第58話湖上都市

「すげー・・・」


功は初めて見るエイヴォンリーに絶句していた。


生憎と空には厚く雲がかかり、視界は遠くまで効かないが、吹き渡る冬の風はほんのりと湿り気を帯びており、寄せては返す穏やかな波の音を、心地よく功の耳に届けてくれる。


潮の香りはしないので海ではないようだが、アパートの窓から見えるのは、霧の中に佇む幻想的な水の都市であった。


湖上都市、エイヴォンリー。


ロストチャイルドワールドにある人類圏最大の森、『ミュルクヴィズ大森林』の南東に位置する湖沼地帯。

その中でも最大の面積を誇るエイヴォンリー湖の南西岸、半島のように突き出た土地から、湖の内部にかけて広がるこの地方の中核都市である。


功は白い息を吐き、この新市街を見渡す。


建物はみな赤い煉瓦調のブロック積みで、窓枠は白い石で縁取られ、屋根は緑のスレート葺。

建物はヴィクトリアン様式で統一されており、湖にぶちまけられたように浮かぶ無数の小島を基礎として建っている。


高い建物でもせいぜい4〜5階程で、アーネスの部屋も4階建ての3階だ。


ただ、アーネスのアパートは少し高台に建っているのか、他より少し背が高く、霧に遮られてはいるものの、割と周りが良く見えた。


「何してんのよ、寒いんだから閉めてよね。湿気も入ってくるし」


背後からアーネスの声がかかり、功は慌てて窓を閉めた。





昨日の夜は、あれからシャワーを借りてさっぱりさせて貰い、ソファーで眠りについた。


朝はアーネスがトーストしたチーズ乗っけパンと、熱々のお茶(ハーブティのような味と香りだった)にミルクを入れたチャイのようなものを淹れてくており、それを食べる。


パンはもっちりと重めのパンで、ベーグルのような食感は食べ応えがあった。

味もほんのりと甘く、癖のある塩っぱめのチーズと相性が良い。


「さ、出掛けるわよ。支度しておいて」


洗い物を片付けたアーネスは手をタオルで拭きながら功に言う。


功はストレージに入れていた革ジャン鎧を取り出した。


「アンタそんなもん出してどうすんのよ」


袖を通そうとしていた功はアーネスを振り返った。


「え?出掛けるんだろ?」


「アンタ街中でまで、ノールック変態戦闘する気?捕まるわよ」


「変態戦闘って・・・、街中は大丈夫なのか?」


「当たり前じゃないの、街を何だと思ってんのよ。仕事の時以外でそんな物騒な格好する訳無いでしょうに」


アーネスはさも呆れたと言わんばかりだ。


《コイツにこんな顔をされるとショックだ。とてもショックだ》


「じゃあ丸腰でも平気なのか?」


「まあ、ダウンタウンじゃかっぱらいとか喧嘩とかはしょっちゅうあるし、たまに殺人事件とかもあるけど、毎日は無いわね。あってもすぐ通報されて防犯カメラで追跡されて捕まるしね。

反社マフィアも居ない訳じゃないけど。

アンタの装備の元の持ち主は街からは逃げられたけど、結局途中でくたばったしね」


安全なのか危険なのか分からない。


「じゃ銃は?」


「あ、ハンドガンくらいは持ってて。特にアンタは傭兵で登録してるし、持ってても別に捕まる訳じゃないし。

たま〜に、たま〜によ、年に一回か二回くらい魔物が入り込んで来る事も無いでは無いから。

ただ、隠し持ってコンシールドね、見せびらかしちゃダメよ。一般市民が怖がるから。

あと、傭兵って割と敬遠される職業だからあんまり言わない方がいいかもね。ちょっと怖い人種とかって思われてるから」


《アメリカの大都市位の安全性かな?いや、魔物が居る分もっと危険かな?》


「一般の市民は大変だな」


「まあね、でもそのための民間軍事会社なのよ。

税金で常駐出来る領軍は各都市の防衛で手一杯なのよね。だから都度の案件は私達みたいな民間軍事会社P M S Cが請け負ってるの。

勿論都市警察は居るし、治安も保たれてるけど、不意の魔物襲撃に即応で対処出来る人数は居ないのよ。

だからそういう場面に遭遇したら私達が対処する事になってるの。

後から褒賞も出るしね」


「成る程、苦肉の策の効率化か、準警察みたいな性格もあるって事か」


「準警察ってよりも領軍の予備役みたいなもんね。別に私達に警察権は無いし。大規模な魔物の襲撃とか有ったら徴集されるしね」


「ふーん、なんか、大変なんだな」


「人ごとじゃ無いんだからねアンタ、生きるって何処でも大変なのよ」


真面目な顔で言うアーネスに功は深く頷いた。


「確かにな」


言いながら功はスマホに入れていた、予備の服を取り出す。

予備の冬服は、全身ワークメン商品だ。

こげ茶のファー付き防寒ブーツ、裏ボアの同じくこげ茶のカーゴパンツ、揃いの黒のフード付きジャンパー。

上下共に防水防風透湿というハイスペック。

なのに全身合わせても1万円しない最強コストの冬装備である。


突然異世界に迷い込んだ時の為に突っ込んで置いた、機能最優先の冬服だ。


それに不本意ながらも手に馴染んでしまったマグナムを、パンツの後腰のベルトに挟む。

収まりが悪いので、後でちゃんとしたホルスターを購入する事にする。

今はジャンパーを羽織れば見えなくなるから良いだろう。


「あ、そうか、アンタのハンドガンてその大砲なのよね。街中でそれぶっ放されたら余計に被害広がるかも」


「あ〜」


そうかもしれない。コンクリートの壁くらいなら簡単に大穴が開くだろう。

しかも今入っているのは、対魔物用のソフトポイント弾頭だ。


「ま、それも含めて見に行きましょ」


そう言うアーネスも寝室で外出着よそ行きに着替えて出て来た。


ダークブラウンのレースアップブーツにキャメル色の八分丈のパンツ、オフホワイトのブラウスにバーガンディのスカーフを首に巻き、深いオレンジのロングコートを羽織っている。


バッグだけは少しくたびれた感がある物だが、ほんの少しだけメイクもしているらしく、まるでいいとこのお嬢さんだ。


昨夜、毛玉の付いたパジャマを着、前髪をちょんまげにまとめてカップラーメンを啜って餃子を爆食いしていた女とは思えない。


「何か言いなさいよ」


挑発的に功にのたまう。


功は一つ苦笑すると、素直に言う。


「良く似合ってる。ではお嬢様、お供致します」


「よろしい。ついて参れ」


《何ごっこやねん?》


ちなみにアパートのある島はファゴット18区といい、アーネスの部屋のアパートの他、12棟のアパートと、二つの生活用品店スーパー、2棟の倉庫、1棟のボートハウス、一基の対空機関砲が有るだけだ。

対空機関砲は自治会の青年団の管轄らしい。


他の小島も似たようなもののようだ。


今でこそ大きな湖上都市だが、元は湖岸にある城壁で囲われた旧市街が、エイヴォンリーの中心地であった。

しかしいつしか人口が増え、どんどんと湖上に街が広がって行ったのである。


今では新たな商業区も増え、湖上の新市街の方が賑わいがあるが、落ち着いた歴史ある街並みの旧市街の方が、住むには人気との事。


また、このエイヴォンリーはミュルクヴィズ大森林の南東周辺の都市の中核都市(盟主都市)としての役割、また湖沼地帯の水路を利用して各都市との交易の中心地として栄えているらしい。

大小の衛星都市を合わせた人口は342万人、エイヴォンリーだけでも98万人を擁する一大都市なのだ。


主産業は農業、漁業、水運業で、食料自給率は230%を超え。一大食料輸出都市でもある。


また、魔物の多いミュルクヴィズ大森林に最も近く、周辺都市と連携しての防衛拠点としての性格も併せ持つ。


統治体系は議会制民主政治で、選挙により議員が選出され、周辺各衛星都市からも議員が集まり、地方自治を尊重しつつ執り行われている。


現在の議長はロスト三世(この世界に来てから三世代めの事)のエルフで、二期目なのだとか。


ちなみに二期八年以上は議長になれないので、近々の選挙で後継者がどうなるかが目下街の焦点らしい。

今の所、現議長の流れを汲む保守派中道の民主党が有力らしいが、一気に海までの勢力を広げたい共和党の新代表も侮れないとか。


海岸線にはこの世界最大の都市であり、最大の工業都市でもある『人類存続の為の共和連邦』があるのだが、そこと繋がる事であーだこーだとあるらしい。

(アーネス談)


政治に関心が深いのは良い事だと功は思う。

功にも選挙権は与えられているので、機会が有れば積極的に参政したいと思った。




アパート前の水上バス乗り場から巡回バスに乗り、6つの小島を経由して新市街最大の島で、第二商業区でもあるエドワード区に着いた。


普段アーネスは1人乗りの小型水上ポットに乗って事務所まで通勤しているが、今日は功がいるので公共交通機関を利用する。


そしてこのエドワード区は一括りに島と言っているが、実は大小の島を埋め立てて造成し、橋や水路で繋げた半人工島だ。

ここ程大きくなると、自動車やバイクなども整然と走っており、随分と賑やかである。


それだけでは無く、網の目の様に張り巡らされた水路に、個人所有のボート、乗り合い水上バス、水上タクシーなども走っている。

中には水陸両用車なんて物もある。


勿論全て魔石エネルギーエンジンなのは言うまでも無い。


エドワード区も高層ビルは無いが、きちんと区画整理されており、ちゃんとした都市計画を元に設計されている街だと分かる。

紛れも無い大都会だ。


何となく19世紀頃のイギリスを舞台にしたスチームパンクの世界に迷い込んだような気分である。


赤煉瓦調の建物、霧に浮かぶ街路樹、道行く様々な人種の人々はコートの襟を立て、寒そうに足早に行き交っている。


功は田舎者よろしく珍しげに眺めており、全く飽きない。

市場に映画館、ショッピングモールにスポーツ施設。

沢山の人、そう言えば、もうすぐクリスマスだ。エイヴォンリーにクリスマスがあるかどうかは知らないが。


そしてアーネスと功は、古風なデザインのボンネットバスに乗り込み、目当ての場所に到着した。


辿り着いた先には、『アラモ銃砲店』の看板が掲げられている。


「ここ?」


何処かで聞いたような名前の銃砲店だ。


「そうよ、アンタの武器整えるの」


「通販じゃダメだったのか?」


便利な通販が有るのに、わざわざ足を運ぶ意味が功には分からない。


「アンタ自分の命預けるのに、触った事もない物で安心出来んの?

まあ、アンタの場合、初期装備は選択肢が無かったからあんまり実感湧かないのかもね。しかもドクの『見立て改造』した後の物だし」


《成る程》


「そう言うもんか・・・」


言われてみればその通りなのかもしれない。


「まあ、お昼ご飯食べるついでだしね」


《メインはそっちか!》


「それに通販に頼ってばかりじゃなくて、生身の人との繋がりだって大事よ。その道の人と話せば意外な情報だって入ってくるし、通販じゃ教えてくれないホントの声だって聞けるかもしれないしね」


《お?まともな事言ったぞ!》


意外なセリフに驚いた顔をすると、アーネスはバッグで功の背中を叩いた。


「さあ、さっさと済ませてご飯食べに行くわよ」


アーネスはガラス戸を押し、功を連れて店内に入って行った。

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