五 嵐の後

 止まない嵐の中、狸の匂いを辿たどって小倫はやって来た。

花見用に建てられた小屋、桜茶屋の戸を開ける。

大狸おおだぬき鉦叩かねたたき法師と小鞠こまり、総勢百匹の狸一族が勢ぞろいしていた。

狸たちの多くは小姓たちの名刀で突かれ、流血してうめき声をあげている。

狸一族は力を合わせて、巨大な一つ目入道に化けていたのだ


小蓮これんよ、ねやで殿の舌を噛み切って、息の根をめてきたのであろうな」

鉦叩法師が声をかけると、夜目がきく狸たちの目が爛々と輝いた。


「進言する。このあだうちは止めだ。殿はおれが元服したあかつきには、何処どこかの城をくれると約束した。その城で皆で静かに暮らせば良いのではないか」

狸たちは、ふさふさとした尻尾で不満げに床や壁や戸を叩く。


「気でも狂ったか。おまえは狸だぞ。忘れたのか。おまえの体には狸一族の恨みの血が流れている。ここの殿は極悪人。城をくれるなど、どうせ嘘に決まっている。いつまで小姓に化けているつもりだ。今すぐ狸の姿に戻れ。我らと共に山へ帰るのだ」

地鳴のような低い声が響く。


「それはできない。おれはもう、狸には戻れぬ体になってしまった」

小倫に化けた小蓮は愛らしい顔を引きつらせながら、叫んだ。


「何だと、まさか、我らの禁忌きんきを破ったのではあるまいな」

鉦叩法師が仁王像のような形相で、二本足で立ち上がった。

小倫に化けた小蓮を見下ろし、怒りに燃えた牙を向ける。



「そうさ、おれは禁忌を破った」

次の瞬間、飛び上がった小蓮は、かちりと脇差の鯉口こいくちを切る。

目に止まらぬ早さで、来国行らいくにゆきを横一文字に抜きはらった。

鉦叩法師の首はごろりと転がり落ちて、小屋の床には大穴があく。

地面は揺れて地響きが起こり、首の無い胴体からは大瀧おおたきのように、どす黒い血が流れ出る。


「恨みに捕らわれ、いつまでも闇にひそんで生きるおろかか者。これから先のことが大事だというのに。おれは人として、長坂小倫として生きる。城を持ったあかつきには、庭の片隅に小鞠の狸屋敷を建てやるさ。ははは」


「小蓮、何ということを、よくも父様ととさまの首を落としたな」

怒りに震える小鞠は飛びかかったが、来国行のむねはたかれ、小屋の板壁に当たり気を失った。


婿むこに鉦叩法師が殺されたぞ。我らは妖魔の術を身につけたというのに、惜しいことだ。あだうちは失敗に終わった。我らの力では小蓮にかなわぬ。ひとまず退散だ。六甲の山へ帰るとしよう」

ぐったりとした小鞠をくわえ、涙を流す狸たち。



 天変地異と怪異の一夜が明けた。


「何やら、築山つきやまの西が生臭いぞ。おや、桜茶屋の杉の戸が破られている。昨夜の嵐によるものか」

隠密の金井新平が供の者を一人連れて、小屋の内を覗く。


「うわあ、助けてくれえええええ」

恐怖のあまり二人は抱き合い、地面にひっくり返った。

桜茶屋はまるで血の池、大きな狸の首浮かぶ。

まだ息をして牙をむき出し、うなり声上げてこちらをにらんでいる。


「こ、これはいかん、昨夜の怪異と地鳴りはこいつの仕業だ。早く山の修験者と陰陽師たちを呼べ。とにかく、悪魔祓あくまばらいをさせなければ」



 その後、城内では大狸を仕留めた者は誰かという話しで持ちきりとなったが、小倫は名乗り出なかった。


 嵐が去った七日目の夜、甲高い少女の声が城の屋根の上から聞こえてきた。


「狸殺し、親殺しの小倫に天罰が下るだろう」

三回同じ言葉を繰り返す。


秋風に乗り、怪しい声は殿の耳にまで響き渡る。

皆その不思議な少女の声におびえた。


「ふむ、やはり、おまえであったか。手柄を何故なにゆえ、わしに伝えなかったのだ。身も心も美しい。謙虚けんきょで武勇にも優れている。まこといやつ。ますます気に入った。今宵も閨に来い。存分に可愛がってやろう」

小倫のなだらかな肩に続くしなやかな腕をさすり、白魚のような手指を握りしめる。


 閨へ入ると白い練り絹の襦袢の裾を乱されて、うつ伏せに押し倒される。

肌理きめ細やかな背に舌がいまわる。

ざらざらとしたほほをすり寄せられた。


「殿、おひげが痛いです」

悲鳴をあげるが、体は妖しく殿を求めて波打つ。


「お父上、どうかお許しを」

毛むくじゃらの体にくるまれた。


「わしは、おまえの実の父ではないが、父にも念者にもなろうぞ」

「小倫は幸せ者でございます」

頬をくれないに染めてまなこを閉じた。



 殿は山のような金品や絹織物、米などの褒美ほうびを小倫に与えた。

それらを、すべて明石城下で暮らす母の元へ運ばせる。

孝行息子と評判になり、小倫の人気は高まるばかり。

ついには小倫へ恋文送る若者が現われた。


































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