしたように、消費して解放。

 そして、今まで束縛していて悪かったね、と、殺されもしないし、消費しもしないが、使わなくなったので解放。


 主にこの3つのパターンによって、死霊術師の体内に宿る霊魂はようやく偽りの器から逃れることができるのだ。


 しかし鎖から解き放たれることと、天国に逝けたり輪廻転生に還れたりすることは、決して同義ではない。

 未練があれば地上を彷徨さまよう亡霊になるし、なんらかの魔術的な鎖を使い特定の土地に縛り付ければ、地縛霊にもなりえる。


 まして死霊術師にストックとして扱われてきた霊魂だ。まともな死に方はしていないはず。いや、十中八九、戦争に霊魂を使うから死んでくれ、と、そう言われ、実際に肉体を殺された霊魂がほとんどだ。

 未練なんてあって当然の代物である。


 逆を言えば――、

 ――未練を意図的に残した状態で殺害、魂のストック化、それをしたあとで敵国に侵入し、3番目のやり方、今まで束縛していて悪かったね、と、解放すれば、敵国に幽霊を解き放ち、そして『それに呼び寄せられるモノ』を呼び寄せることになる。


 つまり、これが密輸の目的。

 ゆえに、リタは3番目ではなく1番目のやり方で霊魂を解放させてあげたから、彼女は素晴らしいことをしたことになるのだが(1番目のやり方だと3番目のやり方と比較して、自分を道具として扱った死霊術師の絶命によって解放されるという性質上、霊魂の未練、鬱憤うっぷんが解消されやすい=霊魂が地上を彷徨う亡霊になりにくい)、それはさておき、重要なことは他にもある。


 グーテランドに幽霊を解き放つ。これは死霊術を禁止している以上、七星団が魔王軍との魔術戦において最も注意していることの1つだ。

 つまり、対処法ももちろん用意している。用意していないわけがない。具体的には、光属性の迷える魂を天に導く魔術という対処法を。


 その魔術はたとえば第1特務執行隠密分隊ならば、イヴはもちろん、アリスとマリアにだって使えるし、他の分隊でも、ほとんどの魔術師が使えるだろう。

 それほどまでにポピュラーな魔術。


 それは即ち、魔王軍の本部にも情報が行き届いていて然るべき、ということ。

 ゆえに、そこで魔王軍の参謀指令室は考えた。幽霊を解き放って、バレるか否かが鍵だ、と。


 そして――、


「物質なくして現象はありえない。だが、現象なくして物質もありえない。


 科学と魔術は密接に関わっており、空間を占める質量に比例して重力が増えるように、時間を占める情報量に比例して魔力は増える。


 霊魂とは人が一生を懸けて脳に蓄えた記憶、世界の情報そのものであり、長年のそれを瞬間的に解放するからこそ、死霊術師は魔術の技量を底上げできる……か。


 本当に、胸クソ悪い。こんな魔術も、それを利用する俺自身さえも」


     ◇ ◆ ◇ ◆


「あれ? 念話だ。誰からだろう?」

「シィ、今は任務中よ。手短に終わらせなさいよ?」


 同日、ティナが祖父の墓参りをした夕方から数時間後――、

 経験を積ませるためだろう。第1特務執行隠密分隊は王都の夜間巡回を命じられ、七星団の制服に身を包み、街灯によりほんのりと淡い橙色が灯る、石造り建物が並び、レンガを敷き詰めたような街並みを歩いていた。


 その一員、シーリーンのアーティファクトに着信が入ったのは、4人が夜の市場に足を踏み入れて、ほんの数分後のことだった。

 市場には夜の9時とはいえ数多くの人やエルフやドワーフが行きかっており、日中とは違う賑わいを見せていた。ある者は仕事終わりに酒を飲み、またある者は破滅しない程度に楽しく仲良くギャンブルに花を咲かせていた。


「はい、もしもし?」


『シィ! 大変だ! 落ち着いて聞いてほしい!』


「えっ? えっ? 待って、ロイくんだよね? うん、ロイくんの方こそいったん落ち着いて? ねっ?」


 ロイ、という言葉に反応するシーリーンの近くにいたアリスとイヴとマリア。

 シーリーンはロイがアーティファクトの向こう側で深呼吸している間に、念話をスピーカーモードに切り替えて、彼女たちにも聞こえるようにする。

 そして数秒後、ロイが落ち着きを取り戻すと――、


『アリシアさんからとある情報を手に入れたんだ』

「お姉様から!?」


 と、折角、七星団に入団できたのになかなかアリシアに会えないアリスが驚く。


『うん、どうやら、魔王軍は王都にトラップをしかけていて、それが発動するのが今夜らしいんだ!』


 その情報に顔を見合わせる4人。

 しかし愛するロイからの情報なのに、イヴ以外の3人の表情かおには、どこか疑問、疑惑の色が表れている。なんとなく、スッキリしない。なぜか、表情かおが晴れ渡らない。


「弟くん、少し待ってくださいね?」

「? お姉ちゃん?」


 どこか訝しむような顔付きで、マリアがいったん、ロイの話を中断させた。

 それを、やっぱり訊くよね……という表情で、シーリーンとアリスは見守るばかり。


「なぜそれを第1特務執行隠密分隊の上官であるセシリアさんではなく、弟くんがわたしたちに伝えることになったんですかね?」

『セシリアさんは他にも数多くの分隊の指揮を執らないといけないよね? 幸い、ボクはシィやアリス、イヴや姉さんと念話できるから、第1特務執行隠密分隊に関してはボクが連絡を、って』


「弟くんは今、休暇中のはずですよね?」

『それほどまでに緊急事態なんだ』


 黙りこくるマリア。最愛の弟を疑うなんてイヤで、イヤで、自己嫌悪に陥るほど仕方がなかったが……それでも、こういう場合、確認しないわけにはいかない。それが軍事力を持つ組織の一員ということだ。

 声は間違いなくロイ・モルゲンロートのモノだった。喋り方もそうだし、最後の1つに関してはかなり感覚的な話になってしまうが、息遣いもそう。


 なら――、


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る