2章4話 演説、そして戦慄



 そして十数分後――、

 ロイはアリシア師団の一員として集合時間に間に合うように、集合場所にやってきた。


 たとえ誰かに指示されずとも、そこにすでに集まっていたアリシア師団の一員たちは自分たちで整列し始めていて、ロイもその自分が混じるべき位置に混じる。


 自分の1列前よりさらに前にはすでに数十列にわたり整列が完了していて、ほんの数秒前に列に混じったはずなのに、もうロイの背後にも十数列が整列完了している。

 無論、1列に3人とか5人ぐらいしか立っていないから列ができやすいというわけではない。1列に目算で15~20人ぐらい立っていそうなのに、早々に列は後ろの方に伸びていく。


 夜明け。

 もう山稜さんりょうの向こうでは朝日が昇り始めようとしていた。雪を被った大自然の凹凸は北の向こうから南の果てまで真っ白に染められていて、それがたった今昇り始めた燃えるような朱色の朝焼けに照らされて、地上に星々が顕現したかのように美しく瞬いている。


 冬の夜明けの屋外ということで、北風は刺さるように冷たい。もはや耳とか指先とか、肌が露出している部分には痛みさえある。雪が降っていないのが幸いとはいえ、気温は紛うことなく氷点下だった。

 そしてロイがすることがなくて再び前を向いた、その時だった


『みなさん、おはようございます。今から遠征開始ですが、昨夜はゆっくりぐっすり、戦闘前最後の余裕ある睡眠を堪能できましたでしょうか? 睡眠不足は判断能力を低下させますので、最低でも8時間は寝てくださっていると幸いです」


 刹那、そこにいた全員が前を向いて姿勢を正す。

 師団長、特務十二星座部隊の序列第2位、【金牛】のオーバーメイジ、アリシア・エルフ・ル・ドーラ・ヴァレンシュタインが待機列の最前にあると思しき壇上に立ち、ここに集まった全員に語り始めたのだ。


 森に吹き抜ける爽やかな風のようにサラサラで、同じ色なのに本物のゴールドよりも綺麗に瞬いていて、この世界の美の女神すら羨むようなブロンドのふわふわウェーブのロングヘア。

 まるでサファイアのような蒼い瞳はおっとりとした物腰とは裏腹に、優しげではあるものの間違いなく芯の強さを秘めていた。そして透明感のある本来色白の肌、頬には寒さのせいで可愛らしく乙女色が差されている。


 女性らしい丸みを帯びた身体。

 七星団の制服がタイトなのも相まって、胸は生地をとても窮屈そうに内側から押し上げていて、下もおしりのラインがハッキリ見て取れるほどである。


 彼女の身体はまさに世界中の男性の理想と言っても過言ではない。

 普通なら、アリシアがどのように勇ましいことを言ったとしても、女性としての美しさが先立ってしまうだろう。そもそも彼女の性格がおっとりしているし、いつも口調が穏やかだから。


 だが――、

 ――今は違う。


『言わずもがな、これから魔王軍の一部隊と大規模な戦闘が起き、私たちはそこに参戦します。敵は王国にあだを為す魔物の大群。それを統べるのは魔王の穢れた寵愛ちょうあいを受けている魔王軍の幹部。光であることを否定し闇の住人であることを選び、善であることを拒絶し悪の信者であることを甘んじて、この世界に破滅をもたらそうと企む咎人とがびとの集いです。慈悲はいりません。これは戦争なので、人殺しもやむなしです」


 静かに、しかしなぜか絶対に逆らえない透明な圧力を放ちながら、アリシアは続ける。


『勝利とは我々が美酒を美味しく飲むためにあるモノです。敗北は魔王軍という大罪人たちに苦汁を舐めさせるためのモノです。これに一切の間違いはなく、そしてこれを為すのはみなさん全員の剣と魔術と全力です。持てる力の全てを出せば、必ず、このたびに限らず幾度となく勝利を掴めることでしょう』


 今、アリシアが喋っているのはただの遠征前の演説だ。

 戦いに臨む戦士たちを鼓舞する、言ってしまえばパフォーマンスである。


 しかし、本番前のただの前座で、ロイの全身は強く痺れるように震えた。

 なんだこれ……っ、と、ロイは内心の驚愕を表に出さないようにするのに精一杯だ。


 アリシアは決して、ここに集合した全員に死ぬことを恐れなくしている魔術を発動しているわけではない。現時点で彼女が使っているのは、声を反響させる無属性の音系統の魔術だけだ。

 アリシアの性格はいつもおっとりしている。口調は穏やかで、発音は滑らかで、語る仕草は大人びていている。


 だからアリシアが勇ましいことを口にしても、たとえばエルヴィスが同じことを言った方が効果あるように思えるだろう。


 しかし、とんでもない――ッッ、と、ロイは焦燥する。

 否、それはロイだけの狼狽ではなく、ここに集まった全員が、たとえ以前にもアリシアの演説を聞いたことがある者でも、みな等しく何度でも感じる狼狽だった。


 アリシアは、言ってしまえば存在感、たとえ常日頃からとまったく同じ調子で喋っていても、私が、壇上に、立って、喋っていますよ、と、それだけの事実でここに集う全員を、1人残さず奮い立たせる。


 ゆえにロイは思った。

 シンプルにあの女性は生物としてではなく、存在として格が違うのだろう、と。


『勝利は約束されています。怖れることはなく、慄く必要もありません。魔王軍が攻めるというのなら、悉く返り討ちにして、逆にこちらが攻めるなら、悉く魔王軍の守りを撃ち滅ぼす。自明の理、戦争を終わらせるには、終わるまで戦争するしかありません。そして勝利するためには、敵に敗北を押し付ければいいだけのことです。安心してください。少なくとも今回は私が前線に出るんです。死傷者0名といううのは流石に現実的ではないですが――もう一度言いましょう。勝利は約束されています』


 あまりにも簡単にアリシアは言葉を並べる。

 彼女の語る理屈そのものはわかる。だが、終わるまで戦争するしかない、と、言っても、それが何年かかるかは誰も知らない。敗北を押し付ければいい、と、彼女は言うが、その難しさは誰にもわからない。


 しかし――、

 ――お日様が気持ちイイ日に散歩するぐらい自然に、月と星々が綺麗な夜は気分よく寝付けるぐらい当然に、アリシアがあまりにも簡単に言うものだから、そう、全員が全員、信じてしまう。


 本当に勝利は約束されているのだ、と。

 無論、全員、そんなこと本当はありえない、と、頭の片隅では理解している。


 だが、重要なのはそこではない。

 やたらアリシアの言葉には安心感があったのだ。


 矛盾しているだろう、安心感があるはずなのに、つい先刻、驚愕したのだから。だが事実、安心感と驚愕に似た身体の震えは両立している。だから、これは矛盾ではなく二律背反なのだろう。


 そして焦点を戻すが、まるで赤子に戻って母の両腕の中で眠るような安心感があるから、本当は勝利が約束されているなんてありえない、と、ネガティブなことは封印される。

 そしてアリシアは――、


『ふふっ――それでは、往きましょうか。以上をもって、遠征前の師団長、アリシア・エルフ・ル・ドーラ・ヴァレンシュタインの挨拶といたします』


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