4章1話 恋人と婚約者と妹、そして戦う覚悟(1)



「種族スキル、〈守るべき我が主の理想の日常リーバ・マイン・マイスター〉発動! 魔術適性覚醒状態! 詠唱……ッッ、零砕……ッッ!!! 【領域をデァ・ハルター司る番人はデァ・ダス・此処に】ゲビエット・コントロリエッツァ!!!!!」


 そんないかにもメイドらしい詠唱が行われて、カッッ!!! と、一瞬だけ全ての窓の外に、網膜を灼く激烈な純白の光が輝く。そしてほぼ同時にボウッッ!!! と、世界の全てを灼き尽くすような炎と爆音が轟いた。

 ロイの別荘に結界が張られたのと、アサシンが焔属性の魔術の詠唱を終わらせたのにはまさに紙一重の差しかなかった。


 轟々と発生する赤よりも昏い深紅の炎に対し、一瞬先に展開を終わらせる領域結界。

 その結果、領域の外側は見るもおぞましいドス紅い業火一色に埋め尽くされる。身を守るためには仕方がなかったとはいえ、初手で逃げ道は完璧になくなってしまった。


 だからだろう。

 みな一様に身体を強く震えさせて、浅い呼吸を過剰に繰り返している。


 紛うことなく絶体絶命の一言であり、それ以下でも以上でもない死の瀬戸際だ。

 極限の緊張状態に際し、この結界の中、即ち別荘の中で、マリアはクリスティーナに焦りながら、加えて急かす感じで説明を求める。


「クリスさん……っ、これは!?」


「ブラウニーの種族スキルでございます! 厳密には、家を守る際に魔術適性を底上げするスキルで強くなった魔術でございますが!」


「どのぐらい持ちそうですか――っ?」


 切羽詰まった声音でマリアは再度訊く。

 対してクリスティーナはただ短く――、


「追加の魔術を撃たれなければ、あと5分ほど……っ!」


 5分。その宣告を聞いて全員が焦り、特に気が弱いティナなんかは顔面を蒼白にさせた。

 今すぐに念話のアーティファクトで七星団の詰所に通報したところで、5分でここに到着してくれるわけがない、と。


 しかも、あくまでクリスティーナが口にした5分というのは、本人が言うとおり追加の攻撃が放たれなければの話だ。

 普通に考えて、敵はまず間違いなく追加の攻撃を放ってくるだろう。


 絶望。たったそれだけがこの現実をシンプルに表現している言葉だった。


 最期にロイに会いたいと想うシーリーン。

 なんとかして現状を打破するために考え続けるアリス。


 マリアはティナのことを抱きしめてあげて、さらにリタはティナの手を握ってあげており、そのティナは2人に心配されながら身体を激しく震えさせている。

 そしてクリスティーナは結界の外で蹂躙に次ぐ蹂躙を繰り返す業火に対する守りで精一杯だ。


 しかしイヴは――、


「クリス、この結界の一部分を解除してほしいんだよ」


 イヴの言葉に『とある1人』を除く全員が彼女の正気を疑う。

 命の危機にひんしてまともな判断ができなくなったか、と。自暴自棄になって特攻を仕掛ける気か、と。


 だがしかし、イヴのその双眸には間違いなく、生きている証、生き残ろうとしている証である光が差していた。

 しかし、だとしたら理解不能だ。生きることを諦めたわけではないのに、なぜ、それをするのか? クリスティーナの頭ではイヴの思考に及び付かない。


「お嬢様っ、なにゆえ!?」


 と、クリスティーナは狼狽を滲ませながらイヴに問う。


「――『ファラリスの雄牛』と一緒だよ。このまま結界を維持したところで、直接焼かれないにしても、炙り焼きにされちゃうんだよ。それに、仮にこの結界が炎そのものじゃなくて、伝熱さえも遮断できたとしても、密閉された空間だと反撃しようにも、酸欠と一緒ですぐに大気中の魔力が消費されちゃうんだよ。それも、反撃するために使う魔術が強ければ強いほど、魔力消費量が多ければ多いほど、ね」


 フラッ、と、まるで幽鬼のようにイヴは立ち上がる。しかし当然、彼女は断じて幽鬼ではない。

 強く結んだ口元。吊り上がった眉。睨むような鋭い視線。凄絶にして圧倒的。彼女の表情かおは見る者全てをおののかせる戦う覚悟に埋め尽くされていた。


 果たして、普段の明るく無邪気な彼女はどこに行ってしまったのか。

 爪が喰い込み血が滲むほど強く握りしめられた両手は、あまりにも普段のイヴからは想像できるものではない。


 今のイヴの説明には穏やかな口調とは裏腹に、有無を言わせない凄みがあった。

 そして、だ。仮に有無を言わせたとしても、彼女の説明は正しかったので結局、クリスティーナは結界の一部を解除することにする。


「では――お嬢様、結界の一部を解除するにしても、一体どこを解除いたしましょうか?」


 クリスティーナはメイドである。お嬢様であるイヴの指示に逆らう道理などどこにもない。

 死ぬことが怖くないわけがないが、それでも、女中としてイヴのことを信じることを貫く。


 メイドが主を信じずに、一体他の誰が主を信じるというのか。

 メイドが主を信じずに、果たしてメイドは他の誰を信じるのか。


 ――愚問。それは質問の段階で間違えている。

 ゆえにクリスティーナが主の1人であるイヴの言うことに、命が尽き果てても従おうと決意するまで、瞑目し、実に1秒という時間さえ必要なかった。


「解除するっていっても……、どこを解除すればいいのかなぁ……。四方八方を炎に埋め尽くされているわけだし……」


 シーリーンが泣きそうな目で、しかし強い意思の力で目元を拭ってイヴに問う。

 そう、シーリーンの指摘どおり、この別荘は完全に炎で包囲されている。炎の強さは魔力から推測するに10秒もかからずに肉を炭化させる領域レベルだ。北側を空けても、南側を空けても、東の西の片方にしても、必ずその空けた一部から炎が侵入してくる未来は免れない。


 それに対してイヴは――、


「真上、フラスコみたいに上空なら――」

「――待って。死ぬのが怖いのはわかるけど、みんな冷静になろうぜ。どんなに強くても所詮は炎だ。結界、解除するんじゃなくて、2つに増やそうぜ?」


 イヴの発言に1人の少女が口を挟んだ。その刹那、一斉に全員が彼女に視線を向ける。

 イヴに反論したのはいつの間にか彼女と同様に立ち上がっていたリタである。


 リタの真意を見透かすように、イヴは鋭い眼光で彼女に視線を向けた。

 翻って、どこか楽しそうに、愉快そうにリタは口元を歪ませている。


 どこからどう見てもおかしい。

 両者の視線は明らかに友達に向けるようなそれではなかった。


「クリス、この結界の形を教えて」

「はい? えっと、ドーム型でございますが……」


「――ッッ」

「なっ、イヴ、アタシの言うとおりにした方がいいだろ? 炎はこの別荘を全方位から襲っている。なら当然、この別荘を守る結界も全方位に展開されていなくちゃおかしい。少し考えればわかることじゃん。イヴも少し冷静になろうぜ」


 2人にしかわからないやり取りをするイヴとリタ。

 そんな2人のやり取りをイヴの姉であるマリアも、リタの親友であるティナも、戦慄しながら見守るしかできなかった。


 一方でそんな2人の不安をまるで気にせず、イヴはリタに対して真剣な表情かおで睨みを利かせた。

 リタ・クーシー・エリハルトは何者なのか、と、言外に視線で訴えている。


 しかし、だ。

 そのリタ本人はこのような状況でも飄々ひょうひょうとしていて、イヴの目力による追及を真に受けないつもりらしい。


「ほら、早くしないとクリスの結界が壊れちゃうぜ。イヴとアタシがこんなやり取りをしている間に、何発も攻撃を受けているんだし」


「――わかったよ、クリス、もう1枚結界を追加してほしいんだよ」


「か、かしこまりました。で、では! 内側にもう1枚……ッッ」


 と、クリスティーナが追加で結界を展開しようとした、その刹那――、


「違うよ、クリス」

「内側じゃなくて、外側にもう1枚展開するんだぜ?」


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