『英雄物語』
時系列は開戦前夜の皇國枢密院に、初冠と秋山が訪れた日まで遡る。
明治37(1904)年1月中旬 枢密院
議場で磯城と決別した僕は、枢密院の中を粛々足を進める。
まだ帰らない。寄るところが一つある。
召喚往時のままの――自分の部屋だ。
(こんな待遇なんだ、自室くらい寄らせてほしいもんだよ…)
僕は静かに枢密院大広間へ向かう。そこに、僕の部屋は接続召喚された。
16年ぶりだと言うのに、内部構造は驚くほど鮮明に把握していた。
(生まれつき良かった記憶力に感謝だな。)
そんなことを考えながら階段を上る。足を踏み入れた大広間には、間違いなく自室の扉があった。だが、なにか書かれた木板が下げられている。
(なんだありゃ…)
すると、おもむろに自室の扉が開いた。
そこから出てきた人影。
「ッ!?」
それは、あろうことか磯城だった。
「は……、はぁ?なんでお前そこから――」
「あ、お前もしかして自室見に来ようとしたのか??」
「当たり前だろ、そこは元々――」
「実にいいところに来てくれたよ。」
磯城は僕を遮って話し出す。
「まずはこれを見ろ」
磯城が示した例の、僕の自室のドアにかかった謎の木板。
そこには――、
「はぁ?『愛の巣』だぁ??」
女の字で『愛の巣』と、そう記してあった。
「おい、勝手に人の部屋を――」
「おまえ所有権渡したの覚えてないか?この部屋は枢密所有になったんだ」
「ああそうだとも。だがお前に渡した覚えはない!」
「はっ、生憎俺はその枢密院議員なんだ。使って何も悪いことはない」
それは私物化だと反論する間もなく、もう二人が出て来る。
「お前まだ独身だったっけ?」
「当たり前だろ。お見合いでもない限り明治に結婚なんぞ無理だ」
正直にそう答えると、磯城は高らかに笑う。
「まぁそうだろうよ。考えてみればお前みたいな小市民平成人が、この時代の女性に懐かれるわけねえんだ。俺みたいな『改変者』であれば別だがな…」
そう言って、『愛の巣』などと銘打った僕の自室から、彼に続き出てきた女二人を抱き寄せる磯城。
『平成』などという単語を聞かせても、彼女らは疑問に思う素振りすらみせない。
「枢密の元老様がたの娘さ。こんな高貴で美しい人と、俺は結ばれたんだ。」
誇らしげに彼は語る。
「かたやお前は寂しく独り。な、これだけでもわかるだろう?主人公はお前じゃなく、紛れもなく俺なんだ。さっさと認めろ、そしたら楽になれるってのに。」
「はっ――さっきまで歴史だか民だか、壮大なことを語ってたヤツが、ハーレムなんて矮小なことで自慢するのか」
気づいたら口が動いていた。
「歴史改変物語の、王道を往く主人公様なんだろう?女について自慢する暇があったら、対露戦争について計画でも立てたらどうだ。松方蔵相によりゃ、お前らここ最近まともに議論してないだろ?ずっと戦後の話ばかり」
「日露戦争の計画は既に完璧だ。議論し尽くしてんだよ。もう勝ちは確定してることを、なんで何回もやらせる?非効率も極まりない。」
「歴史に絶対なんて無い。もしもロシアが冬季大攻勢をかけてきたらどうする?日本海海戦で敗北したらどうする?大韓帝国がロシア側で参戦したらどうする?
…――すべての場合を想定して対策を打ち出すまでは議論は終わらない」
「はははっ!史実にそんなことなかったんだ、あるわけがない!」
磯城の笑いにつられて女二人もくすくすと顔を伏せる。
「歴史も知らねぇのに首突っ込むんじゃねぇよ、平成人。」
「……明二四年動乱は、そうやって起きた。」
てめーらはいつもそうだ、と拳を震わせる。
「先の動乱は、枢密院の歴史盲信に端を発する。史実から、ロシアは動かないと確信し、お前は樺太へまともな装備もないまま反乱分子を送り込み、ロシアを刺激した。結果、見事にロシアと交戦状態に陥った。違うか?」
それを聞いてか聞かずか、磯城は笑った。
「…で、どうだったんだ?」
「………は?」
「お前の正義の主人公ごっこ。楽しめたか?」
言葉が、出なかった。
「正義の守護者を気取って樺太で戦ったんだよな?でも、お前らは失敗した」
「いや、山陽道戦争を起こったのはお前らの―――」
「なら、その
絶句した。
本気でそう言っているのか。
僕の沈黙を見て、何を勘違いしたのか磯城は口を開く。
「やっぱり言い返せないよなぁ?正義気取って何も守れなかっただなんて。」
返す言葉が見つからないでいると、彼はなおも続ける。
「自分の振りかざした正義が、他人を傷つけただなんて。認めたくないよなぁ?」
「下らない
こんな無茶苦茶な筋道から、磯城は何を欲すのか。それが知りたくなった。
「ついに自分の罪の列挙に耐えられなくなったか、平成人め。………ならはっきり言ってやる。――北域紛争総戦死者102名は、
「……は?」
何かと思えば。
話は冒頭まで大きく遡り、抑々が、発生原因から戦闘過程、終結までの明二四年動乱における全結果を、磯城は、僕に起因すると結論づけたかったらしい。
僕は強く強く、胸元の翠北金鵄を握りしめた。
「いい加減認めろ。お前はどう償うつもりなんだ?」
「……コミュニケーション能力に著しい欠陥が見られるようだな。とりあえず精神科かカウンセリングどちらかの受診をお勧めしようじゃないか」
いつかの僕のペースが戻ってくる。
ああ、そうだ。僕は怒ると饒舌になるクチだ。
「覚えているか?他でもない君たち枢密院の政策だぞ樺太入植は。」
「ねぇ、それってしかたなくない?」
僕の言葉を遮って女の声が響く。
「あんな大事に発展するなんて、あの時点でわかるわけないじゃん。ねぇ?盛太。」
女は磯城に擦り寄って、磯城に同意を求めた。
するともう一人の女も負けじとばかりに磯城の耳元で囁く。
「そ、そうですよ。盛太さんは悪くないです。」
それを受けた磯城は、二人の頭をなでながら「ありがとう」だなんて言葉を囁く。
しばらくいちゃつきあったあと、誇らしげに磯城はこっちを向いた。
「と、第三者からしたらこう見えるらしいぞ。」
何が第三者だ。もろ磯城側じゃないか。
「本気で山陽道戦争前に北域紛争が終結できたとでも思っているならそりゃおめでたいお頭だ。脳内フラワーガーデンだな。
いいか、順序を間違えるな。お前らに不満は鬱積してたときに北域紛争を起こしたから山陽道戦争が起こったんだ。北域紛争があれば山陽道戦争は必然なんだよ。」
そう言うと、磯城は醜いものを見下げ果てるような視線をよこす。
「馬鹿言うなよ。お前らの北域紛争での無能が祟った形だ。考えても見ろ。お前の部隊の指揮官は――…あの、伊地知幸介だぞ。」
「は?伊地知少将だからなんだってんだ」
「史実、旅順攻略戦第三軍参謀長を務め、融通も利かず配下に無謀な突撃をかけ続け、1万を殺した男。日露戦争最大の無能将軍だ。」
「………はぁ?」
もしかして、磯城は――。
「いいか?俺たち枢密が主導での樺太撤退作戦は戦死者0で抑えられた。撤退時北海鎮台から戦死者出なかったろ?」
「ああそうだな、僕らは撤退したとも。開拓団8万を置き去りに。」
「8万?所詮反乱分子だ。俺らの改変物語には必要ない」
「……お前さ、本気で言ってんのかそれ。」
ただ後方で、主人公気取りで王道を叫んでいた奴に、犠牲となる前線の人々の表情などわかるはずもない。
磯城の襟を掴み上げ、ぐっと顔を寄せる。
が、眼前の逆行者はなお動じない。
「対してお前ら現地軍の戦闘結果は?」
「戦死102戦傷63……!」
「戦闘日数は?」
「3ヶ月。」
パァン!
瞬間、顔面を平手でうたれた。
「盛太に近付かないで!」
片方の女が、僕をはたいた。
そうしてススッと磯城へ擦り寄っていく。
「俺なら北域紛争を1ヶ月で終結させれた。1ヶ月じゃ叛乱軍も反乱の準備が整わない――つまり、山陽道戦争は起こらなかった。」
そんな女の髪を磯城は梳きながら僕へ答えを返す。
「まぁ、お前みたいな矮小な平成人と、クズで無能な将校。失敗は目に見えていたんだよ。」
やはりか。
結局、人でさえ史実を基準に判断する。
「なぁ…言い訳はよせ。
わかってんだろ?もう現実を受け入れろよ。」
磯城は続ける。
「―――でもな、その失敗でお前学んだろ?」
話の空気がガラリと変わった。
どういうことかと、目を瞬かせる。
「誰にでも失敗ってのはあるんだ。…平成人の『正義』を振りかざして生きていけるほどこの世界は甘くない、そうだろ?」
一転して慰めるつもり、か?
ここに至って?
「だから――現実を受け入れるのが最初だ。そこから『改変者』の俺らの背中を追って学んでいけば、お前もきっと立派な一人前になれる。」
僕へ『教示する』と、そう言っているのだろうか。
「え、まさか盛太さん、こんな奴を…?」
「盛太優しすぎよ……!」
後ろの女二人が続けて磯城を称える。
ここまで来て、察してしまう。
「だから。このまま釈放されて世間に一人出て、また失敗するよりかは、俺ら『皇國枢密院』に戻って、俺ら成功した『改変者』の、正しき姿を見て、学べ……!
それが、お前の贖罪の唯一の手段だ………!」
厳しいことを言って追い詰めることが――口説き文句になる。
それでめでたく仲間入り。
あぁ、よくあるテンプレだ。
(失敗は文明の根幹なり――。)
失敗を痛感し学ぶ。
改善への原動力である。
史実知識という仮定と机上で現実は踊っていない。それをチートだと勘違いする人間は、現場を、現実を見ない。そして、それは人間に、自身の失敗を認めるという行為すら、奪ってしまうのかもしれない。
僕も史実知識を知る側の人間だ。気を抜けば眼前の磯城のようになりかねない。それじゃあ、どうあがいてもこの世界を生きていけない。どこかでどうしようもない破綻に直面する。
だからせめて彼を反面教師にしようと、僕は誓いつつ――…。
「宣誓。
北域紛争で初めて心に刻んだその言葉を、忘れないように。
「………は?」
磯城が怪訝な顔をする。
停滞は望んでも成り立たない。何も変わらないだけだ。
「じゃぁな磯城。お前とは到底相容れない。」
「は……、あ……?」
磯城が唖然とする。
そこまで驚くか?
けれども、確信に近い予測が外れた人間はこういう反応をする。
脳内では僕の『改心』と仲間入りが、すでに事実として出来上がってたのだろう。
「お……お前なぁ…、どうしてそこまでクソ野郎なんだ…??」
磯城の頬がピクピクと震える。
「あと、てめぇから部屋だけは取り戻す。覚えとけ。」
もうこいつに時間は割かない。単純に時間の無駄だ。
後ろの磯城が侍らせる女2人が僕を糾弾してなにか喚いているが、知ったことではない。
「は…はは。いいか初冠。お前は詰んだんだ。
卑怯な手を使って足掻いても、平成人を脱却した俺にはかなわない。それを知って、好きなだけ無力を嘆くがいい。」
さっきの焦燥はどこへやら、随分と余裕なことを言ってかます磯城。
「それで枢密へ戻りたくなったら――さっきまでは許可できた。
…でも、もう我慢の限界だ。てめぇみたいな汚物を、枢密へ入れてやる訳にはいかない。一生後悔しろ、お前は遅かったんだ。」
磯城は僕の方へ接近する。
そして、僕のみに聞こえるよう小さくも鋭く告げる。
「満州で、誰にも助けられず死ぬがいい」
そう言って与えられたハーレムを見せつけるようにしながら、
磯城とその女たちは去っていく。
「……ふぅ」
僕もゆっくりと歩き出す。
自室に" I shall return "を誓いながら。
・・・・・・
・・・・
・・
「っ…!」
目が覚めた。
少し前の嫌な思い出を、夢で見ていた気がする。
気づけば、そこは薄暗い鉄格子の中だった。
どうして僕はここにいるんだろうか。
「――…あぁ」
そうだ。
夢で見た記憶から、あの開戦前夜から1年が経って。
そうして僕は、敵前逃亡の容疑で拘束されたのだったか。
他でもない『英雄』の手によって。
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