前章 門出 / 旭川

前2話 旭川

明治24(1891)年2月

屯田兵学校士官科・入試会場



最終問題 [化学]【論述】

・近年、欧州にて発表された元素に関する新説がある。驚くことにこれによれば、元素をある法則に従って並べるとそこに「一定の周期」が現れるという。現在知られている全66元素とその原子量、原子価、単体比重、融点の4数値を以下に示す。

此処にその新説を導け。


(――『周期表』か。)


余りにも当然のように、するりと出た用語だった。

けれどもそれにしては、与えられた数値に原子番号がない。問題として不完全なんじゃなかろうか?


(原子番号に近いのは…原子量かな?)


疑問符を残しながら、僕は文字を書き連ねていく。


『示された情報群うち原子量を使用する。

 この順に元素を並べ、その周期に着目することこそが鍵である。』


最初の一文で道筋を示して、実際に証明する。

与えられた数値で証明を長々と記していった。


『……以上の通り、元素を原子量の順に並べるとその性質が周期的に変化する傾向がある。これを「周期律」と呼ぶ。』


解であろうものを導く。

でも、そこで僕は筆を止めなかった。


(でもおっかしいよなぁ…。やっぱ原子量じゃ不具合ばっかり出るぞ?原子番号示してくれりゃ楽なのに。……待てよ?これひっかけ??)


もしや、生徒が原子番号を提示するかどうかを試しているのかもしれないな。

そんなことを考えて、僕は自身の書いた答案の最終文に打ち消し線を引っ張った。


『――しかし。この順番では水銀と金の性質が真逆となってしまう。ウランの位置も性質的に誤りであろう。「原子量順」は経験的法則に過ぎないのではなかろうか?』


ここ記すべきは完全解だ。


『与えられていない数値ではあるが、各元素の「原子核荷電」を用いる。水素は1であり炭素は6、窒素7、酸素8……これを「原子番号」と置く。』


次の行から長大な証明を書き出していく。


僕はこのとき、なんら念頭に置くことはなかった。

原子量を基にした周期律の「発見」さえ1869年、たった20年前のこと。この問で扱われている法則はこの時代、世界最先端の研究であるということを。

そして、原子量式周期律こそが今年の時点で発見されている事象の限界であり、所々不合理で不完全な方式であるこの周期表は今後30年をかけて、原子番号を基準とする現代の周期表へと変遷していくこと。


『――…というように、原子番号を使えば完全周期が実現する。原子量を基準とした周期表のような矛盾が存在しない。』


だから、僕はこの瞬間、勝手に最先端理論を改良していること。

独自発見として、この解答欄に時代先行理論を記してしまっているということ。


『というわけで、原子番号こそが周期表の真理となる。』


僕は、時代を揺るがす法則の発見者となってしまったこと。

このとんでもない事態に何一つ気づくことなく、間抜けにも僕はペンを置いて溜息をついていたのだった。



周囲からカリカリとペン先を動かす音が聞こえてくる。

10歳。現在絶賛受験中。

僕は死物狂いで原野開拓サバイバルを生き延び、入試会場へと至った。


旭川幼年士官学校。

帝都以北は未だ大学も陸軍学校も存在しないこの時代。列島北部における最高教育機関はここになる。

呼ばるるその名は『北の最高学府』。



(その入試で各教科の最後に出される『最終問題』…。帝大首席ですら苦戦、解けないことすらあるって有名なはずなんだけどなぁ)


一応前世では平成の義務教育を一周終わらせている。

かといって、最終問題までスラスラ解けるものだろうか。


首を傾げながらもペラリと一枚捲って、次の教科は「社会」。

地理や政治について事細かく聞かれたが、あいにく明治24年当時の世界のこと。エルザス=ロートリンゲンに代表されるように地名も現代とは大幅に異なる場合が多く、点数を稼げたかどうかは正直微妙だった。

そして最終関門へ。


最終問題 [社会]【自由論述】

・此処1年、帝國は大変革の只中にある。

 突然の藩閥政治の終焉から、枢密院を中心とする体制への移行。2月には「日本皇國憲法」が発布され、日本、大和、八洲、もしくは『帝國』と呼ばれてきたこの国は、統一して『日本皇國』を冠することとなった。 枢密院を主導に動き出した一連の改革は、保守派からの反発は根強いものの、確かな成果を収めているものも多い。

 さて。そのような皇國枢密院に諸君は何を思うか。自由に論じよ。


「……?」


奇妙な設問だった。

このような出題を枢密院が認可するのだろうか、と思った。


皇室最側近の英雄機関、皇國枢密院。

疑問を呈することはまず許されない。


そう考えると、枢密が関わっているという線はないか。


「………。」


周囲からは、カリカリと筆を運ぶ音のみが響く。

他の受験生はどんなことを書くのだろう。


名声を上げつつある皇國の中枢。「維新の英傑」が勢揃いした最高知能の集い。

至高の誇り。皇國を導く存在。

彼らにならば、安心してすべてを任せられる。


枢密院を、そんな風に称賛して終わりにするだろうか。

列島で広く語られる一般論である。


人々は枢密院が大好きだ。




” 俺が主人公だッ!”

脳裏に蘇る、あの一幕。


「…――でもな、僕は現実を知っている。」


”自由に論じよ”、か。

よろしい。

お望みならば、勝手に論じさせてもらう。


『枢密院は、いずれ皇國に仇をなす。』


僕は暫し筆を執る。




・・・・・・

・・・・

・・




「…最終問題を、完全に解いた奴がいる。」


おもむろに、戦慄く声があがった。


「ど……どういうことだ、そりゃ。」

「バカな!満点阻止の捨て問だろう!?」

「な、前代未聞だぞ…!?」


「解答者は今年度の首席候補。もう既に採点が完了した教科だけでも…國語が絶望的な以外は、算術、化学の最終問題を完答、算術は前人未踏の満点通過だ…!」


どよめきが教師陣に広がるが、報告はそれに留まらず。


「それだけじゃない。

……化学最終問題、『周期律』。この理論を、修正をしやがった…!」

「「…――は??」」


化学教師は震える手でその解答を持ち上げる。


「ヤツ曰く…、周期律の鍵は原子量ではない、と。」

「ま、まさか。先生は仮にも元帝大教授、嘗てはプロシアまで研究に飛んだ皇國原子学の最先鋒で権威じゃありませんか…。そんな妄言一蹴――「その私をして論破できないのだッ!!」……え?」


皇國原子学の権威とまで呼ばれた彼は重々しく続ける。


「むしろ吸い込まれていくような感覚だ…。ヤツの理論に則れば原子量周期律の不合理も簡単に説明がついてしまうし、なにより1族から18族という横軸の分類方式でアルカリ金属や同土類金属を纏め、更にそこから”希ガス”とやらの存在まで提唱してやがる……。この原子番号説とやらは、原子学会を揺るがしかねない。」

「首席とはいえ…!相手は、数え年12歳、満年齢たった10歳のガキですよ!?」

「…そのはずだ。正直私も何が起こっているのか理解が追いつかない」

「んな…、ことが。」


動揺する教員たち。

そこへ、カツン、カツンと床を鳴らして近づく影が一つ。


「何かありまして?」

「はっ!!」

「畏まらなくて結構ですわ。ここでは、わたくしはただの教員でしてよ」

「す、少し困ったことが起きまして…」


権威と呼ばれた研究者は進んで前に出る。


「殿下、維新来の天才が出ました。」

「へぇ?それは如何なる?」

「世界の原子学最先端の学説を40分程度の入試で導き出し、挙げ句にその改良まで施した紛うことなき才児です。あるいは、災児か。」


その瞬間。


「なんだこれは!?」


社会科から突然、困惑のような、怒号のような悲鳴が上がった。


「そ、そいつ!そいつだ!最終論述でとんでもないことを書きやがったのは!」

「……なんだって?」

「『そいつ』…って、異例の最終問題2問解き、のことだよな?」

「社会科の最終論述…?維新英傑と皇國体制への忠誠を問う問題、だな。」

「それがどうしたってんだ?」


「こ、こいつ、お…畏れ多くも『枢密院は我らに仇をなす』と!」


職場に当惑が波及する。


「は、はぁ、な!!?」

「……冗談だろ?」

「それってもしや…」

「当人であることは間違いない、受験番号は一致している…!」


「少しお見せ頂けても?」


彼女はおもむろに、そうやって教員たちに囲まれた一つの解答用紙を視界に入れた。ほとんど意図しないでそれを拾い上げ、目を通す。

そこに綴られた文字へ、なるほどすぐに引き込まれていった。


「…へぇ。」


おもわず頬を緩ませてから彼女は、隣で同じく見入る『権威』に目配せた。

彼は気づいて、不敵に笑い返した。


「ええ、違いありません。私の問題を問いた、例の才児です。

…ただ、どうやらだったようですがね」

「……ですわね」


全てを読み終わった後、彼女はこう言った。


「彼の点数は合格に届いてらして?」

「しゅ、首席は確定です。しかしこんな不遜な輩を!」

「――彼の合格処理を」

「「は…!?」」


「点数は合格ラインを越えているのでしょう?」

「ですがっ!」

「公正な判断を求めているだけですわ」


教員たちは猛然と抗議する。


「こ、これは皇國英雄に忠誠を誓い賛美するにあたり、どの点を取り上げどのように評価するかで分析力を見る問題です!それを…、それをひ、『批判』っ…!」

「そうです、こんな烏滸がましい侮辱!最初から考慮されてすらいない論外中の論外じゃありませんかッ!」

「?ですが、出題には一切背いていらっしゃらなくてよ?」

「根本の問題です!刻下、皇國体制の根幹を成す維新の英傑を疑うなど……体制叛逆、果ては大逆にさえ繋がりかねない危険思想――!」

「皇國憲法第19条、内心の自由。そも、首席であるなら、例えこの論述を0点としても十分合格ではなくて?」

「しっ、しかし殿下ッ!」

「その呼び方はやめてくださいまし。幾度申し上げたらよろしくて?ここではわたくしはただの教員、なにかの権威を笠に命じるつもりはありません。ただ、規則に基づいた合否の決定を望むのみですわ。」


未だ不満の根強く残る空気を察して、殿下と呼ばれた教師はため息をつく。


「……首席でなくとも結構ですわ。合格にさえするならば」


「それなら、まぁ」

「殿下の譲歩。これ以上の異議は…」

「……そうだな。」


或る1人の受験生の解答から始まった紛糾は漸く落ち着きを見せた。


「代わりの首席には?」

「は、はっ。例の首席と点数は隔絶していますが、2位通過の者を」

「よろしい。他に異例な事態はなくって?」

「他は概ね平年並、ですね」

「ならばこれ以上ありませんわね。わたくしも皆様も、業務に戻りましょう」


教員たちは散り散りになって飛んでいく。

そうして、そこには一枚の解答が残された。


「逸材は……出るもの、ですか。」


それを丁寧に懐に入れつつ、そんな呟きが誰にも届かず消えていく。


「――…始業式、楽しみですわね。」




・・・・・・

・・・・

・・




『旭川ー、旭川ァー!』


無論自動ドアなんかない。

手で鈍重な客車の扉を開く。


「ふぅう…っ」


差し込む朝日とともに、名寄から乗り継いだ宗谷本線の長旅をようやく終えて、僕はプラットホームに降り立った。

ようやく、開拓サバイバルを終えたのだ。


煤煙にすすけて黒くなった客車から他にも同業者と思われる子たちが荷物背負って出てくるが、いかんせんその人数は少ないみたいだ。


同時に、向かい側のホームには函館始発の急行列車が滑り込んでくる。

そこからはわらわらと制服纏った大勢の入学生が出てきた。


「…確かに、格の差は歴然だな。」


宗谷本線で「北から来た者三大隊生」はその数も少なければ覇気もあまりない。対して函館本線で「南から来た者一・二大隊生」は圧倒的に多く、各々に風格を感じる。

早期に入植が始まった道南道央と、最近になって漸く拓かれた国境地帯の道北道東では、その豊かさに隔絶した差があるのだ。

ゆえに、所属する大隊の番号によって、熾烈な差別が横行しているという噂は有名である。


「うぉお……、」


しかし流石は十万都市、見渡す限り人工物に埋め尽くされている。ここまで高度に発展した街など追放以後見たこともない。


「これが……軍都『旭川』。北域鎮護の要、か。」


その巨大さに戦慄しつつ、取り巻く北方建築の海を見回した。


少し通りを行くと、至るところに屯田兵がいることに気づく。

文字通り「軍都」か。


四条大路の桜並木は未だ咲かず、蕾すら付けていない。当たり前だ、旭川に開花前線が到達するのは5月に入ってからなのだ。

そんな寒々しい、枝だけが並続するこの大通を抜ければ。


「――見えた。」


遠目でもわかる風格、荘厳な煉瓦造りの大校舎。

ここが東京以北、最強の学府。


(『旭川幼年士官学校』…!)


――パァーパーパパパパァーッ!


おもむろに遠くから鳴り響く喇叭。

それに幾つもの軍靴が地を踏みしめる音が続く。


「おお」


眼下には在校生の先輩方が見事な行進を僕ら新入生たちに披露していた。

前進、反転、展開、射撃体勢。

どれをとってもズレがない。


隊列演技。

狂いなく一斉に儀仗が回り、軍刀が抜かれて旭光を反射する。

喇叭の破声と共に撃ち鳴らさる空砲。


「…すげぇ」


新入生歓待程度でもこの統率、素人目でも日頃から相当な訓練を積んでいることがわかる。

改めて凄いところに来てしまったのだと認識させられた。


明治24年4月1日のことである。




・・・・・・

・・・・

・・




「…――これにて、新入生代表挨拶を締めさせて頂きます。」


(はぇ〜あれが首席様かぁ…)


壇上に立って演説を終えた「今期首席」は、眼鏡をかけたなんだか見るかに頭良さそうなヤツだっだ。

クソ難しいと噂の最終問題含めて僕も結構頑張ったのだが、それでも眼前の彼には届かなかった。遥かに及ばない高嶺は実在するのだろう。


(学校長も兵総長も挨拶は済んだ…。後どんくらいでおわるんだろ)


そんな事をぼーっと考えていると、次の人影が登壇していく。


「ごきげんよう、新入生の皆様がた?校舎研究棟責任者の有栖川茶路ありすかわ ちゃろですわ。」


若き麗女が壇に立ってそう述べる。


「さて――皆様がたは”屯田兵”をなんたるものとお心がけて?」


場が静まり返った。


「遠慮はいらなくってよ、考えのままを仰って?」


困惑を残しながらも一人の生徒が立ち上がってこう言った。


「北方最前線を鎮護する、皇國の…防人、ですか?」


「…――『』。」


「「「……ッ!!」」」


へぇ、随分と歯に衣着せぬ物言いをする。


「奇襲時、即座に上陸した敵軍に対し、屯田兵は本土の総動員完了と到着までこの広大な北海道を、家族ぐるみで時間を稼ぎ持ち堪えなければならない。中央政府が求めているのはそれであり、実質捨て石。

ですから…、中途半端な人材を育てるわけにはいきませんわ。非効率な慣例、風習、その他文化。極限の前線地帯においてそれに割く余裕はありませんもの。

本校が求めることは唯一つ。――『実力主義』。」


にわかに周囲がざわつく。

確かにここ士官科は高度な実力主義で有名だ。


「兵としての究極を求めるために、兵学校では一切の身分性別その他全ての『実力主義を阻害する』社会的差別を無視しておりますの。それはここ士官科とて同じ」


本土から屯田兵という形で強力に移入させても人口が絶対的に足りないからな。本土如く甲種男子徴兵では間に合わないのだろう。


「ただ本校は、屯田兵学校士官科という位置づけではあるものの、事実上内地の陸軍士官学校と同じく独立した権威を持つ特殊校でしてよ。歩兵科砲兵科騎兵科、その他諸科と比べて自由度が高い。」


言葉のほどに強くなる語調。


「つまり、『実力主義』も相当たることを意味しますわ。」


最初に受けた、垢抜けないご令嬢の印象は薄れていく。


「胸元の所属紋が『第一大隊』を示そうと『第三大隊』を示そうと関係ない。本校は身分ではなく権威でもなく、その実力によってのみ評価する!」


ダンッ、とその拳が強く机上に打ち付けられ。


「肝に銘じなさい、ッ!」


ピリピリと圧が講堂に震え渡った。


「「「ッ……!!」」」


かくて理解する。


(――…へぇ)


なるほど、これが『旭川』の洗礼か。


「――以上ですわ。」


一転、静み渡ったような声でそう締めくくった。


(これにて一通り終了か)


ぼーっと降壇していくその姿を視線で追っていると、おもむろにその途中で彼女は立ち止まり、


「っ!?」


ビクリと身体が硬直する。何事か。

彼女は射抜くような視線で僕を貫き、そしてニタリと笑った。


「―――!」


走る悪寒と共に、確信に近い直感を得る。


だが、それ以上なにをするわけでもなく。一つ瞬きしたらば、彼女は既に僕から目を逸らしその足を壇下へと進めていた。


「一体なんだったんだ今のは……。」


悪寒はしばらく残り、あの直感は確信として心にいつまでも留まった。

まさに嫌な予感を孕みつつ、学園生活が幕を開けたのだった。

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