第6話 リオン〈6〉

翌朝、朝食とチェックアウトをすませ、関は自販機で買った缶コーヒーを持ってリオンの元へ向かった。

乗り込んできた関にリオンが「おはようございます」と声をかける。

「今日はどちらに?」

尋ねられた関が「太宰府天満宮」と簡潔に答える。

「分かりました」

関がコーヒーを飲んでいる間に、太宰府天満宮はカーナビに登録されていた。


車を発進させて十分ほど経ったとき、関がおもむろに口を開いた。

「お前のこと、少し調べさせてもらった」

リオンが関の方を見た。ルームミラー越しに二人の視線がかちあう。

リオンが話を聞いているのを確認してから、関はゆっくりと話し出した。

「お前の前の持ち主は若い男性だった。その男性はお前に乗って出かけた先で事故にあった。信号無視をした車に轢き殺された。そうだろう?」

リオンは何も言わなかった。いつになく暗い顔をしていた。

関はリオンの様子を見ながら続ける。

「色々な車を見てきた俺には分かる。お前はその運転手の死がトラウマになっているんだ。そして運転手を殺したのは交通規則を破った車だった。だからお前は規則を破ることにひどい嫌悪感を覚えるんだ。違うか?」

リオンは腕を組んで関の話を聞いていた。うつむきがちなため、表情は読み取れなかった。

青信号になり、ゆっくりと車が動き出したときリオンはやっと口を開いた。

「交通規則さえ守られれば、奏汰は死なずに済んだのです」

関は何も言わず続きを待った。

「運転手が交通規則さえ守っていれば、彼は生きていたのです。私は目の前で彼が轢かれるのを見ました。交通事故は怖いと噂では聞いてはいましたが、まさかあんな風に人間が吹き飛ばされるとは思いもしませんでした。今でも思い出せるのです。頭の中で忠実に再現できるのです」

少しばかりリオンが早口になった。

エンジンの回転数が急激に上がった。関はそれを見て少し顔をしかめた。

リオンは苦悶の表情を浮かべて続ける。

「私は彼のことが好きでした。彼のことは大切なパートナーだと思っていました。ですから仕事に行くときも遊びに行くときも彼が私の中で快適に過ごせるよう心がけてきました」

「ああ」と関が相づちを打った。

「どれくらい車が持ち主のことを愛しているか、俺には分かる」

リオンは血管が浮き出そうなほど強く握られた自分の拳を見つめた。

「だからこそ私は彼が亡くなったと聞いたときショックだったのです。彼は何も悪いことをしていないのに。ただ久しぶりの休日を楽しんでいただけだったのに。私は彼を轢いた運転手が許せませんでした。何故運転手は交通規則を守らなかったのでしょう?何故人間は交通規則を守らないのでしょう?」

リオンは口をつぐんだ。そして気持ちを落ち着かせるように息を吸ってはく。

エンジンの回転数が徐々に下がった。それを見て関は小さく息をつく。

「……私はしばらく奏汰が亡くなったことに動揺して何も出来ませんでした。動くことも嫌でした。そして、彼の死から一年が経ったときでしょうか、彼の両親が私を中古車販売店に売り出したのです。売られるのは悲しかったのですが、彼のいない家においておかれるのはもっと苦痛でした。幸い私は売られることで気持ちの整理をある程度することが出来ました」

「気持ちが落ち着いてきたとき、私は今のレンタカー会社に購入されました。私はレンタカーになれてほっとしました。レンタカーの運転手はころころと変わるので、あまり親密にならずに済むのです」

「なるほどな」と関が口を挟んだ。

「お前は運転手と仲良くなるのが怖かったんだな」

「ええ」とリオンが返す。

「もしまたあのように大切な人間が事故で亡くなってしまったら、私は二度と立ち直れないような気がしたのです」

リオンは続ける。

「ある日、私がレンタカーになって最初のお客様が来ました。私は彼らのために快適なドライブを提供しようとしました。しかし、速度違反を感知したとき、私は吐き気を催すほどの嫌悪感に襲われたのです」

リオンの顔が須臾にして曇った。声が少し低くなる。

「彼らは交通規則を破りました。それは否応なしに私に奏汰の死を想起させたのです。規則が破られた。そのせいで事故が起きて奏汰が亡くなった。だからこそ、交通規則を破って動いている私自身がどうにも許せなかったのです」

「だからお前は、客が規則を破るたびにエンジンを止めたんだな」

リオンが頷く。

「そうです。まず私は忠告から始めました。しかし、彼らに声が届かなかったので、私はエンジンを止めるしかなかったのです」

「私が動きさえしなければ、誰かを傷つけることはありませんから」

太宰府天満宮を示す看板が見えてきた。もう少しで着くようだ。

関は一拍おいてから話し出した。

「リオン、お前の意見は分かった。確かにそうだ、規則を破らなければ事故は起きないだろう」

だが、と関は続ける。

「お前が突然エンジンを止めて車が止まってしまうことで、乗っている客を危険にさらすことがあると思うのだが」

それを聞いてリオンは口を真横に硬く結び、うつむいた。

「……あなたの言うとおりです。一度交通量の多い町中で止めてしまい、危うく追突事故が起きるところでした。私に乗っていたお客様方はもちろん、追突しかけた車も怒っていました」

けれど、とリオンが首を振って続ける。

「けれど私はどうしても交通規則を違反したくないのです。体が交通規則を破ることを拒否しているのです。怖いのです。守れたはずの交通規則を守らなかったことで罪のない人が亡くなるのは本当に嫌なのです!」

珍しくリオンが感情をあらわにして言った。

車内の温度が上昇したのを感じた。関は黙って窓を全開にする。町の喧噪が耳に届いてきた。

「……もう、私のような車を作りたくないのです」

先ほどとは対照的に、消えそうな声でリオンが言った。彼はいつもの凛とした表情とは違い、今は悲痛な表情をしていた。

「運転手が亡くなることで悲しむのは、遺族だけではないのですよ」

窓が勝手に閉まった。再び静かになった車内に、リオンの声が響いた。

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