第56話




「――あれ、沙耶さん?」


 異様な空気に慄きながら開いた扉の先には、


来趾らいしさん!」


 格子戸の中に閉じ込められた、来趾らいしがいた。

 殴られた痕は未だに赤く腫れていたが、牢の中では元気そうに立ち歩いている。


「ぁあ、ちゃんと無事だったんですね。沙耶さんもこんな扱いを受けていたらどうしようかと思ってたんです!」

「はい、私の方は……。でも来趾らいしさんこそ、こんな場所……」


 室内は、燭台が灯されていても薄暗く、想像通りそんなに広くは無い。

 来趾らいしのいる牢と、その倍ぐらいの広さの面積があって、荷物が乱雑に積まれているだけだ。本当に、座敷牢、もしくは倉庫としての役割しかない部屋なのだろう。


 この荷物の中のどれかが、悪臭の原因なのだろうが、臭いがこもりすぎていて発生源が特定できない。


「あ、この臭い、ひどいですよねぇ。さっきここの男達が運んできたのが……って、沙耶さん後ろっ、後ろっ! あぁあああっ、逃げてくださいーっ!!」


 困ったように話していた来趾らいしが、突然焦ったように声を上げた。

 その声に驚いて後ろを振り返った沙耶だったが……、


「あああっ、早くどこかにっっ! ぁあああっ、彼女に何かしたら許さないからなぁっ!」

「……なんでお前が女だとバレてるんだ?」


 念のため外を確認してから入ってきた陛下が、不機嫌そうにこちらを見ていた。


「ぇー……っと……」

「沙耶さんっ、逃げてくださいっ! 俺のことはお気になさらずっ!!」

「……こいつは、どういう了見だ?」

「…………まぁ……その服装のせいだとは思いますが……」


 悪臭なんて一蹴するかのごとく、一気に氷点下になる陛下にドギマギする。まるで怒られそうなことを隠す子供みたいな心境だ。

 ここの番兵達と同じ格好をしているんだから、間違えられるのは仕方ないと思うのだが、この場合、相手が悪い。


「今のうちですからー、って……あれ……どうしたんですか……?」


 ひたすら叫んでいた来趾らいしも、さすがに沙耶達の様子に違和感を感じたのだろう。不思議そうに2人を見つめて首を傾げた。


「ぁ……来趾らいしさん、この人は……」

「――沙耶の夫だ」


 味方なので大丈夫です、と言おうとした言葉が、陛下の爆弾発言に掻き消された。


「はぁぁあっ!?」

「……違う、とでも?」

「…………いえ、その通り、です……ね……」


 確かに。後宮の妃なのだから、陛下の嫁なのだ。


(他にもたっくさんいますけどね!!!)


 内心毒づきつつも、これを否定したら後が怖い気がする、と素直に同意を示す。


「え……? 沙耶さんの、旦那様、ですか? ……沙耶さん、変な顔してますけど?」

「い……いいえ、まさか、別に……」

「…………ちっ」


 沙耶のぎこちない誤魔化しに、皇帝陛下としてあるまじき舌打ちをした陛下。未だに疑いの眼差しで見つめてくる来趾らいしをちらりと見つめてから、肩書き上の嫁をぐいと引き寄せ……、


「ちょーーーー……っっと!!!! 何しようとしてるんですかっ!!」

「……あいつが信じないからだな……」

「どんな理由ですかっ! 安易にしないっ!!」


 唐突に引き寄せられたと思ったら、素早い動作で顎を掴まれ、あろう事か顔を寄せてきたのだ。


 さっきもしたから、とハードルが下がっているのか、甚だ不本意な事態に全力で叱り付ければ、本気で残念そうにする陛下。端正な顔面で悲しそうな顔をされると、少し、ほんのちょっとだけ母性本能がくすぐられて、可哀想に思えてくるからやめてほしい。


 さすがにあんな拒絶の仕方だと傷つけてしまったか……? と後悔し始めた時、拗ねた表情をした陛下がボソッと呟いた。


「……さっきもしたくせに」

「あれもですねぇええええええ!!」


(蒸し返すなぁぁああああ!!!)


 殊勝な見た目に騙されるところだった。この全力で押してくる感じ、やっぱり陛下だ。普段の『陛下モード』がオフの時の、奔放具合に通ずるものがある。


 頰を上気させながら詰め寄る沙耶と、余裕そうに揶揄う陛下。


 来趾らいしは、そんな2人の気安い掛け合いに何かを感じたらしく、諦念したようにゆっくりと俯いた。


「……ほんとに、沙耶さんの旦那様……なんですね……」

「ぇ、はい、まぁ……」


 明らかにテンションの下がった様子に、こっちもどうした、と突っ込もうかと思い――来趾らいしがバッと顔を上げた。


「っ……本当に、沙耶さんの旦那さんだとしてもっ! しても、ですよっ!? 口づけは神聖なものなんです。こんな簡単にするなんて、沙耶さんに失礼ですっ!!」

「……来趾らいしさん……」

「古くから『比翼の誓約』とも言って、皇帝陛下であろうとも、最初の口づけを皇妃様のために取っておられるんですよ!?」


 ……ん……?


 最初の、口づけ……?


 この人さっき、モロに私にしてませんでしたっけ……?


「ふむ、そんな話もあったかな……?」

「子供だって知ってますよっ!!! 女の子もそれを夢見て、婚姻の儀まで大事にしているんですっ、ね、沙耶さん!?」

「……へ?」


 いやいや、そんな話は聞いたことございません……けども、なんだかとっても重大なことじゃありません!?


 慌てて陛下を仰ぎ見るも、


「まぁいいだろう。そんな事より……」


 至って平静に聞き流してくれている。


(えぇええ、そんなんでいいの!? 大丈夫!? 貴方一応、皇帝陛下だよね!?)


 思わず唖然と見つめるも、自分から聞いてやぶへびになるのは御免だった。それに、あれは緊急事態でのカモフラージュってだけだし、気付かなかったフリをしておこう。必死に言い募ってくれた来趾らいしには申し訳ないが、ここはひとつ、自分の安寧のため……。


 少しの後ろめたさを感じつつ、明後日の方向に視線をやった沙耶は、ひとつの異様な気配をする木箱に目がついた。部屋の隅にポンっと置かれているだけの、少し大きめの木箱。その上部には、黒い墨で、何やら緻密な紋様が描かれている。


「……その箱はどうした?」


 陛下も同じものを気にしていたらしい。ふざけていた空気を一変させ、冷淡に来趾らいしに問うその指先は、同じ方向を向いていた。


「あ、あれですか? ここの男達が運んできたんですよ、さっき」

「さっき? というと、コレが……」


 遭遇した男達が話していた、怪しい箱、なのだろうか。

 コレに絡んで、『お屋形様が魔獣を誘き寄せた』うんぬんを話していたから、この中身が何らかの手掛かりになるはずだ。


「開けてみても、良いですか?」


 封をされていてなお、恐ろしい悪臭がたちこめている。こんな密室で蓋を開けるなんて、拷問に近い所業かもしれない。が、確認しないわけにはいかないのだ。

 慎重に頷く来趾らいしを確認してから、木箱へと近づく。


「……もう、開いてますね」


 上部の蓋が、若干ズレていた。

 さっきの男達が間違えて開けてしまった、と話していたから、再度閉じることが出来なかったのだろう。


 近付いただけで呼吸すら苦しくなる饐えた臭いに、片手で口元を覆いながら手を伸ばす。


「大丈夫か?」

「はい……開けます……っ」


 心配そうに見つめる陛下に目配せをしてから、指先で蓋の端を引っ掛け、強くスライドさせた。


「…………ぐ……」


 開けた瞬間、今までの比ではない、気味の悪い異臭がたちこめた。


 中に収められていたのは、茶色い麻布でぐるぐる巻きにされた、ナニカ。


 顔を顰めながら、ゆっくりとその布をめくっていくと……、


「…………っ!?」

「これは……」

「…………? ぅわあっ、ひぃっ……!!」


 沙耶達の反応を見て、格子の隙間から覗いた来趾らいしは、腰を抜かしたように尻餅をついた。


「な……なんですかっ、それ、そんなモノ……!」


 布をめくった先にあったのは……、


 どす黒い血に塗れた、奇怪な姿形の獣、だった。




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