第18話 サトリの眼

「……」


 カムイは国境の隣国側の関所で腕を組んで待機していた。

 本来なら飛び越えてでもヘクトルの安否を確認に行きたい。しかし、それは国同士の協定に反する。

 感情に任せた行動は自身だけでなく周囲にも悪影響を及ぼす。隊長不在の中、隊を預かる副隊長として冷静に判断しなければならない。


「カムイ」

「副長」


 『樹族』の老練兵バルドと完全武装をした『人馬族ケンタウロス』のカーライルが到着した。


「来たか。それと……何でお前もいる?」


 カムイはカーライルの背に乗るミレーヌを見る。


「役に立つと思うよ~。わたしは」


 人差し指を自分の唇に当てるミレーヌ。カムイは嘆息を吐き、バルドと会話を始める。


「状況は?」

「煙と爆発音。ヘクトル様が狙われた。恐らくは」

「『ノーフェイス』か」


 カーライルは思わず脚に力が入る。今にも関所を突破しそうな気迫に隣国の兵士は汗が流れた。


「カーライル。私の命令があるまで動くな」

「……承知」

「ライルさん、リラックス、リラックス♪」

「胸を当てるな」

「バルド」


 カムイの意図を察したバルドは既に“眼”で現場を確認していた。


「ヘクトル殿の馬車が吹き飛んでおる。そして、あちらさんの兵士が確認に向かっとるが――」

「兵士じゃないな」

「左様」


 カムイは隣国の兵士に擬態した『ノーフェイス』の手の者による犯行だと確信する。


「爆発は地雷式の魔法だ。術者が魔力を込めると炸裂する単純なタイプのな。焦土作戦でよく見た」

「躱す事は出来るか?」

「無理だ。魔力を込めて起動準備する魔法陣と違い、あの手のヤツは発動瞬間までただの絵と変わらん。唯一の弱点は術者が魔法陣からあまり遠くへ離れられん事だが」

「この辺りでは関係ないな」


 身を隠す場所など腐るほどある。しかも兵士に擬態しているのなら事前に特定する事も不可能と言っても良い。


「迎えに行く」


 カムイは迷うことなくそう言い切った。しかし、


「通れるかのう」


 バルドの懸念は自分たちが『黒狼遊撃隊』であると言う事だ。

 咆哮一つで国の侵攻を止める戦力を、一部とは言え国境を跨がせる可能性は――


「ヘクトル様は生きている。兵士に擬態した『ノーフェイス』はトドメ役だ。奴らの思い通りにはさせん」

「勢いだけではどうにもならぬぞ」


 もし、隊長がここに居ればどの様に動いただろうか。

 いや……今決断を下すのは私だ。出来る最善の手を可能な限り考えろ――


「はいはーい」


 すると、ミレーヌが手を上げる。


「あたしが交渉してみよっか?」


 意外な申し出。カーライルとカムイは面を食らうが、バルドだけは悟ったように微笑む。


「出来るのか?」

「多分ね」

「なら任せる」


 ミレーヌはカーライルから降りると、一人、隣国の関所へ向かった。


「それがお前の選択か?」

「ミレーヌが出来ると言った。この隊に出来ないことを“出来る”と言う者は一人もいない」


 方法は思い付かないが、何かしらの根拠があっての挙手だろう。


「副長。増員しますか?」


 カーライルはミレーヌが駄目だった時に備え、強行突破の要員補充を提案する。

 他の隊員も自国の国境からこちらの様子を伺っていた。


「下手に刺激はしない。国境を越えるにしてもこのメンバーだ」

「承知」


 カーライルの全身に装着された鎧は複雑に変化しあらゆる得物へと変化する。

 彼一人でも目の前の分厚い門を破壊する事は可能だろう。

 隣国と兵としてはそれを行われる事なく治まって欲しいと願っていた。

 すると、ミレーヌが出てきた。その手には四つの腕輪を持っている。


「お待たせ~」

「結果は?」

「良いってさ。ただし、入れるのは四人まで。後、位置感知の腕輪を義務だって」


 ミレーヌは腕輪を見せる。バルドはその内の一つを手に取った。

 腕輪に刻まれた魔法陣。雑な細工であり文字が読みづらい。


「バルド」

「恐らく効果は感知のみだな。フォルドが見れば眉をしかめる程に粗悪品だ」


 旧友の“への字顔”を思い浮かべ、バルドは笑う。

 カムイ達は腕輪を着けると、話が伝わったのか隣国の兵士達が門を開けた。


 カーライルの背にバルドは乗り、更にミレーヌがその後ろに乗る。


「よっと。ライルさんよろしくね」

「……副長」


 ミレーヌが自然と背に乗る様をカムイに問う。


「足は引っ張るなよ」

「もち」


 カムイも翼を開く。もし、ヘクトルが負傷していたら戦闘員とは別に介抱出来る者は必要だ。


「カーライル、私の後を追え」

「承知」

「バルド、まだ地雷はあるかもしれん。無力化できるか?」

「問題ない」

「ミレーヌ、ヘクトル様が負傷していたら救護を最優だ」

「おまかせ」


 前に歩くように翼の動きと軽い跳躍、風魔法による飛翔の呼吸を全て一致させ、カムイは自然に飛び上がった。


「全員、我々に剣を向ける敵は殲滅せよ」


 ヘクトルが無事でいることを願い、カムイ達は現場へと向かう。






 師の研究は三災害の一つ『イフの魔神』の真実を解き明かす事だった。

 しかし、幾つもの文献を調べてもその名が出てくるのは旧史伝の『イフと獣の契約』のみ。

 何者かに意図的に消されていると考えた師は深く調べるには不可侵の地『陵墓』へ入るしかないと悟った。


「恐らく、全ての答えがそこにある。行くぞナルコ」


 『陵墓』は太古の魔物『ローレライ』によって阻まれる危険な地。師は望むところだと勇み足だった。

 その調査は師の研究を大きく進める事柄になる――ハズだった。


「ナルコ……よく聞きなさい」

「はい、師匠」


 一年後……師は己の死期を悟っていた。

 『陵墓』調査に参加し、そこで『シーカー』に遭遇。かの太古の魔物が持つ『サトリの眼』によって“殺戮の思考”植え付けられたのだ。


「私は永くない。だから私の知識をお前の道の糧にして欲しい」

「師匠……」

「お前の持つ【霊御殿たまごてん】は世間では『相剋』と呼ばれている力だ」

「『相剋』……」

「魔法を越えた理を変える力。私はソレを得る才能はなかった。だがナルコ、お前は違っう。その力を極めるのだ」

「師匠……」

「私の研究は全てお前が読めるようにしておいた」

「本当に……どうしようもないんですか?」

「……『サトリの眼』は受ける前に防がなければならない。一年間、足掻いてみたが……既に手遅れだ。間も無く狂い、お前を含む全てを殺してしまうだろう」

「でも!」


 師はそっと彼女の頭に手を置いた。


「世界を弾き、理を追え。その先にきっと全ての“答え”がある」

「師匠……わ……わたし……」

「最後の課題だ」


 私を殺しなさい――






 『サトリの眼』。

 それは太古の魔物『シーカー』が持つ、完全催眠を相手に植え付ける魔道具であると言われている。

 その眼を見た者は所持者の思い描く幻覚に引き込まれてしまい、記憶や思考を意図して変えてしまう事も可能だった。


“敵が隣人になり、赤の他人が家族になる”

“賢人が殺戮者となり、善人が極悪人になる”


 その様な恐ろしい事態を他に悟られずに行使できる力こそ『サトリの眼』が危険とされる理由だった。

 しかし、最も恐ろしいとされるのは誰も『サトリの眼』を認識出来ない事にある。


 不都合な記憶を消す。

 それが出来る時点で『サトリの眼』は人々の認識から存在そのものが消えている。

 全てを支配すると言っても過言ではない魔道具が所有者も使用されている事も知られずに野放しになっている事実に気づいている者は少ないだろう。


 それは魔術師にとって何よりも危険とされる行為だった。

 家族が、弟子が、隣人が、知り合いが、全く知らない赤の他人で自らの研究を奪おうとしているのかも知れない。


 『サトリの眼』は疑心暗鬼を形にした様なモノ。その存在を知るだけで昨日までの知人や家族が全て疑わしく見えてしまう。


 故に彼女は名声を求めなかった。有名になれば自ずと警戒される。

 彼女の目的は唯一つだけなのだ。


 『シーカー』を討ち、『サトリの眼』を破壊する事。


 それが師の願いであり、自らの使命だと思っている。






「遅かったか」


 レヴナントとリリーナはラガルト経由で、ラキアのからの情報を受け取りジェシカのポーチを持っていた冒険者を締め上げて手に入れた現場へと踏み込んでいた。


「……こんなところに。彼女はなんの違和感も無かったのかしら」


 場所は都心から外れたところにある崩れた宿屋。

 殆んど廃墟と言っても良いその場所に連れ込まれてジェシカは警戒も疑問も抱かなかったのだろうか?


「レヴはその辺りは知らん。クソ野郎め。ゴキブリみたいにちょこまかと」


 ジェシカの容姿はレガリアの魔法で見せて貰った。そして、彼女が魔術師である事も。


「……魔術師が知らない人について行くなんて」


 余程の目的があったのだろうか? レガリアが言うにはジェシカは旅の魔術師であるようで、その警戒心は街に住む者よりも一層強いハズ。


「変身魔法で知人に成り済まされたのかしら」


 リリーナは可能性を口に出すものの、ソレは限りなく低いと考えを改める。

 ラキアが言うには親しい知人はロイと呼ばれる騎士の青年だけだったらしい。

 彼は早朝に救援部隊から『霧の都』へ出発している為、目の前に現れれば逆に不自然だっただろう。


「なんでこんな廃墟に来たのかそれがわからないと……」


 ここから先を捜しようが無い。


「おっと暗いな」


 レヴナントは足元の凹凸に脚を取られそうになった。

 もう夜になってしまった。暗い状況では捜すどころではない。


「……明日に仕切り直しね」

「む。ちょっとまて」


 すると、レヴナントは物陰に潜む存在に気がついた。


「出てこい。壁ごと吹っ飛ばすぞ」

「……」


 気配の主は無言。そしてレヴナントは宣言通りに壁を蹴り砕き、向こう側の部屋へ躍り出た。


「……無茶苦茶ね」


 リリーナはレヴナントが規格外であると改めて把握する。


「逃げたか」


 部屋の中はもぬけの殻。正面の窓が空いているのでそこから逃げたらしい。

 レヴナントは更に壁を蹴り砕いて気配を追って行く。

 流石についていけないリリーナは部屋の中を何気なく散策した。


「……あら?」


 そして壁に書かれた真新しいメッセージを見つけた。


「……一体、どこまで掴んでいるのかしら」

「逃げ足の速い奴ばかりで嫌になるぞ」


 そこへレヴナントも戻ってくる。違和感を捕まえる事は出来なかったようだ。


「レヴナントさん、これの意味はわかる?」

「むむ?」


“明日の早朝、王都の外で発生する雷光を追え”

“アルビオンより”


「アルビオン……」

「知ってる?」

「知らん!」


 レヴナントのその言葉に二人の様子を“使い魔”で視ていたは思わずズッコケそうになった。






 洗脳が解けたジェシカはテントの中で仰向けになって、どうするべきか悩んでいた。


 今すぐに行動テントから飛び出すのはリスクが高い。

 レイスの仲間でルドルフの護衛としても存在する冒険者達は寝ずに周囲を徘徊している。

 しかし、一番厄介なのは――


「あのルイスと言う男の人……相当な魔術師ね」


 『メモリー』によって使い魔のビーから記憶を起こさせて貰ったとは言え、見るだけで他の記憶を書き換えるなど常識外れも良い所だ。


「少なくとも記憶に関する魔法技量は師匠せんせいレベル……か」


 魔術師が使う魔法は複雑であればあるほど、知識の及ばない箇所を魔法陣にする事で補填している。


 高度な魔法を“簡単な図”、又は“動作”だけで行える魔術師は己の中にその術式を鮮明に記憶している裏付けなのだ。

 それは、一芸に特化した魔術師に見られる事が多く、その分野では隙が無いと言っても良い程に熟達している。

 現にナタリアも簡単な円を作っただけで、ロイに過去を体験させると言う高度な様を披露していた。


「……眼を見ただけだったわね」


 その中でもレイスは眼を合わせただけでこちらの意識を奪い、更には本来の記憶に蓋をして新たな記憶を植え付けようとした。

 それも魔法陣の類いは一切なく、だ。


「人にはあり得ない“獣の眼”……多分魔眼の類いか」


 魔眼には様々な種類があるが、ジェシカはその知識を殆んど持ち合わせていない。


「反省点ね。もっと貪欲にいかないと」


 魔術師にとって知識は武器だ。

 特に自分はジンの様に機転が効くわけでもなく、ロイの様に状況を強引に打破する武力も持ち合わせているわけではない。


 すると、ビーが寝転がっているジェシカの胸に着地する。


「……そうね。何とかしないとね」


 とりあえず情報収集だ。

 今は一人。頼れる友達はいない。助けを求めてもレイスによって敵になる可能性の方が高いのだ。

 こちらの利点はまだ記憶が戻った事に気づかれていないこと。

 見張りの状況を“使い魔ビー”を通して調べて、夜が明けない内にここから逃げ出そう。

 その後はすぐに王都を離れてジンの所に――


『そなた。若いにしては中々の腕前じゃのう』


 その時、澄んだ女声が聞こえた。慌てて周囲を確認するが誰もいない。


 洗脳の後遺症かなぁ……


『声を出さんとは。その歳で窮地に慣れた魔術師とは珍しい』


 また聞こえた。しかし、今度は先程よりも冷静に状況を見ることが出来る。そして、コレは過去に経験があるものだった。


「……まさか【霊界】?」

『ほう。その研究に身を寄せる者か』

「アナタは何者ですか?」


 外に悟られない様に声量を抑える。


『状況からはすれば、お主の味方と言えるじゃろうな』


 澄んだ妖艶な声。

 味方……その言葉を頼りにしそうになるが、信頼できるかどうかは別の話だ。


『そなたが疑うのは至極当然じゃ。しかし、他に手がないのも事実ではないか?』


 現在、ジェシカは孤立無縁の状態。声主の言う通り手詰まり――


「……まさか」


 この声を敵と仮定すればこれは時間稼ぎだ。


『待て』


 慌ててテントから飛び出そうとしたジェシカの目の前に彼女は現れた・・・


「!?」

『今出ていけば本当に終わりぞ。焦るでない』


 ジェシカが足を止めたのは、彼女に圧されたからではない。

 目の前に現れた声主は、淡く光り、半透明な姿だったからだ。それは――


“これがオレの『相剋』ってヤツらしい。ナタリアが言うには世界の裏側を行き来する力だと――”


『ほう。驚かんか』


 声主は興味深そうに眼を細める。


『若くして奇妙な経験をしておるようじゃな。しかし今は、その様な些細な事を考えている場合ではなかろう?』

「……貴女が味方だと仮定して――」


 ジェシカは逃げる選択を諦めた。

 捕捉されたコレから逃げる事は不可能なのだ。後は彼女が敵ではない事に賭けるしかない。


「私に何をしろと?」

『現状、妾一人では命の選択が必要になっておってな』

「命の選択?」


 すると声主は緊張感を感じさせる声色でジェシカへ語る。

 自分がこれまで追い求めたモノと、成すべき事。そして――


『『サトリの眼』を破壊する事こそ、妾の望みじゃ』


 師をこの手で殺した時から曲がることのない信念を打ち明けた。


『これだけは言っておく。妾の提案は強制ではない。お主が今すぐ逃げたいと思うなら手を貸そう』

「……いいの? 協力者が必要なんでしょう?」

『良い良い。先ほどの提案はそれは妾の我儘じゃ。何を優先するのかは理解しておる』

「それじゃ……残った子たちは?」

『あのわらし達は既にレイスの洗脳下にある。救うことは出来ん』

「……」

『そろそろ妾も身体に戻る・・・・・としよう。もし今夜逃げるのなら“使い魔”を妾の場所へ寄越すといい。それではの』


 そう言って彼女の姿も声も聞こえなくなった。独特の雰囲気も感じられなくなったので、本当にこの場から離れたのだろう。


「……私の選択次第……か」


 全てを呑み込み決断を下すには、ジェシカは余りにも幼く経験も浅かった。






 夜が明けて朝日がゆっくりと、レイス達のキャンプをしている場所へと射し込む。


「おはようございます、旦那様」

「おはよう、スカーレット」


 ジェシカは彼女に協力する選択をした。

 一晩考えて解ったのだ。『サトリの眼』は決して野放しには出来ない。


「……まさか……な」


 僅かな違和感にレイスだけが慢心を抱かなかった。


『準備は整った……か』


 そして、彼女はジェシカの合図を待つ。

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