選択の導

第1話 磁気乱流圏

 闇の中を無数の光点が廻り続けている。それは視点の移動のためらしい。目まぐるしく動き、一瞬たりとも留まらず移り行くのが見える。速度、角度は決して一定に安定せず、常に変化を繰り返していた。ジッと見ていると眩暈を起こすだけに収まらない。自分のいる現在位置、向かっている方向――どういう状態にあるのかさえ見失わせ、底知れぬ不安へと突き落とす効果がある。そう感じられるものだった。

 しかし“彼女”は恐慌パニックなどには陥らず、意識は冷静さを保ち、状況を全て正確に捉えていた。


標的捕捉ターゲット・インサート、これより回収作業に入る」



 虚空を奔る蜂型の機械が1つ――今、尾部より蒼白の光輝が2箇所で瞬く。すると蜂型機械は速やかに移動を開始し、やがて目にも留まらぬ加速に入った。暫くすると蜂型機械の前方にチラホラと金属の欠片が現れ始めるが、次第にその数・密度が増してきた。かなりいびつに変形した塊が連なる。変色も著しく、焼け焦げた跡のように見えるそれらは破壊された機械の残骸のように見える。蜂型機械はその中を縫うようにして駆け抜けていくのだった。


「座標設定、第2象限・仰角17.56°、左角9.71°、距離213.26km、回収機〈リトルホーネッツ〉、射出開始」


 蜂型機械の頸部と思しき部位より複数の小型機械が分離・射出された――5つ見られる。同じような形で、蜂のような形態フォルムをしている。小型蜂型機械は即座に加速を開始し、蜂型機械――親機のようなものか――から離れて行った。そして程なく可視視界から姿を消していった。




 暗い室内、明かりと言えば常夜灯のような照明くらいしか見られない環境だ。殆ど新月の闇の中のようなものだ。その中で1人の少女が座席している。少し幼い外見、10代前半の年齢に見える。彼女のいる環境は かなり狭い室内らしく、周りには各種のモニター類や操作デバイス群などが所狭しと迫っていた。それは戦闘機のコクピットのようなものに見える。或いは20世紀の――宇宙開発黎明期の宇宙船内のような感じとも言える場所だ。

 そこは蜂型機械のコクピットルームだ。かなり狭いところで、人がいるには些か劣悪な環境だと思える。僅かでも閉所恐怖症のような資質があれば、確実に発症しそうなものだ。しかし彼女は特に気にするふうもなく、素知らぬといった表情でいた。

 ――と言うより無表情と言うべきか。まるで人形のような面持ちで、凡そ感情と呼べるものが完全に欠落しているのではないのか――そう思わせるほどの表情のなさだった。

 その全身には奇妙なラインが浮かび上がっていた。蒼白く光るそれは体表に格子模様を浮かび上がらせ、手足の末端から胸部中央に向けて集合するように走っている。ライン上の光の中には、よく見ると粒子のようなものが瞬いていて、心臓の鼓動を思わせるようなリズムを刻んでいた。その瞬きは次第に輝きを増していっていて、胸部中央に集まっている。



「距離150キロ圏内に接近。標的ターゲット、視認。リトルホーネッツ、全方位より接近せよ」


 無表情に相応しく、上げられる少女の声も感情など欠片も窺わせない無機質なものだった。彼女は身じろぎ1つ見せないどころか、まばたき1つすら見せない。果たして意識があるのか、正常なのか――人間らしさを全く見せない佇まいは、生命の存在すら疑わせる。やはり人形なのか、自律型の人型自動機械オートマトンなのかと疑わせるところがある。


 小型蜂型機械――リトルホーネッツと呼ばれた機械群が散開、大きく弧を描くような軌道を描き、進み始めた。やがてそれらの進む先に、1つの人工物体が姿を現わす。モニターの1つ、立体表示のスクリーンに映し出されている。それは見る間に大きさを増していった。


「距離100キロまで接近」


 酷く破損した筒型のものだった。全体を重厚な装甲らしきものに包んでいるが、所々にクレーターのような陥没が見られる。何かが衝突した跡と思われる。


「太陽風観測衛星〈イーカロス〉のコアブロックと確認。リトルホーネッツ、磁気バケット展開用意」


 筒型のもの――イーカロスと呼ばれた人工衛星の露出した区画らしい。何らかの事故があったらしく衛星本体が破損、放り出されたものらしい。それがコアブロックと呼ばれるもの。5機のリトルホーネッツが目指すものがこれだ。一定の距離を取って球殻を築くような感じで展開、位置し、そして相対位置、相対速度を完全に同調させるや、一瞬それぞれの機体が蒼白く輝いた。虚空に瞬間的に蒼白の球体が出現したように見えた。発生させた強磁場が周辺に漂っていた宇宙塵や極小のデブリなどと反応してリトルホーネッツを纏うような感じで発光現象を起こしたのだ。


「コアブロックの捕獲態勢を確立。〈磁気乱流圏〉内突入後、中核1キロ圏まで接近したら牽引場を形成する予定」


 リトルホーネッツは移動を開始、互いの位置を固定させたまま磁気乱流圏と呼んだ球状空間の周りを廻るように接近していく。その空間の中央附近にコアブロックが存在しているのだ。

 すると――――


 突如としてアラーム音が鳴り響いた。コクピットルームを席捲するかのようなそれは音響の嵐とでも言いたくなるほどのものだった。だが少女は少しも動揺したところも見せず、冷静さを保っていた。


「ニモイ、状況報告」


 するとどこからともなく別の声が聞こえてきた。男とも女とも区別のきかない声質をしている。


〈磁気乱流です、かなりの強度と観測。イーカロスを中心として周辺約70kmの球状空間を覆っています〉


 声――これがニモイと少女が呼んだ存在なのだろう――の説明に従い、新たな立体ホログラムスクリーンが出現、その中に宇宙空間の映像が映し出されている。それは単なる中継映像などではなく幾種類もの色彩で描かれたラインが現れている。任意に上書きされた情報表示画像なのだろう。気象予報画像に近いものがある。それらは不規則に揺れて動いていた。同時に数値データが目まぐるしく変動しているのが確認できた。

 ラインは所どころ集中しているポイントが3ヶ所見られ、イーカロスを中心にちょうど三角形を描くような位置にある。


「ふぅん、衛星の超伝導磁気コイルね。うまい具合にコアブロックを包むようなトコに位置しているわね。事前観測の通りか」


 少女の感想、外見に相応しく幼げな声質をしている。声を出したせいなのか、感情のようなものも現れ始めている。人形的な印象は消えていた。

 ニモイが空かさず応えた。


〈やはりコイルは生きています。但し衛星破壊の後遺症で出力がかなり不安定になっていて、これが頻繁に強度の変化する磁気を周辺に放射、不安定な磁気乱流圏を形成しています。事前観測時よりも乱雑さが増しています〉


 それはかなりの強度のもので凡そコアブロックを中心として半径70キロの範囲に無視できない環境変動領域を築いている。


〈3つのコイルが相互に作用するような感じで環境を同時に乱しており、これが予測の困難な嵐――紛れもなく〈カオス系〉と呼び得る変動を起こしています〉


 そんな領域にホーネッツとリトルホーネッツは接近したのだ。ホーネッツのセンサーはいち早く磁気変動をキャッチし、アラームが発せられたわけである。

 少女はジッと映像を見つめている。無意識の所作だろう、顎に手を添え、首をかしげている。そのさまは外見に相応しく可愛らしいところがある。口元を盛んに動かしているが声は出さない。思考を巡らしているようだ。状況を精査しているのだろう。そのため、沈黙が続いているが、ここでニモイがそれを破った。


〈リィファ、この磁気乱流が生み出すカオス系はかなりのレベルです。やはり私には演算不能の揺動効果を連続させており、未来予測を困難としています〉


 少女――リィファという名らしい――は目線を上げてスクリーンの上に灯されている緑色のレンズのようなものを見た。


「あなたでも? 人類世界でも希少なシンギュラリティレベルにある知性化AIなのに?」


 リィファは少し笑みを浮かべた。それは無邪気なものに見え、やはり年齢に相応しいものだった。


〈知っているはずです、リィファ。カオス系の予測は知性化体シンギュラリアンでも困難なのですよ。それこそ超常的と言える拡張感覚を持つものでないと成し遂げられないでしょう。つまり――〉


 リィファは背筋を伸ばして伸びをした。欠伸すらして、どこか緊張感に欠けるところがある。


〈リィファ、ちょっとは真剣に――〉


 流石にそれはダメかと思ったのか、ニモイが窘めようとするが、リィファが言葉を被せた。


「別にふざけているわけじゃない。分かっているよ、私みたいな者にしかできない・・・・・・・・・・・・・事柄ってことぐらい。そのために私がここにいるんだしね」


 言うや、彼女は胸元に右手を添えた。すると体表を走っていた格子状の光のラインの光度が上昇、胸の円形部分が特に強く発光を始めた。


〈やりますか、リィファ〉


 問いかけるニモイの声にはどことなく労わるような響きがあった。


「もちろん」


 間髪入れずリィファは応えた。そこで言葉を一旦切るが、直ぐに再び口を開いた。


「フュージョナリ―シンクロ、フェイズ2、神経接続スタート!」


 リィファの全身のラインが同時に強く発光、胸の円形部分は爆発的と言えるほどの光度になった。


「超自我領域まで浸透! 全感同調、ニモイネットワークにリンクイン!」


 光の渦が巻き起こった。リィファには自分が間近に生まれた星雲にでも呑み込まれたかのように感じられた。だがそれは一瞬のこと、直後には彼女は宇宙空間に浮遊する自分を発見したのである。周りを包むのは無限とも言える空間の拡がり。


「フフ、まるで生身で宇宙に出たみたいね」


 肌を刺す鋭い感覚が走った。リィファは両手を上げて、その手先を見つめた。


「フム、これが磁気の感覚。皮膚感覚としてちゃんと表現されている。神経接続が働いている証拠ね」


 ニモイの声が聞こえてきた。それはどこか、からというより、自分自身の内から響いてくるようなものに感じられた。


〈リィファ、空間失調などは起きていませんか? あなたは今、私のネットを通してホーネッツのセンサー系と直結しています。それは感覚だけでなく、意識・思考の全てがホーネッツと同調しているものなのです。つまり“あなた自身”が宇宙空間に露出した状態と言えます。通常の人間の感覚にはかなりストレスとなる可能性がありますが……〉


 ニモイの言葉から分かることは、リィファの意識はホーネッツと繋がり、彼女自身が蜂型機械と一体化しているということだ。

 リィファは苦笑した。


「解説どうも、十分心得ているよ」


 するとニモイからも苦笑の波動が伝わってきた。


〈問題ないようですね。流石は〈センシティブ〉、〈量子感応者〉だけのことはありますね〉


 リィファは特に応えることもなく、笑みの波動を返した。そのまま周囲の環境観測に入る。暫し沈黙の時間が続く。


「うん、やはり3つの超伝導磁気コイルの相互作用でカオス系が成立してしまっているね。凄いね、私の“目”には無数の渦が出現と消滅を繰り返す光景が映っているよ。スーパータイフーンの同時多発テロって感じだね。こうなると環境計測とデータ評価などから未来予測するのは難しい。それにしても上手い具合にコアブロックを包んでいるね」

〈はい難攻不落の要塞みたいになっています〉

「コアブロック附近は無風状態みたいね」

〈はい、超伝導磁気コイルの相互作用のせいか、絶妙の安定状態を維持しています。3方向からの互いの磁力を打ち消すように作用しているようです〉

「だから無風状態か。周りは大嵐なのにね、やっぱタイフーンって表現は的を得ているかな」

〈いえ、タイフーンは中心から周囲に影響を与えるもので、この磁気乱流圏は周囲のコイルから――〉

「分かってるって」

 

 リィファはニモイの言葉に被せるように言った。説明が長くなりそうだったので、無理やり終えようとしたわけだ。


「まぁいい、今からやるよ!」


 気持ちは切り替える。

 努めて明るく――といった感じでリィファは口を開いた。直ぐに彼女の全身から光の渦が噴出した。それはイメージであり、彼女とニモイの思考に伝えられている。


「ホーネッツ、リトルホーネッツ、磁気乱流圏に突入!」


 コマンドが伝達、蜂型機械と小型蜂型機械は一斉に磁気乱流の只中に突入していった。

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