2章2話 最後のやり取り、そして愛の告白(2)



『お兄ちゃん!』『弟くん!』


 焦るようなイヴとマリアの声がアーティファクトから聞こえてきた。


 そんな2人にロイは努めて落ち着いて、意図的に余裕を持った声で――、


「うん、なんか戦場に往く前にみんなの声が聞きたくて念話しちゃった」


 アーティファクトの向こうで、イヴとマリアが返事に詰まる。あまりにもロイが自分たちのことを配慮して、心にゆとりがある感じで言ったから、自分たちとのギャップに戸惑ったのかもしれない。

 そして、イヴがなにを言うべきか頭に浮かぶ前に、マリアが――、


『弟くん――1ついいですか?』

「なにかな、姉さん」


 マリアは大人が子どもに子守唄を歌うように愛おしそうにロイに言う

 翻り、ロイの方も穏やかな声音で相槌を打つ。


『わたしは弟くんのことを、心の底から愛しています。当然ですよね。血の繋がった姉と弟なんですから。それで――、その――、弟くんの方も、わたしと同じですよね?』

「うん、当然だよ、姉さん」


『なら、わたしのワガママかもしれませんが、たとえ弟くんでも愛している人を悲しませるのは許しませんからね?』

「うん、わかっている。肝に銘じておくよ」


『帰ってきたら、いっぱいいっぱい、お姉ちゃんが弟くんのことを甘やかしてあげますからね? 疲れているでしょうから、お風呂で背中を流してあげますし、寂しい思いをした分、添い寝だってしてあげます』

「えっと、まぁ、スキンシップが激しい気もするけど……うん、帰ってきたら、ね」


 ロイは困ったように返事をして、でも、最終的に約束を結ぶ。

 なら、もう、マリアに言える次の言葉は1つだけだった。


『では、いってらっしゃい、弟くん。お姉ちゃんはいつまでも弟くんの帰りを待っていますからね? たとえどんなに離れていても、あなたのことを愛しています』


 と、そこでコソ……という小さくて、そこまで耳障りでもない雑音が入る。

 十中八九、マリアがイヴにアーティファクトを譲ったのだろう。


『お兄ちゃん……』

「イヴ、そんな悲しそうな声をされると、少し困るよ?」


 心細く思っている自分の妹を安心させるために、ロイはあえて軽く言う。

 だが、それでもイヴは――、


『お兄ちゃん、わたしね? お兄ちゃんのこと大好きだよ?』


 ――兄に対する想いを我慢できず、ロイの日常を意図的に演出した発言に背くような兄妹愛の告白をする。

 自分の配慮を覆された。なのにロイは、やっぱりイヴはイヴだなぁ、と、イヤに感じるどころか微笑んだ。


「うん、ボクもイヴのことが大好きだよ」


 それはロイの偽らざる本心だった。妹として、ロイはイヴのことを愛している。

 今、この展開で、これ以外の返事をすることなんて、ロイにはありえなかった。


『わたし、お兄ちゃんの妹で本当によかったよ。なんか、今伝えないと後悔する気がするから伝えるけど……わたしのお兄ちゃんがお兄ちゃんで、子どもっぽいって思うかもしれないけど、本当にみんなに自慢できたんだよ? ロイ・モルゲンロートはわたしのお兄ちゃんなんだよ! って』


「うん、それならよかった。妹が自慢できる兄になれて」


『頑張ってね、お兄ちゃん。お姉ちゃんと似たようなことを言うけれど、わたしもお兄ちゃんが帰ってくるのを、ずっとずっと待っているよ? お兄ちゃん、大好きだよ』


 と、そこで唐突に向こうのアーティファクトがゴゾ、と、音を立てた。

 どうやら別の誰かがイヴからアーティファクトを奪ったらしい。

 その人物とは――、


『センパイ、おはよう!』

『おはよ……う……ご、ざいます……』

「おはよう、リタ、ティナちゃん」


 明るい声でリタが、オドオドした感じでティナが、ロイに挨拶する。

 すると、早々にリタがロイに質問を繰り出してきた。


『センパイさぁ、帰ってきたらなに食べたい? 豚肉? 鶏肉? それともやっぱり奮発して高級な牛肉?』

「リタは相変わらずだね。しかも候補が全部お肉じゃん」


 ロイは気が抜けたように笑う。気だけではなく、張り詰めていた肩の力も抜けたようだった。

 いつも明るいイヴと、元気なリタ。イヴは落ち込んだ感じになってしまっていたが、リタの方はいつもどおりで、ロイは戦場に往く前、最後の日常らしさを噛みしめる。


『で、どう、センパイ?』

「全部、っていうのありかな?」


『おおっ、流石センパイ! それでいこう!』

「うん、もしよければボクの奢りで」


『そういうことなら、センパイ。センパイの帰り、みんなで待っているからな? ご飯はみんなが揃ってから食べ始めないと意味ないし』

「うん、そうだよね」


『なら、次はティナに変わるぜ?』


 やっぱり、なんだか賑やかな女の子だなぁ、と、ロイはリタのことを微笑ましく思う。

 いや、リタは賑やかで、悪く言えば騒々しいが、しかし一見バカっぽく見えても、実のところ物事の本質を見極めている節がある。


 もしかしたら今のやり取りも、自分のメンタルを察して――と、ロイは口元を緩める。

 こんなことを思っている間に、リタからティナのアーティファクトの受け渡しは完了したらしい。


『……あ……、っ、……、そ……の、先輩』

「うん、大丈夫だよ。話し終わるまで、ボクはここにいるから」

『う……ぅう、……っ……っ、ぅ、……、グス……、っっ、っ……』


 どうやらアーティファクトの向こうでティナが泣いてしまったようだ。

 嗚咽が聞こえる。涙は見えないが、涙を服の裾で拭う音は聞こえてくる。


 当たり前だ。

 以前、アリス、つまり好きな人に戦場にきてほしくない、と、ロイとレナードが話したように、ティナだって淡い恋心を抱いていた彼に、たとえ手遅れだとしても戦場に往ってほしくないのである。


 まして、ティナはロイほど心が強くない。

 だが、それではダメだとティナは心を強く持つ。


『先……、……、っ、……輩、グス……、……あ、の…………、っ』

「うん、どうしたの?」


 涙声で、ティナはなんとか、精一杯、ロイに呼びかける。

 それを、ロイは一切急かすことなく訊き返した。

 その優しい促しを受けて、ティナはありったけの勇気でロイに伝える。


『~~~~っ、帰って、きたら、大切なお話が、ありま……、っ、す!』


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