初年
さて、そこから耐乏の日々が始まった。
独り放り出されたこの極北の彼方、最低限の食料配給はあるがたった一年分、翌年からは収穫物で凌ぐ他ない。開拓に失すれば文字通り命は今年限りだ。
今年中には一年分以上の食糧を確保し、迫る冬への対策を進めなければならない。人脈も金も時間も猶予もない僕にとっての究極の綱渡りだった。
この寒冷では屎尿も分解されず内地ほど十分な肥料にならない。そもそも近世農法の肥溜より遥かに油粕や魚肥のほうが栄養がある。なわけで適当な場所にアブラナを植えてみる、育ち次第油粕搾り取って投入だ。伝統と迷信ではなく、科学によってのみ技術は革新を遂げる。
それだけじゃない。
従来までの沼地型水田、つまり湿田は作業するにあたって衛生環境も悪いし冷たすぎて凍傷になる。ただでさえ億劫な農作業をこんな状態で毎日は気が滅入るので乾田化を目指した。
8区画が2×4状に広がっているのが現状の僕の開拓地。一番北西端の区画に住居の小屋と付属の馬小屋が押し込まれている。向かい側の区画は現状空き地で、そこから東に耕地が6区画。計画としては川から溝渠を引き、東西を横断する用水路を作る。そこから田を挟んだ向かいに用水路より標高が低くなるように排水路を掘る。
┌→排水路→
家↑田↑田↑田
→→用水路→→
庫↓田↓田↓田
└→排水路→
これであとは仕切り板を取っつければ板の抜き差しで貯水排水お手の物。水量管理は現代稲田の基盤となる。
ただ、こんな改良工事を18とはいえ一人で施すには無理がある。そこで、10年前に旭川士官学校にて廃自転車から開発したリヤカーの出番だ。
なおリヤカーついでに、現代も工事現場で必ず使われている取っ手2本に車輪1つのあの手押し車、俗に言うネコ車を作ってみた。
キコキコと少々不快にも感じられる音を発しつつも、人力よりも遥かに速く土壌を運搬出来る優れもので、リヤカーと併用、日12時間労働を一週間の身体酷使でどうにか水まわりの概形を整える。
そんなことをしているうちに、なにやら奇妙な農法が行われているという噂でも広がったのか、無人だった入植地周辺にちょくちょく人目がつくようになった。
浦幌と言ったか、北の紋別村の村娘には農作業片手に明治農法を一通り説いてみると、紋別村のほうで実践でもしたのか、相当の改善を生んだらしい。
村娘は随分農学に熱心で、週に3,4回は僕の農業革命論を聞きに顔を出すようになった。こんな農作業なんて見ててもなんら面白くないはずだが。
ある日その村娘に「
爺様呼びつけておいてなにも準備がないなどと非礼にも程があるので、とりあえず粗茶出してから農地を案内、農業近代化のなんたるかを説明して回った。
6田うち、最初の1つがちょうど乾田化改良が終わったばかりであったためデモンストレーションとして馬耕による再耕起を敢行した。爺様は驚き詰まって言葉を失っていたが、その後猛烈な興味を示してくれ、質問攻めに遭った。満足して帰路に着いてくれたので、どうにか接待は出来たかと胸を撫で下ろした。
だが翌週。爺様はまた来た。それから数回に渡って訪ねてくるようになった。だが農業系統以外に喜んでもらえるような接待と呼べる娯楽がなく、毎回農業革新の諸技術をまだ理論段階のものも含めて講義することに。
一応自室から持ち出してきた平成製の『農業技術大全』だか『農法革新150年の歩み』だか素晴らしい(が、めちゃくちゃ難しい)専門書があったので話す種には困らない。
ただ爺様に説明するためにはまずは自分が理解しなければならならず、気づけば現行の近世型から21世紀型までの農業技術ツリーとその革新発展過程まで暗記してしまった。
とりあえず、田植え前に稲作工程とその改善法を完解したのはいいことであると思うようにする。
爺様からは非常に有益な『長年の農業経験』を教わった。その知恵は膨大で、その知識は幅広く深かった。そして僕は相互で知識交換を重ねるうちに嫌でも悟った。
この爺様、只者じゃない。生涯を通じて農書に基づいて在来の近世農学を研究し、これに自らの体験を加えて高い農業技術を身につけた農業指導者――「老農」だ。
全国的に希少な従来型での高等農業技術を身につけた「老農」。
官営農学校では稲作など知らぬお雇い英人にもっぱら英国の農業経済を学ばされるだけで、卒業生たる農業研究者は、机上論で実際に用をなさぬものとして世間に信用なく、農業界は刻下「老農崇拝時代」の真っ只中だ。
そんな時に当の「老農」と偶然出会えるとは、僥倖も極まりない。
現代農法の理論に老農の経験知識と融合させては実現可能な手段を編み出し、この耕作地で試してみる。地獄の田植えだけはどうにもならなかったが、それ以降は着々と成果が現れつつあった。
身体は老いても好奇心は枯れずか、老農は頻繁にこの元紋別へ足を運んでくるし、村娘も来る。夏になるとなんか全然知らない人たちまで見学に来た。老農曰く村の若人を学ばせるために連れてきたとのこと。
そんなのを2ヶ月近く続けると秋が来る。
また日12時間で一週間鎌振り回しの煉獄かと思っていたのだが、幸運なことに見学に来ていた数人の若人たちに手伝っていただけて、3日程度で作業は終了した。
乾田馬耕、保温折衷苗代、水量調節、湛水直播、油粕肥料その他大量の農法革新を行った上で、老農の知恵を加えつつの再入植初年度、明治33(1900)年。
その成果が、白日の下となる。
「な……!」
「収穫量、従来の2倍……ッ!?」
その成果見ゆる収穫最終日には村娘、老農、そして見学に幾度もここへ通った数人の若人が集まっていた。
その中で一番最初に総収穫量を告げると、そんな反応を貰った。
「みなさん総出で…わざわざ来なくてもよかったのに…」
「す、すみません、ご迷惑でしたか?」
言葉を変な意味で受け取られてしまい、ある若人の一人が年下の僕に頭を下げる。
「まさか、来て頂けるのは非常に嬉しいですよ。…見学の合間にちょくちょく手伝ってもらったことも数え切れませんし、本当にありがとうございます」
「いいえ全然、こちらこそ…。貴方の農業技術なくして、我が紋別村の今年の豊作は語れませんよ」
紋別村も部分的にだが油肥や中耕など一部を導入、収穫量が大きく向上した。ただそれは別人の功績である。
「それは老農様にお伝え下さい、僕は思いつきを自営耕作地に突っ込んだだけで、それをそちらの村に導入、適用したのは老農様なんですから。
……いらっしゃいます?老農様!」
途中から大声で老農を呼ぶと、彼はゆっくりと若人をかきわけて、その間から姿を顕にした。
「面積あたりの収穫量、従来の2倍…やりおるのぉ。」
「老農様のおかげですよ、貴方の知識がなければ破滅してましたって」
「よく言うよるわ、我が村でも平年の1.3倍程度じゃぞ。それでも大豊作の部類じゃがな」
「乾田導入してないからですよ。アレさえあれば作業効率は飛躍しますし収穫量なんてすぐ並びますって」
「こんな物見せられて、そんな実感沸くかいね…」
老農は、若人たちは、悠然と倉庫に積み上がる大俵を呆然と見上げた。
「出来ますよ。
「…これを見せられては、後に退けぬな。」
ふと、老農はそう漏らす。
「こんなことを言うのは…我ながら、非常識で無礼も極まりないと思う。けれども儂は、村へ全面的な責任がある。」
(村への…全面的な、責任?)
「
先日の少女――浦幌 楓といったか、村娘が隣で、おもむろに呟いた。
その碧髪を垂らして、少し深めに頭を下げる。
「っ…!」
ようやく僕は気づいた。
(ああ、どうして気づかなかったんだろ――…『長老』、か。)
老農、実は偉い人でした。
普通なら飛び退いて非礼の許しを請わねばならないところだ。
『長老』の渇いた瞳に、強い覚悟が灯る。
「頼む!本村の農法近代化に…協力してくれぬか!?」
手を合わせて、深く頭を下げる長老。
「ちょっ、顔を上げてください…!」
僕は到底、長老に頭を垂れられるほどの人間じゃない。
後方でのうのうと戦術考察してただけの僕に、こんな厳寒の地を命かけて切り拓いてきた長老が頭を下げるなんて道理はなかろう。
「私からも、おねがい…!」
村娘も合掌する。
「っ、この
「……ああ、ワシの孫娘じゃ。」
目を見開く。
そうか、そういうことだったのか。
運命とは怪奇なものである。
なるほど、おもしろい。
いい機会だ。
近代農法の威力、試させてもらおう。
「……現状がどうなっているか見せてもらうことって出来ます?」
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