4章14話 ロイ、そして小隊長(4)



「勝てますよ、みんなとの約束がありますから」


「――――」


「不本意な離別なんて、もう認められないんです」


 言うと、ロイは全速力でガクトから距離を置く。

 悪く言えば逃走、良く言えば戦略的撤退だ。その2つ、実際にどちらの表現が正しいかは、決着が付かない本人たちだろうと知る由はない。


 翻り、ガクトは距離を稼ぎ始めるロイのことを追走し始める。

 あと少しで敵の息の根を止められるというのに、この状況で追いかけないわけがない。


 まさに命懸けの逃走と追走だ。

 ロイは逃げきれれば生き延び、追い付かれれば殺される。ガクトは逃げられれば自分の正体を七星団全体に盛大にバラされて、追い付ければ無事に任務を完遂できる。


 だが無論、この競争はどこからどう考えてもガクトの方が圧倒的に有利だった。


 実際、右足を負傷し、左目を失明しているロイは早々に彼我の距離を詰められてしまう。

 しかし敵が近づいていることは、もはや彼にとって、死にたくないからますます足の動きを加速させる理由にしかならない。


 死にたくない、殺されたくない。なら、たとえ顔面の半分から夥しい血液を流しても、走るしかない。

 生き延びたいのだ。最愛の人たちにまた会いたいのだ。なら、たとえ今後の人生で身体を動かせなくなるほどの激痛が襲っても、走り続けるしかありえない。


 ウソ偽りなく死に物狂いで、脚の筋肉が裂傷を起こすほど全力で。

 呼吸を荒くしてでも、喉の奥が砂漠のように乾いても、気を緩めたらその瞬間に発狂しそうでも、死ぬよりは格段にマシなのだから。


 しかし――、


「――【魔弾】――」

「グハ……ァッッ!?」


 器用にも的確に、ガクトは追走しながら、逃走するロイの負傷していない方の足、左足に魔術を撃つ。

 その瞬間、肉を抉る痛々しく、猟奇的で鈍い音が深夜の森に大きく木霊した。


 無様にも派手に転倒するロイ。

 彼は積雪の上に盛大に倒れ込み、立ち上がろうにも右足だけではなく、たった今、【魔弾】が貫通した左足も言うことを聞かない。


 雪の上でもがくロイの傍に、刹那、人影ができる。

 結果、ガクトが転倒した彼に追い付くのは必然だった。


「神に祈りは済ませたか?」


 と、ガクトは絶対零度のように冷徹な声音でロイに問う。

 それ以上の慈悲は必要なく、それ以下に蔑ろな扱いも必要ない。一方的とはいえ殺し合い、互いに全身全霊を以って剣を撃ち合わせた相手には、これが丁度いい手向けの言葉だった。


 だが、ロイはガクトの問いに答えない。

 訝しむガクト。一方でロイは――笑う。


「なにがおかしい?」

「おかしいじゃない。嬉しいんだ」


 まるで生き残ることが確定したように、ガクトのことを殺す算段が付いたように、ロイは殊更ことさらに笑う。

 ニッ、と、口角を吊り上げて、強敵との出会いに感謝し、今回の戦いもキチンと自らの糧にできたと言わんばかりに。


「――気に触れただけか」


 ガクトは剣を夜空に掲げる。その切っ先は月明かりに煌いた。

 殺し合いに思い遣りの心は不要。敵とはいえども敬意を持ち、尊重し、そして殺すべき時に殺すべく殺す。たとえ敵に愛する恋人、家族、友達がいたとしても、人を始末することに対する躊躇いはとうの昔に捨て去ったのだから。


 だが――違う。

 ガクトは最後の最後で、ロイ・モルゲンロートの真価、真髄を見誤った。


 そう、眼前の少年は敵が自分の恋人や家族や友達を考慮しない時、それを是が非でも許すわけには、認めるわけにはいかなかったのだ。

 許すわけにはいかない。認めるわけにはいかない。ゆえに、ならば自分が勝利を収める以外に道はない。

 ゆえに、ロイは大声で叫び――、


「違う、この殺し合い! ボクの勝ちだ!」


 ガクトに向けて右手の平を向けるロイ。

 だがガクトが感じる分に彼から魔力反応はしなかった。


 騎士なのに剣を持たない絶体絶命のロイに、ガクトの剣の切っ先が闇夜と大気を切り裂いて即速と迫る。

 狙いは心臓で、結果は必殺。転倒しているロイに、今さら立ち上がって走り出して回避する手段はどう考えても皆無だった。

 そして――、




「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!?」




 次の瞬間、その身体に深々と剣が突き刺さった。

 口からドバ……ッッ!!! と、大量の血液は吐き、その剣はからを貫通している。


 間違いなく、肺の下の方と、胃腸や肝臓、それらに加えて、その周辺に位置する筋肉が、人として致命的なレベルで終わったのだろう。


 ドサッ、と、完璧に倒れ込み、急激に身体は冷え始めて、純白の地面を鮮血で真紅に染め上げる。

 敵に見下されながらも、彼は鬼の形相で敵を威嚇するしか、もう、できることはない。


 そして勝者は――、




「ハァ、ハァ……だから言ったじゃないですか、この殺し合い、ボクの勝ちだ、って」




 ――ロイ・モルゲンロートは荒く浅い呼吸を何度も繰り返しながら、紙一重の勝利を掴み取った。

 そう、この殺し合いは今、勝者はロイで敗者はガクトという形で終焉を迎えたのだ。


 雪の上に倒れながらも上半身を起こしているロイは、上半身すら起こせないガクトのことを寂しく悲しそうな目で見つめる。

 彼の身体はもう、まだ生きているとはいえ、取り返しが付かないレベルで冷えていた。


「一体……なぜ……、っっ」

「エクスカリバーのスキルは使い手のイメージを反映するというモノです。そこでボクはたとえ戦闘の最中に落としても、使い手の任意で手元に戻ってくる剣。エクスカリバーを手から弾かれる直前、予めこのイメージを流し込んでおいたんです。ボクが昔に読んだ本にミョルニルというハンマーがあったので、それを参考に」


「カハ……っ、確かに……落としても手元に戻ってくる剣は……騎士なら……一度は想像するだろう……、……。ゴハッッ……、まさか……、殺し合いの最中に……新しい戦術を…………生み出す、とわな…………」

「あとは簡単です。落とした剣がボクの手元に戻ってくる、そのラインの上にあなたを立たせれば、あなたを背後から突き刺せます」


「そう…………か………………」


 そうして、ガクトはついに絶命した。心臓は止まり、血管を流れる血液の流れも止まり、眼球からは光が消え失せて、無論、呼吸も止まる。

 本当に間一髪の勝利だった。片目が失明している状態、両足が動かせない状態でよく勝利をもぎ取ったものだ、と、ロイは自分のことながら凄いと思う。


 だが、ロイの方も流石にもう限界だった。

 足が動かせないということは、つまり、移動できないということ。


 上半身だけで匍匐前進ほふくぜんしんすることも可能だが……戦闘によってかなり体力を消耗しているのに、この冬の深夜に、果たしてそれだけで気を失う前に要塞に戻れるだろうか?


 ロイが寒さに負けて目を閉じた、その数分後――、

 ――気を失ったロイのそばに、1人の女性がやってきた。


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