コールドスリープ・ビジュー

みやふきん

第1話

 あの頃、あやさんの胸元に輝いていたペンダントが、わたしは羨ましくてしかたなかった。

 母を亡くしたわたしに、近所に住む親戚のあやさんは優しくしてくれた。わたしより六つ年上の高校生だった。末っ子の父親の長兄の三姉妹のひとりがあやさんだった。上の二人の姉はすでに社会人で、長女は商社の事務、次女は小学校の教師をしているとかで、日々忙しそうだった。

 小学校から帰った私はランドセルのまま、あやさんの家で過ごす日が多かった。就職希望というあやさんは受験勉強に追われることもなく、夏には就職が決まり、のんびりしていた。それをいいことにわたしは入り浸って、一緒にテレビゲームをしたり、おかし作りをして、いつも遊んでもらっていた。たぶん、わたしが小学校で友だちとうまくいってないことくらいわかっていたはずだと思うけれど、何も聞かずに一緒に遊んでくれた。

 あやさんの胸元に光るペンダントは、いつも同じものではなかった。星のかたちのものや、鍵のかたちのもの、きらきらした宝石がついたものもあれば、ただの金属プレートみたいなのもあった。

「あやさんはペンダントをたくさん持ってるんだね。いくつ持っているの?」

 訊いてみたら、ひとつだけと答えたからびっくりした。あんなにいくつも見かけたのに、手元にはひとつしかないなんて。他のはどうしたのか訊くと、返したと言った。つまり、あやさんは彼氏と別れるたびに今までもらったものを返して、今付き合っている彼氏からもらったものだけを身につけているということだった。恋多き人なんだ、と感心した。美人で優しいあやさんを放っておくわけがないとも思った。思われている証のようなペンダントが、わたしは羨ましくてしかたなかった。

「いいなあ、ペンダント。わたしも欲しいなあ」

 何度となくあやさんの前でつぶやいた。その度にあやさんは、そのうちもらえるよ、と慰めてくれていた。小学生のわたしにはまだまだ先のことのように思えた。

 おばあちゃんがお土産でくれた貝殻をつなげたネックレスならもっていたけど、そんなのが嬉しかったのは小学二年生くらいまでだった。来年中学生になるわたしには子どもっぽく思えて、糸を切って貝殻をバラバラにして、しまいにはどこかへやってしまった。小学四年生の時に、友だちとビーズでおそろいのブレスレットを作ったこともあった。プラスチックのパステルカラーのビーズで、今つけるには子どもっぽすぎて、どこかへ仕舞ったきり、どこへいったかわからなくなった。

 胸元で小さく光るペンダントの控えめさが、大人っぽい感じで、早く大人になりたいと、わたしは思っていた。あやさんみたいに美人で優しくもないけど、誰かに愛される存在になりたいと、ただひたすらに憧れていた。

 わたしが何度もペンダントを羨ましいと言うので、あやさんは働いてお金をもらったらペンダントをあげると約束してくれた。誕生日にと言われたけれど、三月だから遠すぎるとごねると、じゃあお年玉かなと笑っていた。

 

 わたしが中学生になったのと同時に、あやさんは社会人として宝飾店で働きはじめた。以前のように頻繁にあやさんの家へ行くこともなくなった。わたしはテニス部に入ったので忙しくなり、部活の帰りに帰宅途中のあやさんを時折見かけるくらいだった。

 働きはじめてあやさんはぐっとおしゃれになった。それまでも美人だったけれど急に垢抜けたように見えた。流行の洋服を身にまとい、やわらかいブラウンに染めた髪はパーマでふんわり肩でゆれて、まるでファッション雑誌のモデルのように見えた。うかつに近づけないような雰囲気だった。こういうのがオーラなのかもなんて思っていた。首元には高校生の頃とは違う銀色のハート型の小さなペンダントがきらきら光っていた。

 帰り道で出会うと、話しながら家の近くまで一緒に歩いた。わたしが話すのは部活のことや勉強のこと。あやさんは仕事のことを話してくれた。本当に訊いてみたいのは、あやさんがどんなふうに彼と出会って、愛されているかということだったけれど、とてもそんなことは訊けなかった。ただひとこと、今彼氏はいるんだよねと確認のように訊くと、あやさんは力強く笑って、いるよ、と短く答えたから、きっと幸せなんだろう。もうそれ以上は訊けなかった。首元でハート形のペンダントが夕日に照らされて、きらきら揺れていた。

 

 少しずつあやさんの化粧は派手になっていき、歩いていてもすぐにあやさんとわかるくらい、目立つようになった。首元にはいつも同じペンダント。あのハート形の小さな銀色が光っていた。わたしの父は派手に見えるあやさんを嫌っていた。堅物の父は、女は目立たず支えるものと言うのが持論で、地味で堅実なあやさんの姉二人を褒め称えた。あやさんの仕事をチャラチャラした販売員だと貶し、男と遊び歩いているという噂も聞くから、あんなのとは付き合うなとわたしに言ってきた。以来わたしは父とは口をきかず、ずっと険悪なままだった。

 月日はあっという間に過ぎていった。夏が終わって秋が深まり、日焼けでこんがり小麦色になったわたしの肌がようやく少し薄くなりはじめた頃、部活帰りにあやさんを見かけなくなったことに気づいた。きっと仕事が忙しくなり、帰宅はもっと遅くなっているんだろうと思うことにした。接する機会が少なくなって、親しい親戚のお姉さんだったあやさんが遠のいていくような気がしていた。

 家に帰る途中、二ヶ月ぶりくらいであやさんを見かけても、声をかけるのをためらってしまった。そっとうつむいて、気づかないふりをした。その時も私はしっかり首元のペンダントを確認していた。やはり同じ銀色のハート形の小さなもの。あやさんが本当に私に気づかなかったのかはわからないけれど、あやさんに声をかけられることもなく帰宅した。

 あやさんとわたしの接する機会が減ったからか、あやさんを嫌っている父も、彼女の話題を口にすることがなくなった。わたしはついに話しかけた父を無視するのをやめることにした。親子の会話が食卓に復活して、変わらない日常が戻ってきた。

 気づけば冬になっていた。


 師走に入った途端に部活が忙しくなった。期末テストが終わって、冬休みにある練習試合に向けて、猛練習することになったからだった。秋にようやく一年生も大会に出場できることになり、冬からが正念場だった。うまくいけば練習試合での出場も可能かもしれないと、懸命に練習に励んだ。

 冬休みに入ってすぐの練習試合では、残念ながら試合には出してもらえなかった。がっがりしたけれど、目の前にあるクリスマスというイベントで、ひとまずそれは忘れられた。お父さんがコンビニで買ってきた丸いクリスマスケーキを、もう食べられないと言いながら、半分ずつ食べたし、お願いしていたウォークマンも買ってもらえて、大満足の夜だった。興奮して眠れなかったのだと思う。明日は朝から部活なので眠らなきゃと思うのに、いつまでも目が冴えていた。だから聞いてしまったのだろう。コツコツと階段を上る足音。だんだん大きくなり、足音はすぐそばで止まったような気がした。こんな夜中に誰だろう。好奇心が優って、音を立てないようにそっと部屋を出て、玄関をあけた。

 階段に灯る照明が照らしていたのは、玄関の前で、髪の長い女性がしゃがみ込んでいる姿だった。私は驚いて、ドアを閉めようとした。その女性が顔を上げた瞬間、閉じかけた扉を開け直した。

 その女性はあやさんだったから。

「なんでここに?」

「サンタさんになろうと思ってたのに、見つかっちゃった」

 あやさんはくしゃっと笑って小さな声でつぶやいた。

「ここで話すと迷惑になるから散歩しながら話そう」

 あやさんはコツコツとハイヒールの足音をたてて階段を降りはじめた。私は急いで部屋に戻ってコートをはおると、素足にサンダルを履いてあやさんのあとを追った。

 三階分階段を降りてあやさんは振り返り、私がついてきているのを確認して足早に歩いた。方角的に敷地内の公園に向かっていると確信した。真夜中だから誰もいない。公園の砂を蹴る二人分の足音が静かな夜に響く。

 公園内にあるあかりに照らされたベンチのそばまで行って、あやさんは立ち止まった。少し棟からは離れているから話をしても大丈夫そうねと言って、あやさんはベンチに座っる。私も座る方がいいのだろうと思い、隣に座った。ベンチはコート越しでもひんやりしていた。

「約束守らなきゃと思って」とあやさんは切り出す。

「ほら、前に約束したでしょ。ペンダントあげるって」

 私はすっかり忘れていたから、「ああ」ときょとんとした声を出してしまった。

「でもね、思い出したのが今日だったの。だからちゃんとしたのが買えなくて」

 そう言いながらあやさんはぎゅっと握っていた掌を広げて私に見せた。それはいつもあやさんがつけていたあの銀色の小さなハート形のペンダントだった。

 驚いて私はあやさんの首元を見ると、そこには何もなかった。あやさんは何も首元につけていなかった。

「これ、あやさんの……」

「これじゃ、だめかな?」

 あやさんは少し困ったように眉を下げていた。私は無言で首を振る。そんなことはない。でも。

「彼氏からもらったやつなんでしょう?」

「いいの。あげても彼は怒らないから。私にはもう必要ないの」

「彼と別れるからいらないの? いつもみたいに返さないの?」

 私の質問に、あやさんは困ったような顔のままで「違うよ」と言って笑った。

「これからはずっと一緒にいるから、もういらないの」

 あやさんは掌のなかのペンダントをもう片方の手でつまんで、立ち上がった。

 どういうこと?結婚するの?いろいろ考えて、よくわからなくて戸惑っていると、あやさんは、つけてあげると言って私の後ろにまわってペンダントをつけてくれた。鎖が首に触れるその時、冷たいはずの金属なのに、あやさんのてのひらの温度がうつったのか、ふわりとしたぬくもりを感じた。少し触れたあやさんの手もあたたかいのが不思議だった。こんな寒い中にいるのに。しゃべるたびに白い息がふきだしみたいに拡がっているほど。

「ほんとは男の子にこうやってつけてもらいたいだろうけどさ」

 私の前に回り込んで、あやさんはまた隣に腰掛けた。

 あやさんの方を見て、私は似合ってる、かな?と首をかしげる。

 たぶん、まだこんな大人っぽいのは似合わない。もっと素敵な女性にならないと。そう思うと急に恥ずかしくなってうつむいた。

「大丈夫、すぐ似合うようになるよ」

 あやさんのかけてくれた言葉は、心の中を見透かされたようで、さらに恥ずかしくなった。きっと去年の私なら、ペンダントをもらったというそのことだけで、はしゃいで喜んでいたと思う。でも、今の私は違っていた。大人に近いあやさんと、子供に近い私とでは違いすぎる。早く大人になりたかった。あやさんみたいなひとになりたかった。

「じゃあ、帰るね。明日も早いし」

 あやさんは立ち上がって歩き出した。振り返って手を振る。私も手を振った。

 それがあやさんを見た最後になった。


 あやさんは次の日から行方不明になった。勤め先へ行かずにどこへ行ったのか、親もきょうだいも友人も誰も知らなかった。あやさんの両親は警察に届けを出したらしいが、自分たちで探そうとはしなかった。相当仲が悪くなっていたと父から聞いた。

 父からあやさんがいなくなったと聞いてうろたえたけれど、わたしにはどうすることもできなかった。次に思ったのはもらったペンダントを隠さなければいけないということだった。自分の部屋に入ると、本棚に置いたオルゴールの中に入れていたペンダントを取り出し、レポート用紙に包んで封筒に入れて机の引き出しの奥にしまった。

 これでわたしは知らないふりを続けられると意志を固めた。

 きっとあやさんが最後に会ったのはわたしだ。どうしてあやさんはわたしのあんなつまらない約束を覚えていて、それを果たすために来たのだろう。親類だというだけで、本当のところはお互いについてよく知らないのに、あの夕方のひとときだけ、さびしい時間を埋めあわせるためにわずかなあいだ一緒にいただけの関係なのに。

 会う機会がなくなってわたしから遠くなっていたあやさんは、会えなくなってしまって、距離すらも感じることができないところへ行ってしまった。もしかしたら彼と心中しているかもしれないし、彼と一緒にどこかで偽名を使って暮らしているのかもしれないけれど、もう道で見かけることはない。でも、いつかふらっと現れてくれやしないかと、どこかで期待しながら、十年が経った。

 あの時もらったペンダントは、バイトで貯めたお金で買ったベルベッドのジュエリーケースにしまってある。黒く艶やかなベルベッドは棺のようで、ペンダントはそこに眠っていた。あの夜以降、わたしが身につけることはなかった。

 大学生になり、彼ができてもペンダントをねだることはなかった。あんなに憧れていたはずだったのに、自分がペンダントを身につけるということに違和感があった。その代わり身につけることのできない原石を買ってもらった。誕生日ごとにひとつずつ小さな石の標本が増えていった。これがわたしにとっての証だった。

 

 あやさんからもらったペンダントはずっとジュエリーケースで眠っていた。普段めったに開けないその蓋を今夜はどうしても開けて、中のペンダントを確認したくなった。

 昨日、あやさんの母親が胃癌で亡くなって、今日がお通夜だった。わたしも黒い服を来て、父と一緒に参列した。ずいぶん久しぶりに足を踏み入れたあやさんの家は、あの頃のおもかげをどこか残しているようでところどころ変わっていた。父とわたしは小さな声がさざ波のように立つ、張り詰めた静けさのなかへと進んだ。

 先に来ていた親戚たちが静かに焼香をして、ひとことふたこと交わして去って行った。わたしはしきりに目を動かして探した。もしかしたらあやさんが来ているかもしれないと思って。そんなわけはなかった。いくら探してもあやさんの姿はなかった。わたしの持ち時間はわずか。父が焼香をしたあとわたしの番になって、かたちばかりの焼香を終えたら、もう終わりに近い。父が伯父と話すとなりで、かなしい気持ちになって、まだ目は探していた。もう時間切れ。お辞儀してお暇した。

 

 自宅に戻り、部屋に入ったわたしは着替えもせずに棚からジュエリーケースを取り出し、蓋を開けた。ケースの中であやさんのペンダントはひっそりと横たわり、あの時のままのあやさんがわたしの中で眠っている。このあとわたしはどれくらいこの蓋を開けるのだろう。凍りついた時をほんのすこしのあいだ、振り返って薄れてしまった記憶を反芻して、減らしていく。時を止めたままのペンダントはそのままで、あの頃のあやさんは美しいまま、わたしの中で眠っていてほしいと思った。


 どんなに遠くても会えなくても、永遠にあこがれのひと。



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