2章3話 学院長室で、昇進の話を――(1)



 同日の放課後――、

 ロイはシーリーンとイヴとマリアに先に寄宿舎へ帰ってもらい、適当に時間を潰したあと、学院長室に赴こうとしていた。


 学院長室は騎士学部の生徒がメインで使う1号館や2号館、魔術師学部の生徒がメインで使う3号館や4号館とは違う、本館という生徒は用事がない限りあまり入らないところにあった。

 しかも6階建ての本館の6階に目的地はあるらしい。


「学院長室に呼び出されるなんて初めてだよ……。緊張で胃が痛い」

「別に悪いことなんてしてないのでしょう? なら堂々としていればいいのよ、ねっ」


 金色に瞬く長髪をサラサラ揺らしながら、隣を歩くアリスが笑う。

 今、ロイはまだ、本館に通じる廊下を歩いているところだった。が、アリスの方の目的地である図書館への道の途中まで、進行方向が同じだったのである。


「アリスは図書館でお勉強?」

「ええ、私には目標があるから」


「目標?」

「――えぇ、――そう、ね。1日でも早く、お父様を超える魔術師にならなくちゃいけないのよ」


 ほんの一瞬、アリスの表情に陰りが見えた。

 しかし、次の瞬間にはやる気に満ちた顔で、彼女は親を超えると宣言する。


「と、ところで……ロイ?」

「ん? なに?」


「……あなた、結婚願望ってある?」

「ゲホ!?」


 水を飲んでいるわけでもないのにロイはむせ返ってしまう。強いて言うなら自分の唾液でむせ返った。

 いきなり異性の同級生にそのようなことを言われたのだ。仕方がないといえば仕方がない。


「「――――」」


 なぜか2人の間にぎこちない沈黙が訪れた。

 アリスの質問の意図が把握できず、ロイは彼女の表情を窺う。


 エルフ特有の透明感がある瑞々しい頬に、まるで誰かに恋している女の子のような乙女色が差している。そして澄んだ蒼い瞳は微熱がこもったように潤んでいた。

 身体を所在なさげに揺らしながら、アリスの方も、上目遣いでチラチラ、ロイの様子を窺ってきている。桜色で花の蕾のような唇を、きゅ、と、噤んで、どこか友達であるはずの彼に緊張している感じだった。


 この思春期の異性同士であることを意識しすぎた雰囲気はマズイ。いや、マズイというか、気まずい。

 現状を打破するために、ロイは当たり障りのない感じに、質問に答えようと決意した。


「け、結婚願望――ねぇ。ボクにもあるよ? 結婚は女性の幸せってよく言うけど、男性の方も幸せに感じなくちゃ、2人で一緒にいる意味がないし」

「つまり、ロイも結婚することを幸せに感じるってこと?」


「もちろん。まぁ、ボクは結婚とか幸せについて、あまり理屈っぽく考えるのは好きじゃないし、得意でもない。だけど、女性だけじゃなくて、双方が結婚を幸せに感じないと、普通、婚約って成立しないよね?」

「……そう、かしら?」


「残念なことに、世の中には離婚とか別居とかがあるけど、少なくとも、結婚式の瞬間はそのとおりでしょ?」

「私には――よく、わからないわ」


 ふと、アリスはロイに寂しそうな微笑みを向ける。

 そもそも、なぜ彼女はこのようなことを訊いてきたのか、と、ロイは少し考えた。


 もしかしたらアリスには、今のうちから結婚したい相手がいるのかもしれない。

 だが、アリスのそのような恋の噂は聞いたことがなかった。


 カレシがいるなんて聞いたことがないし、男子の友達は自分を含めて手で数えられるぐらいしかいないはずだ。

 ロイ自身にも多少の自覚はあったのだが、アリスに一番近しい異性は間違いなく自分である。


 瞬間、ロイは1つの可能性に至る。

 あれ? アリスってもしかしてボクを――? と。


 しかし、ロイはその可能性があまりにも自分に都合がよすぎて首を振って打ち消した。

 その可能性の真偽はアリス本人のみぞ知る。


「あっ、じゃあ、ボクはこっちだから。アリス、勉強、頑張ってね?」

「ええ、ありがとう。それじゃあ、また明日」


 分かれ道に到着したところで、ロイは小さくアリスに手を振った。

 対してアリスも女の子らしい可愛い笑顔で、パタパタと小さく手を振る。


 そして、ロイとアリス、2人がお互いの目的地に行くために、お互いに背を向け合ったところで、アリスは呟く。


「お姉様のように、早くお父様を超えないと」


 ロイにその呟きはきちんと届いていたが、彼は、自分と離れたあとに呟いたからひとり言だろう、と、結論付けて、あえて返事はしなかった。


 事実、この呟きはアリスがロイに聞いてほしかったから口にしたモノではない。

 本当の本当にひとり言だ。


 だが、ロイは少し追求した方が、アリスはひとり言ですませてしまわない方が、本当はよかったのかもしれない。


   ◇ ◆ ◇ ◆


 数分後、ロイは学院長室のドアの前に到着していた。

 床はレッドカーペット。窓ガラスの枠には、まるで芸術作品のように意匠が彫られてある。天井は高く、窓の対面の壁には有名な画家の作品まで飾られていた。


 ここはまだ廊下だというのに、ロイの寄宿舎の自室よりもお金が使われていそうだった。

 そして、ロイは3回、学院長室のドアをノックして、中からの返事を聞いてから、ドアを開けて入室した。


「久しいな、ロイ。ずいぶんガッチリした身体になったじゃないか」

「エルヴィスさん! と――」


 雄の獅子のたてがみを彷彿させるような、力強いオレンジが混じったブラウンのオールバック。迫力と優しさが込められている、しっかりとした意思を宿すみどりの双眸。


 この2つを忘れられるわけがない。

 特務十二星座部隊の星の序列第5位、【獅子】の称号を誇るキングダムセイバーにして聖剣使い、エルヴィス・ゴルトベルク・ランゲンバッハが学院長室のソファに座っていた。


 そして彼の斜向かいには60歳ぐらいの男性、学院長がいて、一方で隣には――、


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