4章8話 10時47分 シーリーン、死ぬことを考える、が……(2)



「――――ッッ、当たり前なことだよね! なんでシィがロイくんよりもジェレミアなんかを優先しなくちゃいけないの!? なんでロイくんの影響よりもジェレミアなんかの影響の方が強いの!? 自殺する前に気付けた! ジェレミアになにかされるかどうかよりも、ロイくんやアリスにどう思われるかどうかの方が重要に……ッ、大切に決まっているもん! ~~~~ッッ、イジメっ子に対する恐怖が! 救ってくれたみんなに対する感謝を! 上回るはずないもん!!!!!」


 そしてシーリーンは再度、右手の人差し指に魔力を込めて――、

 振り向きざまに――、


「そこ――ッ」

「…………っ」


 大気を走る魔力の弾丸。

 それは木々に隠れて小声で詠唱していたジェレミアの頬を擦過さっかする。


 なにをされたのか理解できなかったジェレミア。

 そう、この瞬間、生まれて初めてシーリーンが彼に血を流させたのである。


「よくわかったねぇ……ッッ、オレが隠れて詠唱しているってさァ!?」

「ロイくんが言っていた! あなたみたいな人は大抵、身の安全を確保した上で攻撃してくる、って!」


「クソがァ……!!! マジでご主人様に刃向かいやがって! 誰もバカになれなんて命令していないだろうが! マグレが一回起きた程度で調子に乗るなよ!?」

「マグレなんかじゃない! アリスが教えてくれていた! 索敵魔術はこの戦いの間、永続発動しておきなさい、って! だからなんとか落ち着くことさえできれば、シィにだって敵の場所ぐらいわかるもん!」


 姿を現したジェレミア。

 それを見てシーリーンは少しだけ震えるも、すぐに気を持ち直して震えを我慢し、涙を浮かべながらも、凛とした表情で彼に交戦の意思がある視線を向けた。


「怖くないのかな~、このオレがさァ?」

「正直……すごく、怖い」


 シーリーンは指摘されると、一言の反論もなく、それを認めてしまった。

 しかし、こういう場合、続きがあるのが道理だった。


「さっきまで泣いていたし、震えていた。吐き気もしたし、眩暈もした。寒気もしたし、過呼吸にもなりそうにだったし、我慢しているだけで、今もそう。そして、最終的には本気で自殺まで考えた。たぶん、馬車に乗る前にトイレに行っていなかったら失禁したかもしれないし、アリスたちの応援がなかったら、すでに恐怖で気絶していたかもしれない。それぐらい……怖いよ」


「困るねぇ……。失禁と気絶は別にいいけど、流石に死体の相手は遠慮したい。女の子は温かくてやわらかくあるべきだ。さて、それで?」

「?」


「まさかとは思うが、この幻影魔術を使えるオレに本気で立ち向かう気かい? 特別に言い訳を聞いてやる。裸になって土下座して感謝しろ」

「……ッッ! イヴちゃんが、言っていた」


「ハァ? ロイの妹がなにを?」

「相手がどんなに怖い強敵だろうと、人は人。最後にヘッドショットさえ決めれば、それでシーリーンさんの勝ちなんだよ、って!」


「~~~~ッッ!!!」

「マリアさんも言っていた! 相手がどんなに強力な魔術を使えても、そこには必ず守るべき原則がある! 相手よりも魔術について深く考えれば、たとえ幻影魔術が待ち構えていても、必ず攻略法は残っているはずですからね、って!」


 そうだ、ここで勝利を掴まない限り、自分はとんでもなく酷いことをされる。

 だから、怯えていたのは当然のリアクションかもしれない。


 だが――、

 しかし――、


「シィとあなたの実力差は火を見るよりも明らか! 普通ならどこからどう考えても勝てるわけがないし、みんなも、それを理解していないわけがない!


 けど、それでも! みんなはシィに勝ってほしいと願ってくれていた! 気休めは言わなかったけど、誰もシィが絶対に負けるとは言わなかった! シィの勝利を一番諦めていたのは結局、シィ自身だったんだよ!


 それに気付いたから、気付けたから――シィはもう、どんなに怖くても、それを超える勇気で戦える!」


「勇気なんて……バカにしているのか!? 口にすれば子どもでもイジられるような言葉で、この現実、この実力差を超えられるわけがないだろうが!」


 ジェレミアは激昂する。

 勇気なんて子どもでも鼻で笑う言葉を戦える理由にされて、抗われるどころか遠回しにバカにされていると思ったのだ。


 しかし、シーリーンはそんな彼を無視して大きく深呼吸した。とある決断をするのに、必要なことだったのだろう。

 そして気持ちを落ち着かせて、ジェレミアのことを真正面から見据えると――、


「シィにはまだ、ね? この世界でやりたいことが、たくさん残っているの」


「ハァ? やりたいこと? シーリーンに?」

「まだロイくんと結婚式を挙げていない。子どもも授かっていない。新婚旅行にも行っていないし、そして、指輪もまだもらっていない」


「――――ッ」

「シィはロイくんを見続けて答えをもらった。生きることは素晴らしいことなんだ、って。だからシィはこんなところ自殺なんてしない、って、そう思い留まることができたんだと思う。あるかもしれない未来を、ドブに捨てるなんてことをしないですんだ」


「キミィ……ッ」

「こういう挑発をすると、さ? ロイくんとアリスに絶対に怒られるだろうけど――――シィに乱暴をしたいなら、実際に試してみればいい。できるものなら、ね」


「…………は?」

「未来を守るために決めたことだよ。なにをされようが拒絶して、どれだけ怖かろうが抗って、最終的に、あなたは確実にシィが殺す」


 生まれて初めてだろう。

 ジェレミアがシーリーンの目を見て恐怖したのは。


 この女は本当にいつか自分を殺す。

 幻影魔術の最中は相手に攻撃できないから、気絶の隙に殺しておくことも不可能だと、それをわかった上でこう言っているのだ。


「まぁ、死ぬよりはずっと上等だもん。別れ際に、イヴちゃんも言っていた。結局、心も壊れずに勝利を掴むのが、やっぱりベストなんだよ、って。だからシィは目指す。逃げもしない。負けもしない。完全無欠にあなたを叩きのめして勝利を手にする未来を」


 啖呵たんかを切るシーリーンとは翻って、ジェレミアの顔は激怒……あるいは恐怖に染まっていた。

 信じられなかったのだ、シーリーンが自分に身体を許してくれないなんて。物事が自分の思いどおりに進まないなんて。


 自分は貴族なのに、目の前の女は大人しく寵愛ちょうあいを受けないと言う。

 ふざけるなという罵倒がジェレミアの喉元まで出かかった。両手を血が滲むぐらい握りしめて、地団駄さえ踏んでしまう。


「クソがァ! あまり調子に乗るなよ、シーリーン? 調子に乗れば乗るほど、負けた時、お仕置きがハードになるぞ?」

「シィは本気であなたを殺すつもりなのに、理由はどうあれ生かしておく意思があるなんて、余裕だね」


「ば、っ、バカに! っ、し、しやがって! できるつもりか、【幻域】を攻略するなんて!? 魔術を5つしか使えなく、その中に【零の境地】が入ってなく、時属性と空属性の適性が低いキミが!?」


「できるよ。最愛のロイくんがやってみせたことを、シィがやってできないなんてありえない」

「き、きき、っっ、気に喰わないねぇ! 好きな人を思い描いて勇気が湧いてくるなんて!」


「気に喰わなくてもけっこう。誰になにを言われたって、好きな相手のために頑張るのは人として当然のことでしょ?」

「…………ッッ」


「さて、と――――ずっとずっと長い間、溜め込んでいたことは言い終わった。流石にそろそろ再開かな? 幸いにもここは治外法権らしいし、シィをオモチャにしたいあなたにとっても、あなたを殺したいシィにとっても都合がいいよね。やったらやり返される覚悟はいい? シィは当然、できているよ」


 そこまでシーリーンが言うと、以降は張り詰めた空気が広がる。

 次に使うのは光属性の魔術だと、互いに察しが付いていた。

 ゆえに、光属性の魔力が落ち着いた瞬間――、


「――【光り瞬く白き円盾】!」

「――【零の境地】!」


 言わずもがな、【零の境地】は魔術を無効化する魔術だ。具体的には、魔術Aと正反対な波長の魔術マイナスAをぶつけて。

 ゆえに、対象が光属性の魔術なら【零の境地】も光属性、対象が炎属性の魔術なら【零の境地】も炎属性、という構成になるのである。


 畢竟、無効化されるシーリーンの【光り瞬く白き円盾】。

 あれだけ吠えておきながら、ジェレミアから言わせればワンパターンでしかなかった。


 無論、【幻域】を防御する方法は限られているから、仕方がないことではあるのだが、次することに予想が付く以上、先刻のような手が二度も通用するわけがなかったのだ。


 しかし――、

 無効化されて【光り瞬く白き円盾】が霧散すると――、


「ハァ!? 2枚目の防壁だとぉ!?」


 やられた……ッ、大失態だ……ッ、と、ジェレミアは強く苛立つ。自分で自分を罵倒する。まさか二度もシーリーンの逃走を許してしまうなんて、と。

 屈辱だ。羞恥心さえ湧いてくる。


 彼女が仕組んだことは子どもでも思い付くぐらい単純だ。

 先刻、ジェレミアに光を拒絶する【光り瞬く白き円盾】を見せたから、彼は【零の境地】を発動してくると予想。だが、【零の境地】で無効化できる【光り瞬く白き円盾】は1枚だけだ。2枚以上無効化するためには、その分だけ重ねて詠唱なり、詠唱零砕なりをしなければいけなかった。


 つまりシーリーンがしたのは、ただ単純に【光り瞬く白き円盾】を二重奏デュオで発動するだけ、という作戦に他ならない。


「クソォオオオ! これは犯したあとに四肢をもぐべきかもしれないねぇ……っ!」


 ドン……っ! と、憤怒を発散するように、ジェレミアは透明ではない純白の【光り瞬く白き円盾】に拳をぶつける。

 あくまでも対【幻域】用の魔術防壁ということで、あっけなくそれは崩壊するも、すでにシーリーンの姿はそこになかった。


 無論、それは逃亡ではない。

 今度こそ、それは戦略的撤退だった。


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