一方的殲滅

松方正義は部屋で唸っていた。


「近代戦は莫大な量の弾薬を消費するからな…。平壌では今現在、大量の弾薬を清軍に捨てていることだろう。やはり貧乏国家は辛いな、戦時国債は増える一方だ…。」


日清戦争のために特庫をすべてつぎ込んで、弾薬を量産した。

それでも、集中火力の戦法を続けたらわずか2ヶ月で備蓄は尽きる。

現在の皇國の国力は史実比たった1.1倍。


対米決戦の場合に備えて、少なくとも1940年には史実比3倍を達成しておきたい。


「流れ作業工程だって、官営の一部の工場でしか普及していない。粗鉄生産量なんかオランダにさえ負けている始末か…。厳しいな。」


技術力だって底上げしなければならない。基礎部分の研究は絶対必須だ。

されど皇國には時間もなければ、金もない。


「なんとか、清朝から金をむしり取らなければ…!!」


彼の辞書には敵への敬意という単語は存在しない。

非情。異常。

相当清朝に失礼な形で、彼は勝利を祈る。




・・・・・・

・・・・

・・




第一軍(上陸待機)

・東京鎮台

・名古屋鎮台

・大阪鎮台

第二軍(朝鮮方面)

・北海鎮台

・広島鎮台

本土鎮守

・仙台鎮台

・熊本鎮台


仁川に上陸した北海鎮台、総計兵力8000は、大韓の首府・漢城を抜け、京畿道を北上。対する清軍は皇國陸軍迎撃のため、平壌の兵力15000を以て南下を始めた。


開戦はつい先日のこと。

皇國側の朝鮮半島に駐留する戦力は現状、北鎮のみであり、漢城に増援が届くのはまだかなり先と清側は判断したようだ。


参謀本部は、北鎮への先制が差し迫っているとして、漢城と平壌の中間点たる沙里院を戦地に策定。

北鎮に下された任務は防衛であった。




明治27(1894)年8月5日

「大韓帝国」・沙里院


「そんな、馬鹿な…!」


高台に設営された7砲連の本営。

諜報部と斥候部隊から寄せられた敵情の分析資料を見つめ、伊地知は絶句する。


「どういうことだ、これは…。」

「偽装を疑って然るべきですよね、普通なら」


机上に広げられた戦力比較を前に、僕はそう返すほかない。




北海鎮台

戦力 4個歩兵連隊 8000名

直掩 突撃直衛中隊 48名

   二十三年式機関銃11基

援護 第7砲兵連隊 136名

   二十六年式速射砲36門

備考 機関銃と小銃で弾薬互換性あり

   指揮統制は広島大本営隷下


推定敵戦力

戦力 歩兵約15000

援護 野砲確認できず

備考 李鴻章軍、指揮系統は各部隊ごと独立

   戦争指導は北洋通商大臣の管轄

   北宋軍閥の参戦・私軍の乱立

   大隊同士の弾薬の互換性なし




「野戦砲の援護もないどころか、まさかの私軍…、だと?」

「挙げ句、今時戦役は清朝の一大臣が執り行っているという臨戦態度だそうで。広島に議事堂移してまで挙国一致で必死に戦争やる皇國が、惨めに見えてきますよ」

「……言葉を慎め。」

「失礼いたしました」

 しかし、軍閥単位での戦争指導、大隊同士ですら装備の互換性もない。連中は、戦争をしに来たのではなかったのですか?」


はぁ、と伊地知は溜息をつく。


「その発言は時期尚早だぞ、中尉」

「まさか。おそらくこの報告よりかは流石に強いでしょうけれども、皇國陸軍がこんな連中に敗けるのだとしたら、明治維新は失敗だったということです。」

「言葉を慎めと言ったはずだが。」


少し語調を強めに、伊地知は繰り返す。


「申し訳ありません。自分でも意外なのですが…、

 案外、あなどられるというのは腹の立つことなんですね。」


こんなことで拳を握るほどには、僕もまだまだ子供なのだろう。


おもむろに、有線電報がコールを打つ。


『偵察隊より報告。敵軍尚も接近中。到達まで残り140分』


「伊地知閣下、清朝本軍ですね。」

「のようだな。…連隊展開、砲撃準備。」


『敵の推定戦力は13000から15000』


「清軍も随分と大きく出たな?朝鮮駐留の総兵力で攻撃に出るとは…、」

「それも…、事前砲撃すらなしに、ですか。」


朝貢国、もしくは属国を膺懲する程度のつもりなのだろう。

三跪九叩頭の扱いで、教育か。


「――皇國も、随分見下されたものです。」



よろしい。

千年は後悔させてやる。



・・・・・・



「敵到達まで残り30分!急げ!」

「「「はッ!」」」


ここは沙里院最前線、僕らはスコップ片手に絶賛地面と格闘中だった。


「射線だけは確保できるように。」

「塹壕深さはどうします?」

「重機関銃の車両は騎馬ごと塹壕に放り込む。馬を地上に晒さず寝かせられる程度には掘り下げておけ」

「騎馬ごと塹壕に隠す、ということでありますか?」


別海少尉が首を傾げる。

だろうな、この戦い方は従来の騎兵戦法では考えられない方策だ。


「騎兵が強者たる故は、その機動力を活かした敵陣形を崩す突撃ですよね。塹壕に隠してしまっては、突撃どころか機動力さえ発揮できないのでは…」

。」

「それは…、どういう…??」


僕は塹壕前面を指す。


「まず第一に、7砲連の斉射による敵正面の撃滅。

 第二に、弾幕の展開を以て敵戦列の破局的粉砕。

 この時点で、敵の陣形は致命的な貫通を受けて統制不能に陥る。」


少尉は目を見開く。


「…そういうことですか」

「騎兵突撃による突破が不要となることは理解できるな?

 そこまで来たら、もはや自明だ。」


少尉自身わかったようであるし、これ以上の説明も必要ないだろう。


『突撃直衛、応答せよ』


電話機が鳴る。


「こちら中隊本部。何事か」

『伊地知だ。3分後に砲撃を始める、弾着警戒戦域より退避せよ』

「了解。そちらの斉射のち、射程に補足次第、弾幕を展開します」

『三十一年式は折り紙付きの欠陥砲だ、一発撃つ毎にずれる砲口を修正せねばならん。限界でも分速3発までだ、期待はするなよ』

「相手が相手なら心許ないですが、今回の敵じゃ十二分ですよ。なんたって一切の火砲を持っていないのですから」

『そうだといいがな。…武運を祈る』


あまり悠長にはしていられないのだろう、電話が切られる。


しばらくせずに、北鎮が有する野砲の大半が平壌方面に向けられる。

弾薬の残量は全く気にしなくていい、これが最初の陸戦だ。

ほか史実酷かった食料なども問題ないし、もちろん脚気患者も出ていない。


「窮乏で名高い北鎮も、相当な砲列を揃えましたね…。」

「二十六年式速射砲。重量1t、砲口径88mm、初速470m/秒、最大射程6,200m、発射速度毎分2.6発。これが36門か。」


史実の七糎野砲に海軍の速射砲の技術を応用したものだ。

速射性能の不十分は否めないが、清朝相手ならば問題はあるまい。


「中隊傾注!」


振り返って叫ぶ。


「戦闘機動は事前に示した通りだ。

 直掩小隊は迫撃砲展開。弾着のち、2個重機関銃小隊は左右から敵軍を挟み込むように機動、十字砲火で敵先鋒から薙ぎ倒す。」


各々の表情が緊張に固くなっているのがわかる。


「機銃掃射をもろに食らって半壊した敵戦列を突き崩すように、間髪入れず司令小隊は刀装突撃。以て、敵歩兵を殲滅。」


半年の猛訓練を経ても、やはり初陣とはこういうものなのだろう。

おずおずと、遠慮がちに別海少尉が手を挙げた。


「あの、清国の総兵力は…我が方の2倍以上なんですよね」

「単純な戦力差なら、向こうと7000以上の開きがある」

「……っ、勝算、あるんでしょうか」


見回してみると、一同不安な顔をしている。


「我々は…、聖徳太子以来の師たる超大国、中華王朝を敵に回しました。…この戦いに限らず…我々は、無謀な戦争に身を投げたのでは、ないでしょうか?」


なるほど、あの北方戦役の経験者だ。

戦場でいくら勝利を積んでも、戦略次元での政治的に敗北しては全く意味がないということを、よく理解している。


戦争は政治の一手段にすぎない、か。

別海少尉は、実に理性的な軍人だ。


それ故に、怯えるのだろう。

いくら血を流しても、勝てない戦争という惨劇を。


北方戦役のような屈辱の、再来を。



しかし、今回に限っては杞憂である。



「見ていればわかる。

 近代と中世の差は――、絶望的だ。」


塹壕は全成し、重機関銃車両が馬ごと入って簡単な機関銃陣地を形成している。

見事に美しい反攻型防衛線だ。


そうこうするうち清軍が遠くに見え始めた。


「一兵たりとも近づけるな。」


続けて一応、敵をひきつけてから撃つように命じる。

最大射程で早まっても、警戒されては、好機の大損失だ。


『清軍さらに接近、距離まもなく4000』

「総員、迎撃用意」


一拍遅れて、清軍先鋒数千が4000のラインに踏み込んだ。


『砲撃警報――、砲撃警報――。』


刹那、平壌郊外に轟音が鳴り響く。



・・・・・・



「有史以来、我が中華に従属してきた小日本シャオリーベンの脆弱な軍隊など恐れるに足らん。でしゃばる朝貢国を、中華の天子の下に断罪するぞ!!」


威勢のいい雄たけびとともに、平壌を出発した清軍戦力10000は、漢城目指し南下して久しく、1日半。


「聞いたか?勝利の暁には、占領地での略奪暴行なんでもやっていいんだと」

「男は中華皇帝の名の下に断罪皆殺し、女は見つけ次第身包み剥いで犯してやる!」

「へへっ、朝鮮棒子も日本鬼子も全部中華の名のもとに踏みにじってやるぜ…」

「海軍の奴らは長崎事件で負けて逃したからなぁ?」

「俺らが連中の分も楽しんでやるか!」

「「がっはっはっはァ!!」」


清兵たちの話はここで終わる。

師団長が口を開いた。


「日本鬼子共はたかが5000にも満たない!

 脆弱で汚い倭寇など、苦汁を飲んで洋狗欧米に倣い近代化した我軍の敵ではない! 突撃して一気に叩き潰せ!!」


5000という数字が清軍の偵察能力のなさを伺わせる。

さらに清軍にとっての不幸は、欧州列強の軍事顧問団のマニュアル通り、攻勢戦術を採用したところか。


先のクリミア戦争でよく使われた、歩兵突撃で敵の防衛陣地を突き崩すという前近代の戦術では、眼前の皇國陸軍には通用しないことを、彼らが知るわけもない。

彼らの頭の中は占領地へ向けた欲で一杯で、皇國陸軍は目を向ける価値もなく。

所詮は脆弱な小さい障壁でしかないのだ。


「ウワァーーー!!」


全く統率の取れていない突撃が始まる。距離4500を切っても皇國陸軍の射撃は未だ開始されない。


「あいつらは何をやっているんだ?」


油断しきった清兵が互いに雑談し始める。


「土掘って、球みたいのを設置してるなぁ…。」


皇國側陣地の冷却用水タンクを見て、もう一人の清兵が言った。


「この距離で大砲一つ撃ってこないことを考えると、やっぱりあいつらは俺らに恐れおののいて、儀式でも始めたんじゃないか?」

「蛮族の神頼みか?馬鹿馬鹿しい!」

「こんなの粉砕してやろうじゃねぇか。」

「奴らチビって逃げ始めるぜ?」


ワハハハ、ともう片方の清兵が笑おうとした瞬間。



ドカアァァァアァァァン!!!



大地を揺るがす咆哮。

直後、灼熱と破片の烈風が彼らを襲う。


32門の一斉射撃は、一瞬にして清軍先鋒1000近くを吹き飛ばした。



・・・・・・



「さて、まずは近代戦への洗礼だ。

 感想貰おう。どうだったかな?清軍諸君。」


僕は、届かないと知りつつもそう声をかけた。


「ぐ、ぶはぁッ!」


ある清兵は、薄れ行く意識をなんとか保って、起き上がった。


一面の血溜まりに、虚しく清朝軍旗が浮いていて。

周囲はさながら地獄と化していた。


「……なぜ…!俺らは中華だぞ…!?」

「朝貢国のくせに、でしゃばってッ!!」


遠くからそう叫んで、一杯に睨めつける清兵が2人。

その声が戦場に響き渡る。


そう。

火砲も銃声も、果ては罵声も上がらぬ中に、彼らだけが佇むのだ。


「ッ!」


彼らは気づく。

戦場を支配するは静寂。

時折交じる呻き声。


彼ら以外の先鋒部隊は、全滅したのであった。


「ひ、ひひ怯むなぁ!すぐにでも、後ろから6000の前衛が追いつくはずだ!」

「とりあえず合流、合流だ!」


砲声は止んだ。

次弾装填のため、次の射撃まではまだ時間がある。


そうこうしないうちに、続く清朝歩兵6000が4000mラインを越える。


「チャンスだ!」

「なんとか白兵戦に持ち込めば、倭卑を木っ端微塵にすることができる!」


合流した彼らは6000の濁流に混じって次々と駆け出す。

更に後ろからは、本隊が進撃が差し迫っていた。

ある清兵が此方側陣地の水冷タンクを指して叫ぶ。


「蛮族どもが命乞いの舞いをッ!?」

「クハハッ!あの玉を壊してやれ!」


皆喜々として、”玉”のもとへ向かう。


「逃げ出した倭寇はすべて刺し殺せ!降伏した倭寇も全て撃ち殺せ!」

「大清の名を小日本シャオリーベンが1000年忘れないようにするのだ!」

「倭奴共が漢族の顔を二度とまともに見られないようにしろ!!」


陣地に突撃する清兵の頭の中は、勝利に浸る未来しかない。

されど彼らは、一歩踏み出し。


「やっちまえーッ!!」


死神の大鎌の射程範囲に入ってしまったのだ。




「――射撃はじめ。」

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