六章 王都決戦

プロローグ

 パチパチと薪が音を奏でている。

 暖炉が放つ暖かな光が慎ましげに小屋の中を照らしていた。


「ここは……」


 穏やかな雰囲気に包まれる世界に少年の言葉が吐き出された。

 混濁していた意識を浮上させれば、視界に見慣れた少女の寝顔が映りこんでくる。

 白磁の如き柔肌、水晶のように美しい白銀の長髪――眼前の少女が誰であるかを理解した時、少年は悟った。



――これは夢であると。



 けれどもそのようなことはどうでも良かった。ただもう一度会えたこと、その幸せだけがあれば良いと思ったからだ。

 少年が僅かに胴体を起こせば、自分の置かれている状況を把握することができた。どうやら少女に膝枕をされていたらしい。

 気恥ずかしさと嬉しさが胸中で飛び跳ねたが、それ以上に愛おしさが勝った。


「ガイア……」


 愛しい人の名を呼びながら少年は少女の頬に手を伸ばす。しかし触れようとした時――金髪碧眼の少女の顔が脳裏を過ったことで手を止めてしまう。

 自分の感情の変化に戸惑った少年は、湧き上がる罪悪感にそっと身体を起こした。

 それから立ち上がると窓辺へと歩を向ける。窓の外に広がる光景は武骨な岩肌だけだ。


「俺は――どうして……」


 分からない。自分が想いを寄せていた相手は白銀の少女だったはずだ。それなのにどうして……。

 困惑する少年が自身の顔――左半分を覆う黒い眼帯に手を当てた、その時だった。

 ふわりと背後から少女が彼に抱き着いてきたのだ。甘い香りが鼻孔に入り、柔らかな感覚が背中を覆う。伝わってくる感情は包み込むような愛情だった。


「大丈夫、ヤコーの想いは正しい」

「ガイア……?」


 回された小さな手をそっと握りながら少年が怪訝そうに言えば、白銀の少女は彼に抱き着きながら言葉を続ける。


はあなたのことをとても大切に思っている。その思い――想いはわたしと同じもの。きっと彼女ならあなたを幸せにしてくれる」

「……でも、俺は――」

「大丈夫、その想いは決して不義理なものではない。たとえ世界があなたを糾弾したとしても、わたしはあなたを肯定し続ける」


 言葉に込められているのは慈愛――どこまでも少年を慈しむものだった。

 けれども納得できないのか、少年の顔色は晴れない。それを窓の反射で確かめた少女は美声を発し続ける。


「わたしは彼女の想いを……そしてあなたの想いも知っている。納得もしている。だからいいんだよ」

「でもそれじゃお前が報われないだろ!」


 湧き上がる激情に少年は思わず声を荒げてしまう。されど、少女はそれを鎮めるかのように抱きしめる力を僅かに強めて。


「ううん。わたしはもうとっくに報われている。時間にしてみればあっという間だったけれど、それでもあなたに愛してもらえた。その思い出があるだけでわたしは満足している」

「満足って、そんな――」

「ヤコー」


 聞き分けのない子供を諭すかのように少年の名だけを少女が言えば、彼はその言葉に込められた圧に黙り込んでしまう。

 そして少女は少年から身を離しながら、決定的な言葉を紡いだ。



「わたしではもうあなたを抱きしめることはできない。だってわたしは――もうのだから」

「――――――――」



 それは事実だった。

 どんなに泣き喚いたとしても、どんなに希ったとしても、変わることのない真実だ。

 突きつけられた現実を前に少年は何も言えない。息絶える少女をこの腕に抱いた記憶は紛れもなく本物なのだから。 

 それを理解した少年の口から嗚咽が漏れ出た。すぐさま彼は気づいて必死に押し殺そうとする。

 だが、震える身体は隠しようもないものだ。力いっぱい握られた掌からは血が滴っている。

 少女はそんな少年の手を優しく包み込みながら、そっと引っ張って身体をこちらに向けさせる。


「泣かないで」

「……泣いてなんか、いない……っ!」


 愛する少女の前、故に咄嗟に見栄を張りたくなってしまう。

 けれども頬を伝う雫は隠しようもないものだ。

 そんな意地を張る少年の姿に、少女は愛おしさから微笑みを浮かべた。つま先を伸ばして彼の涙を拭いながら慰めの言葉をかける。


「こうして夢でしか会うことはできなくなってしまったけれど……それでも、わたしはずっとあなたの傍にいる。だから寂しくはないよ」

「嘘だ……」

「嘘じゃない」


 と否定するが、少年は泣き笑いを浮かべて出血の止まった右手で少女の目元を拭った。


「嘘だよ。だってお前も泣いているじゃないか」

「…………ぇ?」


 言われて、拭われて初めて気づいた。自分が涙を流していることに。

 あり得ない、と少女は思った。感情を消すことには慣れている。何千年とそうしてきたのだ。今更失敗するなど――と否定しようとも、一度自覚してしまった涙が止まることはなかった。


「あ、ぅ……わ、わたし、は……」


 笑顔で見送ろうと決意していた。彼がこの先後悔しないように、背中を後押しするつもりだった。

 だから必死に感情を殺していたのに……と、己を責めるも――少年に抱きしめられて感情が決壊した。


「ぅ、ぁ……ァアアアアアアッ!イヤ、だっ!もうヤコーに触れられないなんて、もうヤコーになんて……!そんなの、そんなのっ、わたし……っ!」

「がい、あ……ッ!」


 少女がここまで感情を露わにしたことなど見たことがない。しかも自分を想ってのこと、故に少年も嗚咽を隠し切れず涙してしまう。

 けれども、無常にも別れの時は訪れる。

 小屋が――否、世界が激しい地鳴りと共に揺れ、白光に包まれていく。

 この奇跡の時間の終焉を、少年と少女は否応なしに理解させられ。


「ガイア……!」

「ヤコー……!」


 二人が感情のままに永遠の誓いを交わして――世界は白に染まった。

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