一章 日清戦争
明治26年 帝都
昭和20年8月15日水曜日 午前11時58分
この小さな村でも、村役場前にすべての住人が揃った。
前代未聞の大集合。
「正午に村役場前に集合せよ。政府より重大発表在り」
今朝、血相を変えて村内放送が伝えたこの言葉を、その尋常ではなさそうな雰囲気から村民全員が感じ取り、全ての住民があらゆる手段を使ってここに集まっていた。
村役場の正面中央に、一台のラジオが陣取っていた。
彼らは静まり返り、間もなく始まるであろう放送に耳を傾ける。
「――正午になりました。」
時報が入った。正真正銘の、8月15日正午を知らせる。
「玉音―――、玉音―――。
帝國臣民は起立せよ。」
声質が一気に変わり、厳格な令文が流れ出す。村民は一気にざわめき立った。
『玉音』、この言葉が意味するのは、正真正銘の元首、帝國全土の統治権を総覧、元権を掌握する国家の最高権威、
それがラジオから流れるなど、天皇の声すら聞いたことのない村民にとっては、十分に困惑するに足るものだった。
「繰り返す――、宮城より生中継。玉音なり、玉音なり。
臣民諸君、宮城の方角へ起立直礼せよ。」
空前の通告。玉音が生中継で伝わるなど、いくら戦時とはいえども尋常じゃない。
余計に村民は慌てる。
「国歌斉唱」
しかし、国歌が演奏され出すと同時に、その混乱も収まり。
やがては静かになる。
「詔勅――…。」
かなりの人の肩がビクリと跳ねる。
これより、天皇自らが伝えるレベルの、重大放送がある。
そして、ラジオの向こうで小さく息を吸う音が聞こえたかと思えば。
史実と全く違った歴史を綴ってきたこの世界線でも、あの声が流れ出す。
『朕 深ク、世界ノ大勢ト、帝國ノ現狀トニ鑑ミ―――』
・・・・・・・
・・・・・
・・・
・
時系列は53年遡り―――
・・・・・・
・・・・
・・
―――――――――
明治25(1892)年4月 旭川
幼年士官学校 研究棟・第2研究室
「随分お暴れになさったこと」
「……すみません」
旧隷下、第2小隊の戦闘詳報を持って、有栖川は悪魔の微笑みを浮かべる。
「『リヤカー』、と仰せに?
兵站部が喉から手が出るほど渇望なさるような革新的な自作機器をちらつかせて、その”付属品”と称して戦場へ
前代未聞の話でしてよ?」
「兵站部に許可はもらいましたもん!」
”付属品”の精査を怠った兵站部が悪い、と今回は自信を持って、しらばっくれてみせられる。
「…はぁ、物凄い度胸と申しますか、若しくは蛮勇ですわね」
有栖川はそう呆れ返った。
僕も必死で言い訳する。
「あんな無茶な封鎖作戦をたった一個小隊でやったんです!どのみち自作兵器類がなくちゃ良くて小隊玉砕ですよ!!」
戦死3名。
当時、隷下の小隊が34名であったことを考えると、指揮下で1割弱が戦死した計算となる。到底、善い指揮だったとは言い難い。けれども。
「累計で掛かってきた敵は2個大隊です。」
途中から中隊全体で応戦したとはいえ、序盤で渓谷を抜かれなかったのは小隊の奮闘に依るところが大きい。
「理解はしていますわ。
貴方の”自作兵器”とやらが、とんでもない破壊力を持っていることなんて」
ピラピラと戦闘詳報をちらつかせる有栖川。
「…さぁ。そこに書いたほどには、優秀じゃないかもですよ」
戦闘詳報とは銘打っているが、その実は「兵站部騙して持ち込んだ迫撃砲は役立ちましたから没収だけは勘弁してください」といった趣旨の言い訳の羅列である。
小隊単独で中隊2個を撃退しただの、戦局へ決定的な一撃を与えただの、ロシアの継戦意思を粉砕しただの、間違ってはないが、表現をめいっぱいに誇張した。
そういうわけで半分、迫撃砲のプロパガンダなのである。
「十分ですわよ」
有栖川は笑う。
「表現がどうであろうとも構いませんわ。大事なのは『たった1個小隊で3倍以上の敵を撃滅した』という事実ですもの。」
ですから――、と彼女は一旦言葉を切った。
「資金を融資致しますわ。開発を続けて下さいまし。」
「はい?」
「まもなく日清が衝突するであろうことは理解されていらして?」
「え、えぇ。半島をめぐる情勢は刻一刻と悪化を続けてますからね」
「どのみち北鎮は動員、貴方がたは最前線で半島に派兵されますの」
「…だから、どうだと仰るんです?」
「勝利はほぼ確定的な戦争とて、戦場。敵弾に抜かれぬよう、最大限の武装をして出征なさるのでは?」
カタリ、と有栖川は紅茶の入ったカップを持つ。
「整備量産にあたって、その『翠北章』の戦功年金80圓だけでは、到底足りないのではなくって?」
「…よくご存知ですね。この勲章から、その褒賞額まで」
茶を一通り嗜みつつ、彼女はふぅと吐息を漏らす。
「ですから、資金返済は最前線での撃破手当から順次充当でよろしくって?」
「はい?」
「学校と陸軍旭川工廠にも既に話は通してありますわ。設計図さえあれば、基礎加工は受け持ってくださるようでしてよ」
「えぇ…」
「それだけではありませんわ。今年から鎮台へ導入が始まるマキシム機関銃を、先行試装という形で貴方の小隊に4個配備いたしますわ」
「え、ちょっ、待ってください?」
僕の制止に、有栖川が首をかしげる。
「研究棟総括として、貴方の『個人研究』を評価した結論でしてよ?」
その乱れのない金髪をさらっと梳き上げて、彼女は言った。
「隷下部隊は、貴方の指揮下で新兵器群を扱った旧第2小隊が宜しくってよ。鎮台人事部に事情を話して、再編で兵員が散らないように計らって差し上げますわ」
冷や汗をかく。もう周囲はその気になって動き始めてるってわけか。
「ここまでわたくしが御膳立て差し上げましたの。この機会を取るもよし、溝に捨てて、なおかつ敵弾に無防備な肉体を晒しに行くもよし。――選択肢は、御手に。」
実に滑らかな所作でティーカップを置く有栖川。
(断れないヤツじゃねぇかよ……!)
既に、ありとあらゆる話が実に周到に通されている。
士官学校も陸軍工廠も、完全に僕が兵器開発をするものという認識で居る。
ここで僕が退けば、否応なく臆病風に吹かれたと思われるだろう。一大隊生や二大隊生の僕に対する感情は未だに悪く、怖がって逃げ出したなんて噂を流されかねない。
(前線では臆病者から弾除けにされる、か…。っ、クソ!)
戦場の法則を思い出して、心のなかで舌打つ。
敵前逃亡予備軍なんて思われては絶対にならない。前線弾除け確定の臆病レッテルは確実に回避せねばならない。
「選択肢なんて…、あってないようなもんじゃないですか」
有栖川は変わらぬ微笑で返す。
「貴方の自由ですわよ?」
「冗談がお上手ですね…」
溜息をつく。
まぁ、どの道やらねばならないことだろう。
借りを作ってしまうのは避けたかったが、命には代えられない。
「……やらせていただきますよ、死にたくありませんもの。」
満足げに有栖川は頷いた。
「精々、邁進なさい。」
・・・・・・
・・・・
・・
明治25年7月 旭川
幼年士官学校 射撃場
「マキシム機関銃?」
准尉章を提げた咲来が、首をかしげる。
「今年度導入の兵装資料を士官図書館で閲覧してな」
「…北鎮に納入された新兵器ってこと?」
「大英陸軍からの輸入品らしい。」
「ブランド品じゃない」
「それが違うらしくてな、創業10年程度の新しい兵器会社の全く新しいタイプの兵装なんだと」
咲来に基礎設計図を手渡した。
設計図を眺めて、人差し指を顎において彼女は微考する。
「『
「非常に優秀な自動給弾装置。信頼性が他の連射方式と比べ異常に高いんだよ」
史実、日露戦争で帝国陸軍が採用したホチキス社の保式機関砲はガス圧駆動式で、練度によってガス操作が左右されたり、戦場での弾詰まりが頻繁に発生したりとまあ随分な有様だったわけだ。
対して、銃の反動を利用して排莢と給弾を同時に行うショートリコイルと呼ばれるこの方式はマキシム機関銃特有のものであり、機関銃は大事なときに動かないという当時の戦場での常識を覆したのだ。
二度の大戦を経て、各国は競って本方式を採用、現代の機関銃へ系譜が伸びる。
「まあ
核兵器と同じだ。
戦争に絶対伝説などない。
「流石にそうは思わないわよ」
「作動方式が銃身を機関部に固定できない構造になるから、命中精度で他方式に劣るし、銃身に大きな衝撃を加えると故障や暴発の原因となる」
そう言うと、咲来は疑問を加える。
「ということは、あの短機関銃みたいに接近戦では使えないの?」
「少なくともあのレベルのが工場で大量生産できるようになるには、あと20年はかかっちゃうだろ」
精度が重視される挙句、銃身に銃剣を装着して白兵戦を行う必要のある歩兵用の小銃にこの方式が採用された例はほぼないしな。
しばし倉庫へ向かい、リヤカーに載せて庫内から重機関銃を引っ張り出す。
「さて…そんなマキシム機関銃こそがこれであるわけだ」
「ずいぶんと鈍重そうね」
「まぁな。水冷式だし総重量は相応になる。」
「水冷って…。タンク撃ち抜かれたら終わりじゃない」
「それは大丈夫だ。有効射程は清朝歩兵の射程を遥かに超えてるからな」
「んな、冗談よしてよ。そこまでの圧倒的な長射程なんて信じらんないわよ」
ふむ、と僕は頷いた。
「なら重機関銃の誤s…試射やるか」
「…いま誤射って言わなかった?あんた大丈夫なのよねこれ」
「多分…。射撃場ごと吹き飛ぶ可能性は…きっと、ない…。
おそらく。」
「うわ心配になってきたわね嫌ね帰らせてちょうだい」
「まぁ多分大丈夫だよ咲来准尉。撃ってみりゃわかるさ」
「ためしてガッテンみたな思考回路で銃撃つのやめて?」
咲来をスルーして水冷タンクに水を注ぎ込む。
残念ながらこの"二三年式重機関銃"は水冷式で、巨大な水冷タンクが付属する。普通に邪魔だし滅茶苦茶目立つが、空冷は皇國製じゃ無理なほど複雑なので仕方ない。
「……こんなちっちゃくて、銃身も一本しかないのが、あのガトリング砲みたいに強力な連射を実現できるってわけ??」
咲来は、背に引っ提げた
パァン、と音がして、その幹が抉れた。
貫通すらしないが、これでも新式のボルトアクション、二四式歩兵銃だ。
「まぁ、それの補助火力という位置づけにはなるけど――」
僕は機関銃の銃口の先の焦点を、先程咲来が傷つけた木に向ける。
「見せてもらおうじゃないの、重機関銃とやら。」
「まぁ見てろって…!」
リヤカーの車止め金具を、4輪すべて土深くに挿し込んで厳重に固定する。
荷台に乗り込んで銃座に座り、これを回して銃口を標的へと向ける。
「目標補足。」
ぐっと指先に力を込め、撃鉄を絞る。
ドガガガガガガ―――!
「きゃ――!?」
腹の底から響くような唸りとともに、重い射撃音が繰り出された。
続けざまに銃口は白煙を吹き、銃座の周りを煙幕のように覆う。
「ぐっ…!?」
物凄い反動を身体全体で感じながらも照星の先を捉える。
無数に繰り出された機関銃の6.5mm弾は、即座に木に着弾したかと思えば。
ドォォォ――ン!!
「木が…倒れた……!?」
なおも止まぬ無数の火線と響き続ける連射音。
これこそ、圧倒火力の体現。
「――…な、な…。」
咲来が言葉を失うくらいの、従来を遥かに凌駕する射撃性能とその威力。
土煙が巻き起こるのと同時に、ぷつりと銃弾が切れる。
「だろ?」
「……これは、凄いわね…。」
振り返った僕の言葉に、いくらか呆然としながら彼女はそう呟いた。
首肯して笑う。
「心強い歩兵の直衛火力になるだろ?」
「心強いって…。これの援護の後、歩兵用の清兵は果たして残ってるのかしら…」
「口径6.5mm、連射速度毎分500発。『試製五一式』の1.5倍の速射力を誇る。」
「…あれの、1.5倍もするの。」
「弾倉も見ての通りベルト状で、240発を列包してる。弾倉型と違ってなにしろ量産が楽だからな、防衛には弾幕を以て強力な火力支援がつくことになる。」
「ドクトリンが一気に覆るわよ、それ……。」
「そりゃ覆しに掛かるからな」
僕は笑う。
「これ、どうやって使うかわかるか?」
「え、そりゃぁあんたこんな重いのを戦闘中に運んで回れるわけでもないし、蛸壺でも掘って相手の射線から隠匿しつつ、弾幕防衛じゃない?」
咲来が身振り手振り、擬音語を交えて説明する。
なるほど。第一次大戦における塹壕と機関銃陣地という形態を、この一瞬で言い当てるとは、やはり彼女の頭の回転は飛び抜けている。
「基本はそうだな。…いや、全く間違ったことは言ってない」
ここまでクリティカルに言い当てるのだ、咲来は将校過程に転進して正解だ。
「けどな、このまま使うって言ったらどうする?」
僕はリヤカーに載った重機関銃を指して、そう述べる。
「?」
「見た通り、銃座に僕を載せたまま射撃しても、リヤカーは全く破損しない。それどころか、車止めを外したら遜色なく動くことさえできる」
「――ぁ」
咲来の顔色が変わる。
「嘘でしょ、あんた…まさか」
「歩兵攻勢に随伴できる機動力だ。銃剣突撃にさえ、敵の射程外から一方的な援護を加えることができる。」
「…待って、待って。そしたら、機関銃を持っていない敵軍なんて」
「そう。敵軍が機関銃を持てなければ、歩兵決戦にて皇國陸軍を打ち破ることなど到底不可能。」
なにせ、給弾ベルトの余る限り、絶対的な弾幕を張りながら歩兵部隊が進軍することが出来るようになるのだ。
「野戦砲でさえ、圧倒的な機動力を誇る騎兵に牽引されて動き回る少数のリヤカーを補足、ピンポイントで撃ち抜くことは難しい。」
機関銃を制する機関銃がない限り、このリヤカー牽引重機関銃という圧倒的絶壁の前には、一方的に肉片を積み上げていくことしか出来ず。
この時点で僕の部隊に対抗できるのは、機関銃を有する大英陸軍、プロイセン陸軍、合衆国陸軍、フランス陸軍の4軍隊しか地上に存在しない。
もはや、陸戦の趨勢は決まったようなものだ。
「――さぁ、陸上の覇者の完成だ。」
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