1.ゴブリン村の英雄

「以上、メンテナンスは終了した。」


高い天井、広い床。その境界も分からない程白い部屋。小さいが存在感のある窓がそこが壁だと教えてくれる。

その窓の中に、クロマを作った人物であるトーキがいた。口を開くと同時に部屋内にその声が反響する。

部屋のど真ん中にはアンダーシャツを身にまとったクロマが呼吸を乱して立っていた。

拳には床に散らばったロボットの小さな残骸が突き刺さっていて、重力に従い血が滴り落ちる。


「了解、です」


荒い呼吸のまま、そう応答するといつものように出口へと向かう。

白い壁が反応し黒い亀裂が真っ直ぐに入ると両側に壁がスライドし一人分の抜け穴ができる。

クロマは真っ直ぐとそこに入り幾重にも重なったロボットの残骸を後にした。


通路を出ると先程の白い部屋とは見違える程豪奢な廊下へと出た。

例の如く、トーキは迎えることなどしてくれない。いつも事務作業のようなクロマのメンテナンスが終われば自分の研究室へと戻っていく。

きっと、己のような殺戮兵器を何体も作っているのだろう、とクロマは考える。この閑散とした広い廊下が自分以外の足音で埋め尽くされる日もそう遠くはない。

その光景を想像してみたら、クロマの胸の中に突然違和感が走り、首を傾げた。


自室に戻り、魔界の空を切り取ったような赤黒いコートを身に纏う。生まれて間もない時、トーキから貰ったものだった。クロマは外出をする時、決まってこれを着る。

準備を整え、外に出ると鬱蒼とした森へと出る。

歩き始めて10分程経った頃、クロマの体躯よりも数十倍の魔獣がけたたましく唸り声を上げながら正面から襲ってきた。


「黙れ」


まるで蝿を叩き落とすかのような仕草で魔獣の顔面をはたくと空の彼方へ吹っ飛んでいく。

この森はクロマの庭だった。トーキでは手入れが行き届かない故、こうしてクロマが不法侵入する魔獣を掃除している。

魔界に法律なんてものはないし、仮にあっても守る者などいないのでこうして追い払っても知能の低い魔獣は掃いて捨てるほど湧いてくるのだが。最初よりはマシになった方だ。

埃を払い落とすかのように手を叩いていると、視界の端に緑色の肌をしたモンスターが震えているのに気付いた。小ゴブリンだ。

小ゴブリンは「あ、あ、」と言葉にならない声を上げて怯えているようだった。

__この力を雑魚に振るう由はない。

ゴブリンといえば力は雑魚だが知能はそれなりにある生き物だ。放っておいてもすぐこの場から立ち去るだろう、とクロマは無視をしてその先を進もうと足を進めた。


「待ってくだせえ!」

「おうっ!?」


突然小ゴブリンがコートの裾を掴んでクロマを引き止めた。コートが引き伸ばされ背中が仰け反る形になってしまう。


「な、なんだ!」

「命を救っていただきありがとうごぜえやした!お名前だけでもお聞かせくだせえ!」

「貴様を救った覚えなどない!」


目の前に現れた魔獣を退治しただけなのに小ゴブリンに感謝されたことに困惑を覚えるクロマ。しかし小ゴブリンはクロマの言葉を聞いて目を輝かせていた。


「この魔界で恩を売らないだなんて、なんて素晴らしいお人...!お名前を聞くまでこの手は離しません!」

「クロマ=O=イグドラだ!言ったぞ!離せ!」

「クロマ様!ぜひうちの村で恩返しさせてくだせえ!」

「やめろコートが伸びる!」


_名前言ったら離してくれるんじゃなかったのか...。

先程よりも強い力でコートを引っ張られ危うく倒れそうになる。そのまま「来てください」「嫌だ」の応酬をしていたのだが、クロマが根負けした。

小ゴブリンに連れられて歩いていると、やがて森を抜け、小さな集落へと辿り着いた。

森の外れに小ゴブリンが文明を築いていたとは知らなかったクロマは興味深そうに辺りを見回した。

ボロの木切れを継ぎ接ぎした今にも倒れそうな家屋が不規則に点在しているだけの村だ。風が吹く度に屋根がガタガタと鳴る音だけが響いていた。幸いにもこの小ゴブリン以外に外を出歩いている者はいなかった。

_このゴブリンの恩返しとやらをひっそりと受けたらすぐ戻ろう_そう思っていたのだが...


「みんなー!戻ったべー!」


小ゴブリンが声を上げるとわらわらと家の中からゴブリンが出てきた。しかし、クロマを見付けると表情を不安でいっぱいにし、こちらの様子を伺っていた。


「この時間帯は魔獣が出るけえ、みんなこうして家の中に隠れてるんです。幾度となく魔獣に村を滅ぼされてきましたから、よそ者には警戒心が強ぇんです。」


切ない表情で語られても同情する気は微塵も湧かなかった。なら帰らせてくれ、と頼む前に小ゴブリンが声を張り上げる。


「みんな聞いてくれー!!このクロマ様というお方が、魔獣を倒してくれただー!」

「おい待て」


この台詞を皮切りに、ゴブリンたちが嬉々としてクロマの周りに集まってきた。


___おいおい、警戒心はどうした...。




どれ程の時間が経っただろうか。魔界の空に浮かぶ紅月は目に見える程位置が変わっていた。

その間、散々小ゴブリンのもてなしを受けたクロマは戦闘をした時よりも疲弊していた。


「クロマ様、楽しいですか?」

「ああ...」

「また遊びに来てくだせえますか?」

「ああ...」

「お団子どうぞ」

「ああ...。...ふむぅ...」


ずっと横で話しかけてくるクロマが助けた小ゴブリンに適当に相槌を打っていたら中途半端に開いていた口に団子を突っ込まれる。

この村の特産品である「ミネ」という植物を加工して作られた「ミネ団子」は中々に美味だった。小ゴブリンのメスが目の前で踊るのを見ながらもちもちとしたミネ団子を咀嚼する。こうも手厚くもてなされては帰りづらい。


それから流されるように余興を見させられていたものの、クロマは自分の身体の異変に気が付いてその場に立ち上がる。


「ど、どうしたんですか、クロマ様?」

「私は帰る」

「そんな、余興はまだ...!もしかしてつまらなかったべか?おーい!踊りは終えだ!別の余興をするだ!」

「つまらないとかではなく...!」


逃げようにもまたコートを引っ張られ身動きが取れない。そうこうしている間にもクロマの身体の異変は進行していく。


「だめ、だ...意識が......。」

「クロマ様!?」


小ゴブリンの心配そうな声を最後に、クロマの意識は途切れ、その場に臥した。

ざわざわと小ゴブリンたちがクロマの周りに集まり、一気に騒然となる。しかし揺すっても叩いてもクロマが目を起きることはなかった。

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