1 『ハンムラ』

「止めてください。僕は、一万円を取ったりしていません」


 僕は、真田さなだ中学校帰りの中華万来軒ちゅうかばんらいけんの裏で、飯田橋いいだばしくんや鈴森すずもりくんに自分の柔道着を投げ付けられた。


「うるさい! 肌荒れ光太こうた! 昨日の『ハンムラ』届いているだろう?」


「僕の名は、端田光太です」


 暴力はよくないと思うから、絶対に投げたりしない。

 だから、一方的にひょいひょい技にかかってあげてしまうんだ。

 中一になって柔道の授業が始まってから丁度、『つぶやきくん』というアプリが、真田中学校の指定連絡方法となったらしい。

 これは、校外の人でも誰でも見ることができる。


 ――僕らの恐怖は一通のSNSから始まった。


 それは、『ハンムラ』と呼ばれるSNS界のボスだと聞く。

 いじめを正しく裁くらしいが、『目には目を、歯には歯を』が、本当に正しいのだろうか?

 この頃、『@ハンムラビ法典で裁く』が、周囲で動いている気がする。

 ことり、ことりと……。


 ◇◇◇


 ピルールルー。

 まどろんでいる僕に、スマートフォンが何度目かのコールをする。

 用のある友達なんていたかな?

 僕と絡む人は、悪い方へ悪い方へとやってくるものだ。

 いじめられっ子の宿命だな。

 

 ピルルー。

 一際けたたましく僕を呼ぶ。


「うるさいな。誰だよ」


 やはり友達から電話なんて夢のまた夢なんだろうな。

 もしかして、憧れの丹羽百合愛にわ ゆりあさんでは!

 で、電話、電話。

 電話に、出なくては!

 枕元のスマートフォンに手が触れた。


「百合愛さーん」


 ん、このメロディーはそんなものではなくて?

 胸がざわつく。

 スマートフォンの目覚まし時計かも知れない。

 一気に目が覚める。

 ピッ。

 即座に止めて時計を確認する。

 七時半過ぎている。


「しまった! 寝坊した」


 ゴキュガキ。

 布団から体を起こそうとすると、激痛が走る。

 う、僕の首に一体何があったかな。


「あっつー。また、飯田橋くんと鈴森くんにやられたんだっけか」


 いくら、ゆっくりな僕でも、無遅刻無欠席でいたい。

 十月のグレーのブレザーにストライプのネクタイを締めて、真田中学校へ。


「お母さん、行ってきまーす」


 いつもお母さんは、慌てないんだよと声を掛けてくれる。

 亡くなった弟、陽司ようじのこともあってか、僕も車には気を付けようと思う。


 ◇◇◇


「セーフ」


 教室に入るなり、うっかり声にしてしまった。

 クラス委員の百合愛さんが、僕の名前を呼ぶ前だったので、ほっとしたのかな。

 すると、ブーイングが起こった。


「ダメだよ。端田くんにヤジを飛ばしたって」


 頬を膨らませた百合愛さんが愛らしい。


「ヤジなんて誰も飛ばしていないぜ」


「そうだ。そうだ」


 口笛も聞こえるよ。

 教室の隅にいる飯田橋くんらの扇動だと直ぐに分かる。


「本当はいけないんだけどさ、皆、『ハンムラ』が怖いから、スマートフォン持っているんだよ。ないの?」


 百合愛さんが、優しく教えてくれた。

 続けてこうもフォローしてくれるなんて、まさに女神かな。


「ルールは守らないといけないよね」


 百合愛さんは、ピストル型の指で示した。

 その先には、ヤジを飛ばしているヤツらが、スマートフォンをこそこそと弄っている。


「だから、嫌われるんだよ。肌荒れ光太」


 逆切れする相手にも凛としている彼女は、やはり僕の女神かな。


「その呼び名は止めなさいよ」


「いや、僕は舌ったらずなところもあるから、端田が聞き取りにくいんだと思う。いいよ、丹羽さん」


 その女神が、皆の様子に呆れたという感じだったが、急に僕を見つめた。


「でね、『ハンムラ』に、キミのことが、沢山泳いでいるよ」


「え! 『@ハンムラビ法典で裁く』が僕に何の用があるんだ?」


 僕に、『ハンムラ』でいじめを駆逐しろというのか。

 それとも、僕が『ハンムラ』に、狙われているのか。

 赤い文字で、裁かれる日がきたとしたら、僕もゆっくりとしてはいられない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る