アカウント削除

暗藤 来河

アカウント削除

『削除したアカウントは復元できません。本当に削除しますか?』


 ある朝目覚めるとスマホにそんなメッセージが表示されていた。友達に誘われて始めたSNSアプリのホーム画面の上に被さる小さなウィンドウ。

 なんだろう。寝てる間にどこか押したのかな。

 メッセージの下には、はいといいえの二つのボタンがついている。

 いいえを選ぶといつも通りのホーム画面に戻った。

 なんでこういうアプリのアカウント削除って脅すような言い方するんだ。そりゃあ多くの人に使い続けて欲しいだろうけど、不快にさせたら本末転倒じゃないか。

 少し不満を抱きながら学校に行く支度を始めた。


「ういーっす」

 教室に入って適当な挨拶をする。こんな雑な言い方でもみんな挨拶を返してくれる、良いクラスだ。

 席に着くと隣の田城が話しかけてきた。

「おっす、岸谷。なあ、あのアプリなんかおかしいこと無かったか。塚本が勧めてたやつ」

「アプリってSNSの?」

 俺と田城は十日ほど前に塚本に勧められてSNSアプリをインストールした。電話やメールより楽だから、とのことだったが、当の塚本は三日前から学校にも来ていないしSNSでも連絡がつかない。

「特に変わったことは。ああ、でも今朝はアカウント削除しますか、みたいなメッセージ出てたな。寝てる間にどこか押したんだと思うけど」

「やっぱりか」

 田城は眉間にしわを寄せて何か考え込んでいる。ただの世間話程度に思っていたが何かあったようだ。

「やっぱりって何かあったのか。塚本絡み?」

「いや、分からない。ただ俺の方もそのメッセージが出てたんだ。昨日も今日も」

「やっぱりどこか押したんじゃないか」

 スマホでアプリを開く。ホーム画面か設定画面にでもアカウント削除のボタンがあるのだろう。

 目につくアイコンを片っ端から押していく。これは投稿、こっちはフォロワー。タグ検索、プロフィール、通知設定……。

 しかし、どこを押しても今朝のメッセージは現れなかった。

「無いな。バグかなんかじゃないのか。このアプリまだ出来たばっかりなんだろ」

「たしかにリリースされてまだ一ヶ月らしいけど。悪い、気にしすぎだな」

「まあ気持ちは分かるよ。あのメッセージ、なんか不気味っつーか、不吉な感じだよな。本当にいいんですか、みたいな」

 ガラッと扉が開いて先生が入ってきた。話をやめて教科書を出す。

 だが授業を受けている間も頭の中はあのアプリのことでいっぱいだった。


 英単語も数式も何一つ記憶に残らず放課後を迎えた。帰り支度をしていると学年主任の先生が現れる。

「岸谷君、田城君、ちょっといいですか」

「え、はい」

 田城と顔を見合わせる。呼び出されるような心当たりはない。

「塚本君のことなんですが、彼が三日前から学校に来ていないことは知っていますね。それだけでなく、家にも帰っていないそうなんです。お二人は何か塚本君から聞いていませんか」

「いえ、分かりません」

「俺らも連絡入れてますけど返事は返ってこないので」

 塚本が不登校だけじゃなく家出?

「親御さんは今日、捜索願を出したそうです。ただこのような場合、学校や警察よりも家族や友人に連絡がいくことが多いのです。だからもし連絡が取れたらご家族に知らせた後でいいので、学校にも連絡をいただけますか」

 俺らが了承したら先生は職員室に戻っていった。だが俺らはしばらくその場を動かずにいた。

「塚本、家にも帰ってないって……」

「家族とは仲良くしてたはずだけどな……」

 塚本の家はみんな仲が良く、何度も家族の話を聞いた。妹が自分より先に恋人をつくったとか、親父の誕生日を盛大に祝ったら泣かれたとか。

 不真面目でだらしなく、学校をサボることもあるが、家出は考えにくい。

 なんとなく嫌な予感がして俺はスマホを取り出す。例のSNSアプリを開いてフォロワー欄を見る。

 思わずスマホを持つ手が震えた。当たって欲しくない予想に限って当たってしまう。

「岸谷、どうした?」

「あいつのアカウントが無い」

 田城は俺が言いたいことに一瞬で気づいて顔色を変える。すぐにスマホを出して操作する。

「なんでだよ。この前まであったのに」

 自ら消したのか誤って消えたのか。どちらにしても、今はもうアカウントは存在していない。もちろん電話やメールでも何度か連絡を取ろうとしたがだめだった。

「とりあえずあいつの家に行ってみよう」

 このままでは埒があかない。何か手掛かりでも見つかればと思い、俺と田城は塚本の家に行くことにした。


 学校から歩いて十五分。塚本の家は前にも来たことがあったので迷うことなく到着した。

 呼び鈴を鳴らすと塚本の母親が出迎えてくれた。塚本の部屋を見たいと言ったら快く俺らを通す。

「あの子はいつも下の子たちの面倒を見てくれて、私もそれに甘えていたのね。でも本当は嫌だったんだわ。友達と遊びにも行けずに、家に縛られて……」

 おばさんの話を聞きながら部屋に着く。

 以前に来た時と何も変わっていなかった。机もベッドもゲームも、そのまま残っている。

 机の上にはスマホと財布が置かれていた。この二つを持たずに家出なんて有り得るだろうか。

 財布の中にはお金と学生証、ポイントカードが数枚。連絡手段もお金も、身分証すら無い状態で何が出来ると言うんだ。

「スマホ、見てみるか」

 田城が控えめに呟く。

 俺は置いてあったスマホを取って、画面をタップする。当然、ロック画面が表示された。数字四桁を入力するタイプだ。

「ごめんなさいね。私はそのロックを解除する番号分からないの」

「大丈夫です。前と同じなら俺分かりますから」

 今日は九月十四日。今まで通りの法則なら……。

 一〇一五。ロック解除。

「おばさん。あいつはちゃんと家族のこと大事に思ってますよ」

 あいつはよく暗証番号を変更する。その法則は以前に聞いたことがあった。

「うちの家族の誕生日にしてるんだよ。一番近い日にして、お祝いしたら次にお祝いする人の誕生日って感じで。自分の誕生日も含めてな」

 もちろん俺は塚本家全員の誕生日なんて知らない。あいつの誕生日が十月十五日ってことは知っていたし、だめならおばさんに聞けば他の人の誕生日もわかると思っていたが、一発で解除できるとは思わなかった。

 だが開かれた画面を見て、俺は喜んではいられなかった。


『アカウントを削除しました』


 例のアプリの画面に、一行だけのメッセージ。

 今までロックを解除出来なかったということは、これは塚本が最後に操作したときの画面だ。

「岸谷、これって……」

 田城が震えた声で俺を呼ぶ。と同時に、俺と田城のスマホから通知音が鳴る。

「ひっ!」

 もはや田城は声だけでなく、身体中震えていた。

「落ち着けよ。大丈夫だから」

 本当は俺も内心恐れていた。自分のスマホを出して一度深呼吸する。少しも落ち着けないままスマホをタップした。

 電話やメール、他のアプリのアイコンを確認したが、どれも通知は無い。

 例のSNSアプリが、アイコンの右上に小さく『1』と通知件数を表示していた。

 そのアイコンをタップすると想像通りの、見たくなかったメッセージが現れる。

『削除したアカウントは復元できません。本当に削除しますか?』

 そしてはいといいえのボタン。だがメッセージはそれだけではなかった。朝は気づかなかったが、下にもう一行ある。

『五秒以内に選択されない場合はいが選択されます』

 数字の部分が四に変わる。制限時間なんてあったのか。三に変わったところでいいえを押す。

 元のホーム画面に戻って、やっと一息ついた。

「なあ田城、制限時間なんてあったの気づいて――」

 田城に声をかけるが、俺は最後まで言葉を発せられなかった。

 隣にいたはずの田城は、忽然と消えていた。

「は? なんで……」

 さっきまでそこにいたのに。自分のスマホに集中していたと言ってもたかだか数秒のことだ。

 視線を落とすと、田城のスマホだけが落ちていた。

 急いでそれを拾う。やはりあのメッセージが表示されていた。

『アカウントを削除しました』

 もう確定だった。アカウントを削除すると消える。今の今までここにいたのに、音もなく一瞬にして消えてしまう。

 どうすればいいんだ。アプリそのものを削除するか。アカウントは残るはずだが操作はできなくなる。消される可能性はゼロではない。その場合は何も分からないまま消えることになる。

 また通知が鳴った。例のメッセージだ。すぐにいいえを押す。朝に一度、ついさっきに二回目、そして今のが三回目。

 徐々に頻度が上がっている。

 また鳴った。いいえを押そうとしたらさらにもう一つ同じメッセージが重なる。

 そして通知音が止まることなく鳴り続けた。

『削除したアカウントは復元できません。本当に削除しますか?』

 いいえ。いいえ。いいえ!

 押しても押しても無くならない。

 一体、今ので何個目だ。あと何回押せばいい。

 音と表示が続いて、スマホがかなり熱を持っている。まずい。このままでは。

「っ、くそっ!」

 画面をタップし続けるが表示が消えない。スマホに負荷がかかりすぎたのだ。完全に固まってしまって何をしても動かない。

 それでも押し続けていると一瞬だけ表示が変わった。


『アカウントを削除しました』


 それが、俺が見た最後の文字だった。

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