神の気まぐれ

明治38(1905)年2月3日 ウラジオストク


「近衛師団、進軍開始ぃッ!!」


磯城が受話器にそう猛ると、電話線を通じて指示が師団へ通達され、一気呵成に軍靴が鳴り響く。


「何故僕が横でお前の指揮を見てなくちゃならんのだ…」

「こっちだってやりたかねぇよ」


彼は悪態をつくが、こっちは反吐が出そうだ。


僕の指揮権剥奪と戦時逮捕に対し満州総軍は速やかに抗議。明らかに陸軍軍法を逸脱した越権行為に沿海州総軍の法務部も反論ならず、仮釈放という形で僕は迅速に解放されたわけだが。

そこに保護観察という面倒な処分が付随してきたんだから大変だ。


「クソ忌々しい法規だかなんだかのせいで、てめーはヌケヌケとその座に居座ったんだ。俺が皇國陸軍を率いて全てを守り抜くってのに、現場指揮官が無能のままじゃ華麗に出来ないだろ?せめて、その無能を矯正しなくちゃやってられねぇよ。」


というわけで非武装状態でこの指揮室に放り込まれた次第だ。

逮捕されてしまった僕の後任として磯城が兼務着任する予定だった『桜花』は、僕の仮釈放により隷下へ再帰属。この件でも彼の機嫌は悪いらしい。


だがあいにく僕の心理は配慮できるような状態ではない。

仮釈放と業務復帰で2日目となるのに裲が見つからないのだ。磯城に詰め寄ると曰く「お前に会わせるわけにはいかない」。復帰後の『桜花』副長の欄も塗りつぶされていて、どこにいるかもわからない。

血眼になって探し回っているせいで注意散漫もいいところだ。


「グダグダが一番『王道』には必要ない。俺の勇姿をここで見せてやるんだ、大脳未発達のお前でも少しは学べるだろ?」

「は――…僕は観戦武官の要領かよ」

「そうだつってんだろ。ネチネチ絡む暇があったら英雄薫製の崇高な作戦計画でも読んどけ。それともチンパンには理解できないか?」


僕は配布された資料をペラペラと見返しため息をつく。

気取った作戦名称の中身は史実踏襲。まぁ、彼ららしいといえばらしいのだが、戦場に持ち込まれる分には非常に困る。


「難しい顔してるじゃねぇか。まだ難しかったか?平成人には」


作戦資料を机において、顔を上げれば察してはいたが磯城がいた。


「…いや、全く。非常にわかりやすい内容だったな」


皮肉交えて良くも悪くも。


「くくくく…、漸くわかったか。どうだ、到底お前なんかに想像もつかないような作戦だろう?これが枢密院の――いや、改変者の力だ。」

「あー、よくわかった。非常に理解した。すごいなすごいな」


パチパチパチと拍手してみせてようやく、磯城は僕が小馬鹿にしていることに気づいたようだった。


「お前なぁ、たしかに俺に遥か抜かれて悔しいのはよくわかるが、そういう投げやりな姿勢は士官としちゃ頂けねぇなぁ……。」

「じゃ一つ聞くけどさ、この作戦、敵が恐慌に陥らなかったらどうすんだよ」



『英雄ノ凱旋』作戦概要。

沿海州のハンカ湖方面に、近衛師団の第1近衛旅団のみを正面戦力とした戦力の薄い戦線をわざと形成し、敵の突撃を誘発する。

機関銃の拠点防御と牽引野戦砲による機動打撃を主体として、重機による迅速な塹壕設営を活かし少しづつ撤退。ウスリースクまで退却したところで、疲弊しきった敵突破集団の脆弱な側面を別部隊が強襲、逆突破・分断する。

最後には増援の4個師団を本土からウラジオストクへ揚陸させることで、敵司令部の恐慌を誘発、反攻意思を挫くという目標だ。



「西部の脆弱な防衛線、機関銃による拠点防御、想定外の増援による敵の恐慌…。――全部"黒溝台会戦"じゃないか。」

「…へぇ?低知能とて、少しは歴史を覗いてみたのか。」


一瞬意外そうな顔をした磯城だが、すぐフッと鼻で笑う。

だが、そうじゃない。


(……なんで史実と同じ戦闘展開を作り出せると思ってるのかなぁ)


上から下まで踏襲なら、実質こいつ何も自分で考えてねぇじゃん。


「…はぁ。だからさ、敵の反攻意思をくじけなかったらどうなんだよ。最後の最後で計画全部白紙になるぞ??」


史実・日露戦争、黒溝台会戦。

防御の薄かった西部・黒溝台へ降り注ぐ大反攻に拠点防御戦法を大胆に活用、必死の抵抗が繰り広げたわけだが、そのさなかに乃木希典率いる第3軍が到着間近という情報がロシア軍司令部に届き、想定より遥かに早い同軍の満州到着を恐怖したクロパトキン大将が攻勢継続を断念した冬季反攻である。


この展開を沿海州で再現するなど無理がある。

第一、クロパトキン大将が第3軍の早期到達に震え上がったのは第3軍が堅牢な旅順を落とした世界の認める歴戦部隊であったからであり、本土から輸送してきた4個師団にはそんな箔など何一つとしてない。


「そもそも増援の4個師団は本土防衛用の予備師団じゃないか。支援兵科さえ付属しない弱兵のどこに敵軍が怯えるんだよ。」


本土防衛の最終部隊を引き抜いてくるという発想からして訳が分からない。本土防衛をどうするつもりなんだ。


「ククク…、やはりお前みたいな現場の人間には低次元の発想しかできないか。」

「は?」

「俺は枢密院議員、戦略家だ。お前らみたいに眼前の事を武力で解決するだけの野蛮な肉体労働者風情とは違って、高度な心理戦を繰り広げる。」

「だからどうだと?」

「お前ら兵卒にはない『知性』によって、俺は精神という高次元の駆け引きをロシア軍司令部に仕掛けてるのさ。――お前が理解できないのも、当然だ。」


次元が違うんだよ、と彼は言う。

どうやら彼は心理戦を掛けているつもりらしい。


「あのなぁ…。史実とは違ってロシア帝国極東軍の総司令はクロパトキンではなくグリッペンベルクだ、応じずに失敗に終わる可能性なんて十二分にある。」


そう言うと、磯城はぷっと口を抑えて吹き出した。僕は構わず聞く。


「失敗したときの代替策はあんのかよ?」

「…いやいや、まさか…お前がまだそのレベルで成長を止めてたとは思わなくて、な。」

「はぁ?」


素朴に首を傾げる。


「『失敗』?そんなもの、俺の王道にあるわけねぇだろ。」

「これはゲームじゃないんだだぞ??」

「史実にそんなことはなかった、って何度も言ってるだろうが。やっぱり、平成人には歴史を理解する能、ってものがないらしいな。」


くすくすと笑いながら磯城は続ける。


「歴史すら知らなくて、俺ら改変者に文句をつける資格があるとでも思ってるのか?専門家の高度な話を素人が罵るような――…相変わらずの醜さだな、お前は。」

「はぁ?史実か王道をただ踏襲するしかない連中が、…『歴史の専門家』?」

「ああそうさ。世界中から集った軍人とメディアの前で、俺は鮮やかな勝利を収め――世界から賞賛され憧憬されながら…『英雄』へ続く栄光の王道を駆けるんだ。」


僕を大きく見下ろす。


「完璧すぎて、悔しいだろう。召喚という同じスタートラインに立ったのにどうして気づいたら俺の方が遥か先に…。そう思って、お前が劣等意識を抱いて当然だ。……あぁ、だからか。そんなにお前が俺にねちっこく絡んでくるのは。」

(…絡んできたのは磯城からでは……)

「もう認めろよ。――それが、そもそもの先天的な人間としての、ポテンシャルの違いだ。お前には、『主人公』たりえる、才能がないんだよ。」


決め台詞を吐いたかのように、磯城はふっと嘲笑い下してみせる。


「本当に、お前は失敗の塊だな。」

「…あぁ、それだけは認めてやる。人一倍の『失敗者』さ」

「……くく、お前を見てるとどれだけ『失敗』が惨めで、無駄で、益を成さないものかがよく分かる…。才能もないのに無理な憧憬して、現実に嫉妬狂って、いつまでも同じ地点で足踏みして、挙句の果てには何が正解かも見えなくなる…。」


悠々と言葉を継ぐ。


「俺は、戦略家であり戦術家、そして改変者。――全てを導き給う者。」

「はーぁ…、そうか。」

「お前の無能な分は俺が『英雄』だから仕方ないが賄ってやらなきゃいけない。けど嫉妬で狂ったら――戦場だろうが容赦なく突き放すぞ。そこまでお前に手を差し出してやるつもりはない。」


格の違いってのを見せてやるさ、と言い放ち、口角を大きく上げる磯城。

叩き切ってやりたい衝動に駆られるも、僕は丸腰かつ周囲は衛兵だらけ。保身にはご執心のようで結構なことだ。

その様に我慢できず、僕は踵を返して指揮室から退出する。




・・・・・・

・・・・

・・




「弩級戦艦『敷島』、就役ですか…」


電話線の先の令嬢殿下へ、そう漏らした。

明治38年2月10日、釈放から一週間が経っていた。


『大英帝国のドレッドノートが昨明治37年11月に進水で世界を震わせましたもの。急遽戦時改造という名目で本2月1日に択捉島から大湊へ回航されて、進水扱いとなりましたわ』


大英に続いたのがまさかの皇國であったからか、諸外国はこれを「猿真似」「欠陥工事」「手抜きボート」などと一面酷評。まぁなにせ弩級戦艦は今までの全戦艦への投資を無駄にするのだ。多少恨み言を掛けられても然りではある。


『泊地造成はどうでして?』

「一連の整備は完了です。ウラジオストク市街の南端に水道一つ隔てて隣接、ピョートル大帝湾に浮かぶルースキー島・ノヴィク湾に戦艦『敷島』の専用泊地を設営しました。最も近い大陸側対岸のブリモルスキーからでも15km離れており、市街外からの敵の砲撃は届きません。」


https://www.google.com/maps/place/ウラジオストク


「満州戦線のほうは…敵軍と架橋を巡って砲爆撃で一進一退の構図ですが、部分的には突破され、トーチカ付近での機銃陣地線も勃発しているようです」


伊地知から送られてきた詳報を読み上げる。


「『如月大反攻』が始まって以来現在まで、ロシア軍21万人死傷に対し皇國陸軍は2.3万人が死傷。キルレートは相変わらずですが、対峙する残存戦力で見ればロシア軍88万に対し皇國陸軍は18万人。……損害比ではむしろ不利になってます。」


そろそろナパームこと焼夷弾を使わなければ厳しくなってくる。総軍参謀部曰く2月末までには比較的温暖な長春の第二防衛線まで撤退するようだ。

ここにて、どこまで粘れるか。


「内地情勢はどうです」

『総動員体制は佳境を迎えておりますわ。内地防衛の4個予備師団の出征に応じる形で工場を抜けていった男たちに代わって、女性が工場動員されていますの』

「予備4個…4.8万人ですか。」

『それだけではありませんわ。民需工場群の生産レーンも多くは軍需に転換されて…軽工業から重工業へのモードチェンジですもの、多数の追加人材が必要になりますわ。それを支える製鉄所は内地8箇所全てが、前例のないフル稼働状態……。』


言葉尻だけでもわかる。

平時と違って、この戦争と総動員体制がどれだけの労働人口を必要としているか。

到底、徴用可能な男子を掻き集めて足りるような数ではない。全国各地の農家の娘たちを動員して足りるかどうかという水準であろう。

しかし、工場や製鉄所ならまだいいほうで。それらを支える根幹である鉱山は死物狂いで採炭を行わねばならない。一日12時間労働、太陽など見ることも叶わず地底にて灰燼と熱気に揉まれながらツルハシで岩肌を砕くなど、到底女性の身体的能力の限界を超えている。

これに男性労働力を吸い込まれる形で――埋め合わせと言うべきだろうか、都市の労働力への急速な女性動員が進んでいるのだろう。


『鉄道の貨物輸送量も逼迫、本年緊急採用の鉄道員の半数は女性労働力でして。船舶も、軍需工場も、みんな同じ状態ですわ。』


男は地底に潜らされ、それの代替として女は家から地表へ引っ張り出されるわけだ。

フェミニズムとかそういうんじゃない。男女問わず、国家全体の状況が鬼気迫る。


『 "婦人報国挺身隊"…今年、"隣組"制度と同時に成立いたしましたの。』

「どちらもネーミングセンスを疑いますね、縁起最悪ですよ」

『それに、予備4個師団の沿海州投入の代替で"国民義勇隊"も設立されましてよ』

「…国民、義勇隊ですか。」

『皇國に本土を防衛する戦力は存在しないのですわ。そもそも皇國枢密院が…本土上陸の危険性に、懐疑的でして』


百パーあり得ないなんて、誰も言い切れないじゃないか。


『日清戦争時に配備されていた旧型銃と、あとは猟銃。酷いものでは…、竹槍という部隊まである有様ですわ。』

「……ッ」


本土決戦にしても拙すぎるその装備。

これでは史実の太平洋戦争よりも悲惨だ。

想定よりも、はるかに内地の様相は逼迫していた。


「…どうして、こんな窮地に陥るのかなぁ……。」


そんな呟きが、虚しく傾城の大聖堂に響き渡る。


「電撃戦をやったら一ミスで致命傷、大反攻を凌いだらまさかのウラル以西からの援軍投下。そんでもって決戦地が沿海州になって、挙句にその最高司令は磯城で。

徹底的に裏目に出て、なにもかもが上手く行かない。――まるで何かの反動だ。」


忌々しげに、壁に飾られた大きな沿海州の戦略地図を睨み上げる。


「"反動"、か。」


心当たりがないわけじゃない。

あの独白の通り、今までが幻想的なまでに無双してきたのだ。

明二四年動乱は挟むも、北京空挺降下、農業革命、弩級戦艦、潜水艦、飛行船、ナトゥナ併合と皇國九段線による石油問題の解決。チート火葬戦記もいいところだ。


だからこそ、永らく忘れていたのかもしれない。


「……『歴史の修正力』。」


此処に至ってドミノ状に連鎖するミスと悪手の連鎖。確率論の穴を縫って、最悪へと突き進むその様は、もはや芸術的。

強烈な史実線への反動作用、IF歴史への免疫反応と言うべきか。

あるかどうかもわからなかったそれが、ここに来て姿を顕した。


「僕らは――今更ながら、恐ろしい物を敵に回してしまったのかもな。」


歴史。

時の運命さだめ

一説には、大自然と同じ類の『神の気まぐれ』。


僕らはそれを相手して戦争やっているわけだ。

今更ながら、それを痛感した。



歴史の修正力が、此処に至りて牙を剥く。

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