花恋慕

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花恋慕



 あたしは何の変哲も無い花屋の店の真ん中あたりに置かれていてね、美しい花でしたから、それはもう手入れも格別だったわ。あたし目当てで訪れてはいない人も、だれでも一度は目配せしたわ。でもあたしは誰にもついていかなかった。あたしは他のどの花たちよりも、とっても高かったのよ。

 それでね、その男が来たのはあたしのいちばんの花盛りの日、いま振り返ってみても最も美しかった日だわ。でもその日はとっても暑くてね、あぁあたしの盛りは、今日一日もつかしら、なんて心配になるくらいだったのよ。でもね、夕方ごろに現れたその男を見た瞬間、花弁のつややかさ、鮮やかさ、蜜の甘さまで何もかもが段違いに変わってしまったような気がするくらいの、恋に落ちてしまったの。一目惚れよ。純朴そうな人だった。

 その人はしばらくあたりの花々を見回していたわ。あたし以外の美しい花は、こんなつまらない男なんかに買われていくのはお断りよ、というように、ふいと俯いて、それの情けないこと、普段よりよっぽどみっともなく見えたわ。それでもあの人はひとつひとつの花を見て回って、一周すると最後にあたしの前に立って、あたしをじっと見つめたの。

 ああ、そのときの瞳の一生懸命なこと!その目の色は、なんだかはっきりしなくて、見ようによっちゃあ頼りなく見えたかもしれないけど、あたしにとってはなんだかミステリアスで魅力的だったわ。どうにかして、このあたしが、その瞳の苦悩の濁りを晴らしてあげたくって仕方なかった!

 そしてその願いが叶うときがきたわ。あの人はあたしを指差して、店員さんを呼んだの。嬉しかった。自分の愛した男に選ばれる喜びを、花の短い生涯のうちで知ることができるのは、いったい何人いたかしら。

 店員は、あたしを主役にした花束を作ったわ。でも、あたしの周りにいくらでも変えの効くような花々が引き立て役として重ねられていくときの店員と彼の会話で、あたしが失恋してしまったことがわかったの。

 彼にはすでに恋人がいて、今夜にはプロポーズをする。その花束の主役に選ばれたのがあたしだったの。

 その話をきいて、あたしは、なんだか情けないような、かなしくって、そしてとっても憎らしいような気持ちになっちゃったの。今思えばあたしの勝手な被害妄想だったけど、そのときはもうカッとなっちゃって、あたしは彼に裏切られたんだと思っちゃったのよ。今なら、裏切られただなんて、そんな思い込みは、心の底から馬鹿なことだったと思うけど。

 けどね、そのときは本当に憎らしくて、あたしにバラのような棘があったなら、それに毒の蜜を塗って刺し殺してやりたいとさえ思ったわ。

 でもね、あたしそれよりもっといい復讐を思いついたの。あたしが失恋させられたんだから、彼も失恋させてやればいいと考えたのよ。そのためにあたしができることは、この花束の主役であるあたしが、なんとしてもプロポーズの前までに萎れること。主役の花が枯れた花束の惨めさをあたしは嫌というほど知っているのよ。

 自爆同然だったけど、とってもいいアイデアだと思ったわ。だってこれはあたしにとっては、彼との心中でもあったのよ。認めたくないけど、彼女にプロポーズをするって意気込んでいた彼の顔を見て、相手の女が彼にとってどんなに大事な人かわかっちゃったの。あたしにも目や口があったなら、きっと彼におんなじ顔をするわ、っていうくらいのその表情で。

 そんな人を、プロポーズの失敗で失う彼は、きっと死んでしまうかも。もし生きていても、その女と出会う前と同じようにはいられないはず、死んだように生きていくことになるはずよ。

 それからあたしは、あと三時間で、精一杯の自殺を試みたわ。人間は生涯にうつ鼓動の数が決まっているそうだけど、花にとっては蜜の味がそれよ。甘く作れば作るほど死期が早まるの。彼のおかげで、あたしの自殺はスムーズだったわ。憎かったけど愛していたから、あたしの花弁はまぶしいほどにつややかで、蜜はとても甘いままだったのよ。彼は花束が出来上がったあとは、ほとんどあたしに見向きもしなかったけれど。

 自殺はうまくいったわ。彼はサプライズのため花束を、あたしを暗がりに隠してた。そしてそのあとはロクにあたしを見ることもなく、女の前に出したのよ。萎れたあたしには気づかずに!

 絶対に失敗するはずだと思ったわ。女性がプロポーズに萎れた花束なんてもらって満足のはずがないもの。でも、事もあろうにその女は、みっともない姿のあたしが主役の情けない花束を、涙を流しながら、とっても満たされたように受け取ったの!どうして?理由はすぐにわかったわ。その女も、あたしが花束になったあとの彼とおんなじ、あたし自身を全く見てくれてなかったのよ。

 あたしは自分の惨めさに気がついたわ。そうよ、彼に選ばれたからって、花束の主役だったからって、所詮井の中の蛙、ほんとうの主役はいつだって彼と彼女だったじゃない。あたしの恋は、はじめから、舞台の袖にもかかれない、緞帳があがってからおりるまで一度もふれられることのない恋だった。ああなんて情けないの。あたしは傲慢で、馬鹿だった!

 もっとそれに気がつくのが早ければ、あたしは自分を萎れてみっともない姿になんてしなくて済んだ。最後まで、美しいままのあたしでいられて、たとえ彼が振り向くことも、見向くことさえなかったとしても。

 本当の幸運は、愛した男に選ばれることじゃなかった。それが独り善がりでも、自分の愛したもののために、花は花なりの美しい生涯を咲かせて、花としての自分の役割を演じ、せめて精一杯のうちに枯れてゆくことだった。あたしの周りに重ねられていたあの花々たちのほうが、あたしよりよっぽど生きていた。

 あたしは今でもあの人が大好きよ。でもね、あの人と幸せになりたいんじゃなくて、あの人に幸せになってもらいたいと思うの。そらが叶うならあたしは、あの人とその恋人との行く末を占う花占いのために、花弁を散らされたって良いくらいよ。それくらいーーー、欲だけが恋の質量でないのなら、きっと誰よりも、あたしはあの人のことを愛してる。

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花恋慕 1 @whale-comet

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