2章1話 シーリーンの胸の中で、■■がついに――(1)



 遠くから誰かが呼んでいる気がする。


 そう思いロイはまゆに包まれているような感覚の中で意識をハッキリさせて、まどろみを優しく振り払うように起床した。

 起床したと言っても、すでに時は深夜だったが……。


 部屋のガス灯はすでに消えていて、代わりに、窓から月明かりが仄かに差し込んでいた。

 また、まだこの世界では夜になると星々が綺麗に瞬いていて、ふと、ロイは今さらながら(電気がなくても夜って、こんなに明るいんだな)と、感慨深く心の中で呟いた。


 その時、ロイは自分の腹部の近くにいた少女に気付く。


 シーリーン。

 彼女は今までずっと、自分を看ていてくれたのだろう。「ロイくん……ロイ、くん……」と何度も大好きな恋人の名前を呼びながら、すぅ、すぅ、と穏やかな寝息を立てて、ベッドに上半身を倒れ込ませるように眠っていた。


 あどけないシーリーンの寝顔。

 ずっと眺めていたいと思うのに、それでも、ロイは悲しい微笑みを浮かべながら別のことを考えてしまった。


 コン、コン、コン。

 と、数秒後、3回自分の部屋のドアをノックされた。そしてロイが返事をする前に、1人の少女が彼の部屋に入ってくる。


「あっ、ご主人様、申し訳ございません。お目覚めでございましたか」

「――クリス」


 部屋に入ってきたのはクリスティーナだった。

 深夜だというのにメイド服は健在で、小柄な身体に不釣り合いなほどの巨乳で、その服の生地を内側から押し上げている。


 が、注目するべきはその胸の少し下だった。クリスティーナはお湯が入っていて、加えてふちにはタオルがかけられている桶を抱えていたのである。

 そして彼女はお湯の入った桶を部屋の机に置くと、ロイに一言だけ勧める。


「ご主人様、服を脱いでください。わたくしがお身体を綺麗にいたします」

「えっ、でも……」


「今夜は、譲るつもりはございませんよ?」

「ならシィは――」


「ずっと、ご主人様を看ておりました。少し休ませてあげてはいかがでしょうか? それに、メイド以外に裸を見せてしまうのも、少々アレでございましょうし」

「……そう、だね」


 いったん、ロイは今まで眠っていたベッドから立ち上がる。

 一方で意外と力持ちらしいクリスティーナがシーリーンをお姫様抱っこして、ロイと入れ替わらせるようにベッドに横たわらせた。


 続いて素早い動きで、的確に、クリスティーナは今度、ロイの寝間着を脱がし始める。

 と、その時、ロイは自らの服装に関する違和感を覚えた。


「あれ? そういえば、ボクはいつの間に制服から寝間着に?」

「僭越ながら、わたくしがご主人様を着替えさせていただきました。ご主人様のお身体、男の子らしくたくましくて、かなりドキドキしましたよ?」


 小悪魔っぽくクリスティーナは笑う。

 そういえば、以前も彼女はロイの身体に興味を示した。もしかしたら、これぐらいの体型が好みなのかもしれない。


「ちなみに、ヒーリングしたのはイヴさまで、そして、ここまで運んできたのはマリアさまでございます」

「そっか……あとで謝って、お礼を言わないとね」


 ロイは自嘲するように微笑む。

 悲しそうで、物寂しくて、痛々しい微笑みだった。


 嗚呼、ロイは完璧に、自分がなぜ、寄宿舎の自室のベッドの上に運ばれたのかを思い出していた。そして完璧に思い出すことはできたが……霧が晴れない天気のように、気分が落ち込んでいるのはどうしようもないことなのだろう。

 もう、自分で身体を動かそうという気さえ起きなかった。ロイはされるがままにクリスティーナに身体をタオルで拭いてもらう。


「お嬢様――イヴさまのヒーリングで傷そのものは治癒しました。ですが、ヒーリングでは気力、いわゆるやる気とか元気までは回復しようがございません。そこだけは、ご留意ください」

「――うん」


 わかっている。頭ではわかっているつもりだった。

 身体と精神が別モノのように、同じく、生命力と気力は別モノなのだ。


 生命力というのは、文字通り、生きるためのエネルギーに他ならない。

 対して気力、クリスティーナの言うところのやる気や元気とは、勉強をしようとするやる気や、少しスポーツができる元気など、その程度のモノである。


 言ってしまえばモチベーションだ。

 どちらが仰々しいかと問われれば、十中八九の人々が生命力と答えるだろう。


 しかし今のロイには本来、生命力よりもありふれていて、何気ないモノが不足していた。

 そしてそのことを、ロイ本人も薄々自覚している。


 端的に言うなら無力感。

 決定的に叩きのめされた現実からくる、自分自身に対する失望だった。


「終わりでございます」

「うん、ありがとう、クリス」


 数分後、クリスティーナはロイの身体を拭き終える。

 寝汗が綺麗に拭かれたので、気力は回復しなくても、不快感はほとんどなくなってくれたようだ。


 改めて寝間着を纏ったロイは優しく、そっとシーリーンの肩を揺らす。

 で、可愛らしく身動みじろぎしてから、眠たそうにまぶたを両手でゴシゴシしながらシーリーンは起きた。


「あっ、ロイくん!」

「おはよう、シィ。迷惑かけちゃったよね? ……ゴメン」


 素直にロイはシーリーンに頭を下げる。

 もともと彼が変に見栄を張らずに、謝罪する時は正直に謝罪する性格なのもあるが……それにしても、今回の謝罪は目に見えて落ち込んでいた。


 とどのつまり、この謝罪は他人に対してのモノではない。根本的にはロイ自身がロイの弱さを責めているのだ。

 自分で自分を許せないから、それが原因で迷惑をかけたシーリーンに謝罪しているのである。


「ロイくん、あのね?」


 そして、それを察したのだろう。


「うん?」

「つらい時は、つらいって言っていいんだよ?」


「……ッッ」

「他の人に言うのが恥ずかしいなら、シィが聞いてあげる」


 特に理由がなくても、好きな男の子が苦しんでいたから。


「でも――」

「泣きたい時は、シィが胸を貸してあげる」


「――――っ」

「弱音を吐いても、泣いちゃっても、シィは誰にも言わずに、秘密にしておいてあげるから。ナイショにしておいてあげるから」


 そしてその苦しみに共感したからこそ、シーリーンはロイに優しく語りかけ続けた。


「シィだけは、なにがあってもロイくんの味方だよ?」


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