開始

「何が総長だ、バカバカしい。」


アルチョームへ赴く東條の表情は自身に満ち溢れていた。


「英雄を引きずり降ろした大愚か者ではないか…!」


彼は、自分こそが、どうせ後方でふんぞりかえって戦争も何も一切知らないクソ上官の脳裏を、直接殴りつけてやるのだと思っていた。


「あの上官気取りの間抜け面に、戦場とは何かを叩き込んでやる!!」


だから、撤退命令を受け取った時の彼は――おぞましい表情で、電報を握りつぶしたのだ。




―――――――――




[ 指 令 ]

発 満州総軍司令部

宛 初冠藜陸軍中佐


沿海州総軍の解体と、指揮系統の本軍への統合にあたり、再編される旧沿海州総軍の戦力を包括する一個軍を新設する。当該部隊は伊地知幸介陸軍中将が司令として統率する。略号"B軍集団"、正式名称――『東部防衛総隊』。

同軍隷下は、先日のダンケルク作戦により揚陸された第十四師団・第十五師団・第十六師団・第十七師団の4個予備師団を含めた、ウラジオストクを防衛する8個師団と即応集団の全戦力とする。


東部防衛総隊 11万

◎増強集団

┗ 中央即応集団『桜花』・第1焼撃大隊・第3焼撃大隊

◎第1軍

┗ 大阪鎮台・仙台鎮台・第十四師団・第十七師団

◎第2軍

┗ 近衛師団・第十一師団・第十五師団・第十六師団


なお当該部隊は包囲下にあり、奉天より伊地知中将を派遣できる状況に非ず。よって当面は現地指揮官による代行司令を置く。ついては初冠藜中佐に大佐への昇進と、野戦任官による少将待遇を伝達し、東部防衛総隊司令官の任務代行をここに命ずる。


明治38年2月28日付

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



「……どういうことだ、これは」


奉天から送られてきた指令書を取り落とす。


「は?流石に冗談だよなぁ…?え、僕24歳ですよ?それが、『軍司令』??」


裏返して、紛れもない総軍司令の印鑑が押されていることを何度も確認する。


「"初冠藜中佐に大佐への昇進と、野戦任官による少将待遇を伝達し、東部防衛総隊司令官の任務代行を"って、え、本当にやるの?僕が、司令官を???」


松花江ですら二個大隊の指揮経験に留まるのに、東部戦線の総戦力11万の指揮を、満州総軍は僕にやれと言う。正気か?



「どうされたんでしょーかっ?!」

「その呼び方をやめろ。晩生内おそきない准尉きみ最初から聞いてたでしょ」


飛び込んできた晩生内はちろっと舌を出す。


「えっへへ〜バレちゃいましたか」

「はぁ…。そういうわけでな、どうやら防衛の全責務を負わされるみたいだ」

「責任重大ですねー」

「重大どころじゃないぞ。ここでの敗北は敗戦を意味するから、負けたら最悪は戦犯としてこの首で責任を取らなきゃいけなくなる。マジかよ……」

「まぁそのときはそのときです。そうなったら白夜もお供しますよ」

「はははっ、冗談はほどほどにしないと本気で刑台まで道連れにしちゃうぞ」

「もーっ、白夜は本気ですよぉ」


そうむくれる晩生内を軽く流して、眼前の病床に横たわる裲の隣へ腰掛けた。


「というわけでな。ちょっくらこの東部戦線を指揮してくる。……はぁ」


意識は未だ戻らないが、命に別状はない。安静にしていればじきに目覚めるはずだ、と軍医から聞かされた時どれだけ安堵したことか。


「即応集団の指揮は雨煙別うえんべつ戦務参謀と晩生内おそきない旗手に任せる。ここは地下壕だから砲撃の心配もないし、安心して寝ててくれ。」


瞼を閉じたままの裲へ喋りかける。


「ほんとは本土に戻すのが安全なんだけどな。…昨日の七三高地の陥落で、ロシア砲兵隊はどこからでも大帝湾を狙えるようになった。ウラジオストクは海からも切り離されちゃったんだ」


ダンケルクでありったけの小口径銃弾や近接火器、狙撃銃を持ち込んだとはいえ、これは潜水艦と飛行船以外でこの街に補給を繋ぐことができなくなったことを意味する。


「けどやるべきことはやった。…やっちゃった、か。磯城も当分は昏睡状態の重傷で、隔離安静って形でこっち側の野戦病院で幽閉してある。だから憂いはない」


ふぅ、と息をついて立ち上がった。


「春まで待っててくれ。必ず、この戦況を打破するから」


大一番を乗り切ることでしか道は開けない。

聞こえてはいないだろうけど、誓うように約束して、僕はそそくさと病室から出た。


「相変わらずお熱いですねぇー」


なぜか不満げにそう漏らす晩生内。


「お熱いというか、『2つにして分かたれぬ帝国』――半身みたいなもんだからな。」


たぶん恋とか愛とかそういったものとはまた別だ。あの裲を見た時に感じたのは、怒りでも焦りでもなく、第一に「痛み」だった。紛れもなく自分が傷を負ったような錯覚だった。それで半分防衛本能に突き動かされ、磯城との殴り合いへ発展した。


「後から考えれば…今までみたいに、色々やりようはあったはずでさ。」


ここが戦場であって、そこで問題を起こせば戦線全体に悪影響を及ぼすということをわかっていて、だから今まで散々我慢してきたのを、呆気なく破ってしまった。


「やっぱり…痛かったんだよな。苦しかったんだよ。」


晩生内は興味なさげにため息をつく。


「確かにイタいですよ、総長」

「てめぇ」




・・・・・・

・・・・

・・




「はぁ!?第1戦車中隊が撤退ラインへ動かないだと?」

「はい……。何度か、電報を打っても…応答が」


雨煙別が沈んだ声で、ぽつぽつと言い漏らす。


「ちっ、電報線が切られたか!」

「……いいえ。伝令を走らせたの、ですが」

「そしたら?」

「『総長を出せ』、と。直談判が……したい、と」


声が出なかった。

抗命は初めてだ。長い軍歴の中でいつか起こることはもちろん覚悟していたが、まさかここで来るとは。


「…すぐに行こう」

「し、しかし」

「七三高地から退却した以上ロシア軍は明日にでも市街戦へ突入する。のうのうと最前線に残ってれば、下手すりゃ包囲されて全滅だ。」


雨煙別の制止を聞かず、最低限の装備で軍馬に跨る。


「クソ…。何のつもりだ、東條英機…!」




・・・・・・




「なぜ!ここに至って撤退なのですか!!?」


東條が凄む。


「我々士官が、下士官が、兵卒が!血と汗を流して7日間守り抜いたこの陣地を、まるまる敵に譲り渡せ!と、そうあなたは仰っているのですよ!!」


東條の隣に控える板垣征四郎も、何も口には出さないが、僕を見据える瞳には強い抗意が籠もっている。


「違う。これは戦略的撤退だ」

「なぜっ!どうしてわざわざ我々の戦果を否定するような退却戦術を使うのですか?!このまま強攻しても勝利をつかめる実力があるのに!」

「…あのなぁ。強攻で勝てるようならこの戦争は苦労していない。敵は正面に相対する数だけでも我が方の10倍を超えてるんだぞ。」


呆れたようにそう返すと、東條は一転、やれやれと肩を竦めた。


「後方でふんぞり返るだけの将校に、戦争の現実など見えるはずもない。」

「……はぁ?」

「最前線で戦っているのは我々です。あなたではないのですよ、自称『総長』殿。」


自信ありげに述べ立ててみせる彼へ、僕は向き直る。


「こういう風には言いたくないけど…、東條。少なくとも貴官よりかは実戦経験はあるつもりだ」

「最後にあなたが最前線で刀を取ったのはいつですか」

「もちろん1904年バル――「精々10年前の紫禁城降下戦。そうでしょう?」


僕の言葉を遮って、強い確信の込もった声音で念押す東條。


「10年前の皇國と今の皇國は違うんです。あなたの渡った最前線は今や完全に過去のもの。戦争の形態からして、もはや完全に別物。」

「色々と勘違いしているみたいだが…、なんだ、僕は過去の人間とでも?」

「そう、あなたは未だ過去へ囚われている。そのまま指揮なんてしようとするものだから、皇國の実力を過小評価し、後退などという恥を晒そうとするのです。

 私とたった5つ上で、中身は老害とは…哀れな愚将だ。」


階級差など完全に気にすることなく、達観の視線で彼は僕を見据える。


「あなたが見た時代の皇國はとうに変わったんです。爆発的に産業革命が進展し、国力は今や列強諸国へと届かんとするばかり。」

「列強に届くだと?どの口で。」

「維新の頃には植民地へと陥落する寸前であった辺境三等国が…今や列強最先鋒を一方的に撃滅している。これは前代未聞です。史上、一例だってない」

「だから列強に届くだと?話にならん、国力指標を一から読み直すんだな。」

「いいえ。『総長』を自称する割にはなにもわかってらっしゃらないようで??」


笑いを押し殺しながら、彼はこう言い放ったのだ。


「もはや理屈ではないのですよ。他の何物でもなく、全ては『皇國の神性』。」

「神性、だと?」

「神々の愛した理想郷――それが我らの祖国、皇國。

 神国であるのだから、いかなる"人の国"が群がろうと滅びることはない。神武帝の降臨から二千六百年、『生ける不敗神話』。」


恍惚と語る東條に、彼の副官の板垣も、周りの中隊指揮部の青年尉官たちも深く頷いて、東條へ羨望の視線を送る。


「敗戦など有り得ない。そもそも、神々の作り給うた御国を、理屈で説明しようとすること自体が間違っている。とんでもない不敬をご自覚下さいよ、『総長』とやら?」


昨年度陸軍士官学校卒業繰り上げ組。

齢にしてたった19の青年は、"神国"の理想鏡に酔う。


機銃陣地が唸り、世界の覇者たる白人列強の軍隊が一捻りに薙ぎ倒されていく。

戦線の向こう側に見える無数の屍、更にこちら側の犠牲は微少。

確かに最前線だけを見れば、皇國の一方的な優勢など、疑う余地もないだろう。


「やはり…。有色人種諸邦の希望、極東の超新星。八百万に護られた神州たる我らが皇國は、なるべくしてかくなると思うのです」

「違う。皇國はそこまで偉大などではない」

「なぜですか!飛行船、装甲車、迫撃砲、効力射、電撃戦、どれも既存の白人列強の持ち得ないものではありませんか!皇國民族には、力があるのです…!」

「………。」

「神々に愛された御国は、世界を敵に回しても滅ぶことはない。いくら人の国が束になろうと、神風が吹き荒び、皇國民族は蛮夷共を粉微塵にする。それが確約された物語。」


蹂躙されゆくロシア軍を後ろ指で差して、東條中尉は笑う。


「初冠中佐――、これが『戦争』です。」






「その言葉、二度と忘れるなよ?」


ひどく冷徹な声が響く。

驚いたな、自分でもこんな声音が出せるとは。


「付いて来い」

「っ!?」


がッと東條の腕を掴んで、強引に後背の市街地へと足を向ける。


「…――本物の戦争ジゴクを見せてやる。」





―――――――――





「『総長地下壕』、か。酷い通称を付けてくれるな…」


溜息をついて、未だ雪の積もる階段を降りてゆく。

鈍重な鉄製扉を開けば、内側に待機する衛兵に敬礼を受ける。もう僕もそういう待遇をされる立場になってしまったという実感が、やけに心細かった。


到底衛生的とは言えない廊下を進んで、一際大きな部屋の入口へとたどり着く。

コンコン、と木製の扉を開けて一歩踏み入れば。そこに並んだ面々の豪華さに、ただひたすら圧倒される。僕は彼らに司令官と仰がれるような人間じゃないんだけどな。


壇に着いて、名簿と出席を照らし合わせる。全員揃ってくれたか。


「既に通達は行っていると思うが――東部防衛総隊司令代行の、初冠藜だ。」


地下壕の戦略会議室に、僕の声が通る。


「見ての通り若造だ。けど、一応は野戦任官で少将扱いにはなっている。本官を信用できないって将校は試しにでも、作戦要項は事前に配っておいたから…忌憚なく文句付けてみてくれ。納得させてみせる。」


しばらく将校たちから、質疑応答の形を取った新司令試しを受ける。

詰まることなく答えきって、年上も交じった将校たちはようやく僕を許容した。


「――これでも、人一倍は最前線に立ってきた。

 我々軍人にとっての汚点である北方戦役から、ずっと。」


ふっ、と息を吸い込む。

深く、深く。


「零時より、地獄の防衛戦が幕を開ける。」


帝都からの [命令書] を握りしめ、机に手をついた。


「一ヶ月。一ヶ月耐えろ。雪辱という文字通りに、忍び、偲んで――4月。我らは東満州へ芽吹く。」


さながら、蕗ノ薹ふきのとうのように。


「そのための3月だ。長くこの大地を凍てつかせた氷雪も、訪れるうららかな陽日に日々融けていく。この如く、僕らも…この膠着しきった戦争を、解きほぐす準備をしなきゃいけない。」


秒針の音が一刻一刻響き、12の文字へと迫る。

その様は、まるで終末時計のようで。


「ウラジオストクを失陥すれば、戦線は更に後退し――本土へと到達する。」


誰もの腕に巻かれた懐中時計が、一斉に針を動かして。


「元寇以来600年ぶりの、存亡を賭けた大戦おおいくさだ。」


秒針が12を刻む。

ゴォォォ―――ン、ゴォォォ―――ン……

大聖堂の時報の鐘が、地下にも響き渡る。



「3月1日午前零時。現刻を以て、勅令第227号を発令する。」



クシャリ、握った一枚の紙切れを握り潰した。


「総員、死物狂いで守り切れ。」

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