キラキラサイダー

夏緒

第1話

 僕、狭山奏介には、気になる人がいる。

 その人は、町の小さな鉄工所で働いている。

 毎日高校まで歩く道の途中に、道沿いに小さな鉄工所があって、そこにまだ若そうな男の人が働いている。

 朝通りかかるときには、大体年配の男の人がひとりでシャッターを上げていて、若い人はいつも奥の方でなにかの準備をしているっぽい。

 そこを夕方、学校帰りに通りかかると、今度はあの人がいつも入り口近くで、汗だくで何かしらの作業をしている。

 短めの茶髪に、耳には何個かピアスがついてて、作業着で、首にはタオル巻いてて、軍手で、正直見た目はちょっと恐い。

 眼光鋭い感じ、というか。

 でも、僕はその人が本当はそんなに恐い人じゃないことを知っている。

 だって、いつも朝そこを通りかかると、そこで働いている人たちはみんな凄く爽やかな挨拶をしてくれる。

 もちろんあの人も。

 名前は知らない。

 歳も知らない。

 でも、僕はどういう訳かその人が気になる。

 いつも「おはようございます」とか、「おかえりなさい」とか、ちょっとした声をかけてくれて、もちろん僕だけにじゃないし、他の人だって同じように声をかけてくれるんだけど、僕の中でその人だけがなんか違う。

 あの人と目が合って、微笑みながら挨拶をされると、なんだか心臓の辺りがそわそわしてくる。

 なんだか嬉しくなっちゃって、通り過ぎたあと、ほっぺたの筋肉が急にだらしなくなって顔がすごくにやついてしまう。

 絶対気持ち悪い顔になってるから絶対人には見せられないんだけど、それでも僕はあの人と挨拶をするたびにドキドキしてしまう。

 そんな落ち着きのない登下校を、僕は桜舞い散る四月からかれこれ一年と三ヶ月ほど続けている。




「狭山ー、もう帰るの」

「うん、また明日」

「おー」

 教室で友達と手を振って別れて、僕はいつも一人で帰路に着く。

 部活とか入ってないし、同じ方向に帰る友達がいないっていうだけなんだけど、おかげであの鉄工所の近くで気持ち悪い顔になってるのを見られなくて済んでいる。

 高校二年生の六月は、自分で想像していたよりもずっと落ち着いた生活をしている。

 友達と遊び呆けたり親に反抗的な態度を取ってみたり、みたいな、ドラマみたいな青春をちょっと想像していたんだけど、現実は全然そんなドラマチックじゃない。

 普通に学校行って普通に友達とじゃれ合って、帰ったら素直に母親にただいまって言う。

 至って健全。

 がっかりするくらい平凡。

 そんな僕の唯一と言っても過言ではないささやかな楽しみ。

 それがあの鉄工所のお兄さんとの挨拶だ。

 歩が進んで段々近づくほどに心臓が異常な暴れ狂い方を始める。

 そわそわするー、そわそわするー、今日は会えるかな、今朝はタイミング悪くて会えなかったんだよなあ、休みだったらがっかりしてしまう、あああああああああとちょっとで着いちゃうそこ曲がったらあああああの鉄工所がああああああああああああああああ居るうううううううう!!!! 見えちゃったどうしよう今日めっちゃ外に出てるうううううううう!!!! うわめっちゃ緊張してきたどうしよう今顔の筋肉どうなってんだ僕大丈夫かな変じゃないかな、よし挨拶!! ごく自然な感じに自然な感じ自然な感じ自然な自然な


「あ、おかえりなさい」

「たっ、……だいま、です」


 うわああああああああああ!!!!

 笑ったああああああああ!!!!

 笑ってくれたああああああああ!!!!

 やばい、やばい、僕大丈夫だったかな、挙動不審だけは避けないといやいや待て待て落ち着いてあともうちょっと通りすぎるまで自然に自然に自然自然自然


「あっ、狭山奏介、くん、」

「……っ、はいぃ?!!」


 僕がいつも通り脳内で爆発を繰り広げていると、通りすぎ様に名前を呼ばれた。


 ………………えっ。


 なんで?なんで僕の名前知ってんの、っていうかお兄さんに僕の名前を呼ばれてしまったあああああああああでもなんで!?

 脳内爆発が脳内暴発にシフトチェンジしつつも身体が条件反射でババアッと後ろを振り返る。

 お兄さんが、砕けたように、笑っている。

「ああ、良かった合ってた、ちょっと待ってて」

 そう言ってお兄さんは、動揺と緊張で心臓が口から飛び出しそうになってる僕を取り残して作業場の奥に消えていった。

 それからすぐに、手の中に何かを持って戻ってきた。

「はいこれ。君のだろ」

「あっ」

 渡されたのは、焦げ茶色した僕の学生証だった。

「ごめんな、一応確認のために中身確認したわ。多分君だろって思ってたんだけど。朝うちの前に落ちてたぞ」

「あっ、すみません、ありがとうございます。全然気づかなかった……」

「どうせスマホかなんか見ようとして落としたんだろ。気をつけな」

「はい、ありがとうございます」

 お兄さんが渡してくれるその学生証を両手で受け取る。

 うわああああああああああどうしようどうしようと心の中でパニックになりながら、取り敢えず直角に腰を折り曲げてお礼を言ってから、僕は、


 走って逃げた。


 心臓がばくばくする。

 顔が熱い。

 爆発しそう。

 走ってるからか、それとも、いや多分どっちもだ。

 初めて声を掛けられた。

 挨拶じゃない会話をしてしまった。

 しかも、な、名前を、……


 名前を呼ばれてしまったあああああああああああああああああ!!!!!!


 ああああああああどうしよう!!

 どうしよう!!!!

 あの人が素手で触ってた学生証!!

 あっ、素手……?

 はた、と気づいて勢いと足が止まる。

 焦げ茶色した学生証をまじまじ眺める。

 素手だった。

 さっき。

 さっきいつもみたいに軍手してたのに、僕にこれを渡してくれたとき、手、そのままだった。

 わざわざ外してくれたのかな、僕の学生証が汚れないように……?


「……っ、~~~~~!!」


 僕はついつい手の中の学生証を強く握りしめていた。

 優しいんだな。

 気遣いのできる人なんだ。

 大人だな。

 格好良い。

 僕も、あんな人になりたいな。

 気づけば結構な距離を全力疾走してしまった。

 いい加減歩こう。

 そこから家まで、手の中の学生証を見つめながら帰った。

 母さんに学生証を拾ってもらったことを話したら、まずは身分証を落としたことを怒られた。それから、近所なんだからなにかお礼でも持って行ったら、と言われて、明日学校帰りに何かを持っていくことにした。




 終業のチャイムが鳴る。

 僕は困っていた。

 何かを持って行けばって、なにを持って行けばいいんだろう。

 菓子折り?

 ちょっと仰々しいんじゃないかな。

 一口に菓子折りって言ってもどんなの選べばいいのか分かんないしな。

 邪魔にならないものにしたい。

 一人に渡すものよりかは、作業場の人たちみんなで分けられるもののほうがいいんじゃないかな。

 なにがいいんだろう。

 高校生から渡して受け取って貰えそうなもの……。

 僕は散々迷って考えて躊躇った末に、大きいサイズのサイダーを、二本買った。

 キンキンに冷えてるやつ。

 最近暑くなってきて、作業場の人たちいつも汗だくで働いてるから。


 ドキドキしながらサイダー持って、いつもの帰り道を歩く。

 平常心。平常心。

 大丈夫、昨日のお礼ですって言って、これ良かったらどうぞって渡すだけ。

 大丈夫、僕はやれる。

 よし。

 鉄工所の前に立って、奥のほうに向かって「あのっ」と声をかける。

 こんな日に限って表に誰もいない。

 なけなしの勇気を振り絞って大きな声を出すと、奥からあの人が出てきた。

「はいどなた、あ、奏介か」


 よよよよ呼び捨てえええええええええ!!!!


「どうかした?」

と大股でこっちまで歩いてくる。

 内心うっひょおー!! と叫び出したいくらいだったけど、ぎゅっと拳を握り締めてから、頑張って出来る限りの普通を装った。

「あのっ、昨日は学生証を拾ってもらってありがとうございました。これ、大したものじゃないんですけど、お礼に。職場の皆さんで飲んでもらえたらと思って」

「律儀だなあ、別にいいのに」

「いやあの、身分証を落とすとは何事かって、昨日母に叱られまして……。皆さんいつも汗だくで大変そうだから、少しでも、とか、」


 うおおおおおおおおおおなに言っていいか分かんないいいいいいいいい!!!!

 どんな顔していいのか分かんないいいいいいいいい!!!!

 どこ見ていいのかも分かんないいいいいいいいい!!!!

 要らないとか思われてたらどうしようああああああああああああああああ


「そっか、わざわざありがとうな。重かったろ」

「あっ、」

 すっ、と、手から重さが半分消えた。

 お兄さんは、ビニール袋の中から片方だけ引き抜いた。

「丁度喉渇いてたんだー」

って、ファミリーサイズのサイダーをプシュッと開ける。

 そのままその人は、目の前でそのペットボトルに口をつけてゴクゴクと飲み出した。

 ペットボトルの中で、大小の気泡がくるくる回る。

 僕はなんとなくそれがキラキラした綺麗なものに見えて、思わず見とれてしまった。

 ぷはっと勢い良く口を離して、お兄さんは近場の台にその飲みかけを置いた。

「そっちの貸して。みんなに渡してくるわ」

「あ、はい、」

 袋ごともう一本を手渡すと、お兄さんは

「ちょっと待ってろよ」

 と僕に一言告げてから、それを持って奥に入っていった。

 それからすぐに、紙コップをひとつ持って戻ってくる。

「高校生にジュース差し入れてもらったって言ったらみんな喜んでたよ、ありがとうな」

 そう言って、持ってきた紙コップに自分の飲みかけを並々注いで、僕にくれた。

「へ、えっと、」

「あっちはみんなのぶん、こっちは俺とお前のぶんな。学生証拾ったのも渡したのも俺だし、お礼なら俺のが多くていいんじゃね。お前のは、ここまで重いの運んできてくれた俺からの礼な」

「えっ、あっ、じゃあ、すみません、戴きます……」

 紙コップを受け取って、まだ冷えてるそれに口をつける。

 透明な液体に小さな気泡がシュワシュワしている。

 喉を通ると突き刺すような爽快感が通り抜けていく。

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