第70話


「3回目だな」

「……は…………?」


「――ちょっと陛下。神聖な戸部でそれ以上手を出したら怒りますよ。あと、口付けは一応、貴方にとっての誓約だったと記憶していますが」


 何があったんだ、と呆然としている間に開いた扉には、呆れたような、揶揄い交じりの戸部尚書が立っていた。


「なんだよ踏青とうせい、工部に行ったんじゃないのか……?」

「忘れた書類を取りに戻ったら、うちの可愛い部下が迫られていたので。というか、いつの間に2度目を? 何かお変わりは?」

「別に無いが」

「沙耶くんは?」


 ゆったりと歩み寄って来た戸部尚書が、自席から書類を探しがてら、沙耶に視線を向けてきた。


 が、沙耶としては衝撃すぎて何を聞かれているのか理解できない。


「へ……? え……?」

「いえね、『比翼の誓約』によると、天に遣わされし月輪の君は、比翼である日輪の君とだけ意思の疎通ができる存在でしたが、口付けによる誓約で、ようやくこの地に交わった、と云われているんです」

「昔話だろ」

「まぁそうなんですけどね。陛下と口づけを交わした沙耶くんにも、何か変化はなかったかな、と」

「はい…………?」


 ……いや、そんなことよりもさぁ……。


 私は陛下にキスされた事をもっと驚きたいんですけど!!

 今のはこれまでの非常時2回とは訳が違いません!?


 何よりも、戸部尚書にも見られたのが……この居た堪れなさをどうしてくれるんだ。陛下は全く気にしてないし……いや、この人本当に、口づけを誓約として大事にしている国の人なの???

 変な伝説の話も意味がわからないし、『月輪の君』とか……結局ナニソレっていう……。


 色んな意味で目を白黒させる沙耶に、話の意味が理解できないかと、懇切丁寧にも再び口を開いたのは陛下だ。


「あまり真に受けるな。そういう伝承がある、というだけだ。……瑞兆と信仰されている俺のような色をした皇帝には、同じく瑞兆が天から遣わされるらしい。で、その瑞兆はこの世界の人間じゃないから言葉を解さず、口づけで誓約をして、この世界の人間にするんだと」

「……そんなファンタジーな……」


 って、5年前、日本から突然この世界に迷い込んだ私が言う? ……なんて。


「どうせ言葉の通じない外国の方とかを見て、そんな話になったんじゃないですか?」


 交通の便が発達してないから、遠方の人間と交流する機会なんてほとんどない世界なのだ。異国人に驚いた話が婉曲したのだろう。

 一応、科学技術の発達した日本で生きていたのだ。こんなファンタジーな状態で生活をしていても、穿った考えをしてしまうぐらいにはリアリストなのである。

 そんな、不貞腐れたような沙耶の言葉に、室内の2人は不思議そうな顔をした。


「言葉の、通じない……?」

「……そんな国、陛下はご存知ですか?」

「いや……訛りはあっても通じない、なんてことは聞いた事がないな……」

「……ぇえ…………?」


 2人の会話に、今度は沙耶の方が目が点になった。


 この世界は統一言語って事……??


 いや、でも……、


「あのっ、最初出会った時に陛下を拘束してた男達って……」


 別の言葉を喋ってましたよね?

 陛下には通じても、あの男達には何にも通じなかったし……と恐る恐る尋ねてみるも、


「…………? 情けない話だが、璃寛皇国りかんこうこくの人間だったぞ。国内での内乱だからな」


 へ…………?


 えーと……どういうこと?

 あの時確かに、男たちの言葉はわからなかったけど、陛下のはわかったよ?

 意思疎通とれてたじゃん?


 え、なんで?


「最初の人工呼吸は致し方ないとしても、2回目以降は完全にアウトですよ、陛下」

「1度やったらもう、2回だろうが3回だろうが一緒じゃないか。何か変化があったわけでもあるまいし……」

「なんて信心深さのない人ですか……」


 呆れたように溜息をつく戸部尚書を見ながら、沙耶は冷や汗が垂れてくるのを感じた。


 そうだ。

 もしもあの時の人工呼吸が『誓約』とやらになっていたとしたら……?


 人工呼吸の前に出会ったのは、陛下と、陛下を襲った男達だけ。その男達とは全く言葉が通じなかったが、人工呼吸の後に集まった兵士たちの言葉はわかった。……最初から言葉が通じていたのは陛下だけで……襲って来た男達はこの国の人間だから言葉は通じる筈で……。


 …………。


 えーと、月輪の君とやらは、日輪の君とだけ意思の疎通ができる存在だった……?


 …………。


 隣で談笑する美丈夫を見つめる。

 確かに、出会いが運命的かと言われればそうだ。なんたって別の世界にまでやってきたのだから。


 …………。


 あの時の人工呼吸が、この地に交じる誓約になったって……?


 人工呼吸で??


(……う、嘘でしょっ、なによその情緒のないシステムは……!!!!)


 気安いジャレ合いを続ける2人を尻目に、平穏な官吏ライフを送りたい沙耶は、髪を隠す布を手で確かめ、そして一呼吸置いて書類へと向き直った。


 ……もう、無心で仕事をしよう。


 深く考える事を完全に拒否した沙耶は、全部を右から左にスルーして、目の前の書類に没頭することを決めたのだった。





***



 皇暦512年。

 日輪は月輪を得、比翼は連理となる。

 瑞兆はその双翼を以って、民を教え導いた。


 この国が皇妃を戴くまで、あと××日…………。




 <第一部・完>





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一旦、予定していたところまで進みましたので、第一部完結とさせて頂きます。

不定期連載にお付き合いくださいました方、本当にありがとうございました!

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