第3話:Footsteps
「いつかまた横田に来るだろうとは思ってたが、まさかこんな形とはな」丹波は警衛から返された身分証を淡い青の作業服の胸ポケットにしまうと、隣で佇むスーツ姿の宮津に横目で視線を送った。
「友人が異動する前でよかったじゃねえか」
「非合法の仕事じゃなけりゃもっとよかったんだがな」お互いに苦笑いを浮かべながら軽口を叩き合っていると、門の向こうに広がるだだっ広い道路の先から、1台のジープが走ってきて2人の前に止まった。
「元気そうだなケイ」
「あんたもな」運転していた丹波と同年代か少し若いくらいの男は、ジープから降りるや否や流暢な日本語を繰り出し、丹波と熱い抱擁を交わした。感動の再会と思しきこの場の邪魔にならぬよう、宮津は少し距離をとってその様子を眺めていたが、すぐに男は宮津の方に向き直って右手を差し出した。
「クリスチャン・ラドフォード空軍大尉です」
「防衛省の宮津です」自己紹介を交わし、宮津がその手を握り返すと、ラドフォードは警戒している素振りを一切見せることなくニッコリと笑う。
「立ち話もなんですし、まずは会議室へ向かいましょう。どうぞ乗って」ラドフォードがそう言ってジープの後部座席を指差すと、間髪入れず丹波が政治家専属の運転手よろしくドアを開いて、どうぞ。と、宮津を手招いた。
在日米軍の中枢とも呼べるこの横田基地は当然のことながら辺りは米軍人だらけで、訪れた目的が目的だけに気を張らずにはいられない。
そんな状況に際しても普段通りに悪ふざけをしていられる丹波を見る限り、このラドフォードという男とよほど親しいのだろう。
頭の中でパズルをはめるように考えを巡らせるが、それもすぐに年季の入ったエンジン音にかき消された。
「横転させないでくれよ」
「コンクリートの上なら大丈夫だ」助手席で冗談ともつかないことを言う丹波を尻目に、宮津は窓の外に視線を向ける。入ってすぐのところにガソリンスタンド、少し行くと銀行にレストランと、さながらアメリカの街に来たようだ。
幌も何もないオープンカーで寒空の下を快走していると肌寒さを感じずにはいられず、邪魔になるからとコートを置いてきたことを宮津は心から後悔した。
しかし、そのまま滑走路の近くまで来ると、管制塔や格納庫、制服を着た者が出入りする何かしらの施設が建ち並んでおり、歴とした軍事基地であることを思い出させ、寒さ云々と言っている場合の心境ではなくなる。
「着きましたよ」そうこうしている内に目的地に到着したようで、この基地内でも大きな部類に入る建物の目の前で車が止まる。車から降りると、どうぞ。のひと言とともにそそくさと前を歩いて行くラドフォードの後を、丹波に連れられるように追った。 建物の中は防衛省の庁舎とさほど変わらず、とりわけ綺麗な訳ではないが、取り立てて汚れているわけでもない。違っているところと言えば、あまり馴染みのない色の自動販売機が点々と置かれていることくらいだろう。
「どうぞ中へ」そう言って通されたのは、一人掛けの椅子と机がセットで20個ほど同じ方を向いて並んでいる、会議室というよりも教室と言った方がしっくりくるような部屋だった。
「適当に掛けてください」ラドフォードのその言葉通りに丹波がど真ん中の椅子に座ると、宮津もその隣に腰を下ろす。すると、ラドフォードは宮津たちの前方の椅子を机から引き出し、後ろを向けて2人に向かい合った。
「本日は合同軍事演習実施時に行う防衛大臣視察のための下見と聞いておりますが、お間違いないですね」
「ええ。もっとも、大臣の視察が実現するかはわかりませんがね。なにぶん最近はよく大臣が替わりますので」宮津がそう言うとラドフォードは、それはそれは。と苦笑いを浮かべた。
「コースは事前にお伝えした通りですが、何かご要望はありますか?」
「それなんですが、可能であれば格納庫に行って戦闘機とのツーショットを撮れるタイミングを設けていただきたい。その方がメディアが喜びますので」「わかりました。上に確認して調整します」ラドフォードは頷きながら胸ポケットに入った手帳を取り出すと、宮津の言ったことをサラサラと書き込んだ。 「では、本日は当初の予定のコース回る途中でハンガーの方もご案内します」
「助かります」宮津は口ではそう言ったものの、またこの格好でさっき乗ってきたジープに乗ることを考えると、あまり乗り気ではなかった。向こうが提示してきたコースに間違いはないだろうし、高官との握手さえしておけば政治家もメディアも文句は言わないだろう。
だが、せっかくお目当ての場所に正攻法でたどり着けそうなのだから、背に腹は代えられない。ただ少しでも日当たりが良いことを望むばかりである。 宮津はラドフォードの方から視線を外すと、丹波に寒さへの憂いを目で訴えかける。すると、言わんこっちゃない。と言うが如く丹波は肩を竦めた。
再びラドフォードの方へ視線を戻すと、少ししか書き記していないはずの手帳を異様なまでに凝視している光景が飛び込んできた。
宮津の視線に気づいたのか、ラドフォードは顔を上げると、すぐに手帳をパタンと閉じて胸ポケットにしまい込んだ。
「それではご案内しま――」
ラドフォードが口を開いた瞬間、それを遮るように外からドンドンとドアを叩く音が部屋の中に鳴り響く。
「失礼」ラドフォードはそれだけ言うと、2人を残してドアの外へ姿を消した。宮津と丹波は顔を見合わせ、お互いに顔を顰める。何やら嫌な予感がするのは2人の間で共通の認識だった。
そうこうしているうちに、ラドフォードが再びドアの向こうから姿を現す。その後ろには、先ほどドアをノックしたであろう、ラドフォードと同年代の男の姿もあった。
「これはこれは、ケンドリック中尉じゃねえか」
「今はこいつと同じく大尉だ」丹波がケンドリック中尉と呼んだその男は、ラドフォードの肩に手を置くと、1歩前に出て少し伸びた金髪の後ろ髪をなびかせた。
「揃いも揃って偉くなったもんだな」
「背広組の太鼓持ちをやってるあなたほどじゃない」丹波のひと言に嫌みたらしく、それも、日本人と話しているかのように流暢な反撃を浴びせ、先ほどまで穏やかだった空気が完全に殺気立ったきな臭い空気に変わり果てる。
案内役が軍服を着た軍人1人。会議室と言って通されたのが一般の将兵がブリーフィングで使用するような教室。基地に足を踏み入れたときからいくつか違和感があったが、これで完全に歓迎されていないことが確認できた。
「何しにここへ?」
「心当たりならあるんじゃないですか?」宮津たちの本来の目的が視察の下見でないことがわかっているのなら、検察に頼まれて防衛省がコソコソと周囲を嗅ぎ回っていたことも知っている筈。その上でこうしてわざわざ向こうから目的を質してくると言うことは、どこまで知られているかを探りたいやましいことがあるということだ。
全員が口を閉ざしたまま膠着状態に陥り、睨み合いが続くが、のこのこと米軍の基地に来てしまった以上、このままでは宮津たちの分が悪いのは明らかだ。そう思った矢先、この状況を打ち破るように、先に口を開いたのはラドフォードだった。
「防衛省はどこまで掴んでるんです?」言葉に棘を感じさせるケンドリックという男とは対照的に、ラドフォードは一見柔和な態度に思えるが、それが余計に不気味さを感じさせる。
「申し訳ないが、"公安"に口止めされてるんだ」
「なるほど……そういうことですか」ラドフォードはそう呟くと、ケンドリックに視線を向けた。そして、肩を竦めて宮津たちにはわからないようにボソボソと言葉を交わす。
状況は動いたようだが、それが良い方へなのか、悪い方へなのかはまだわからない。依然として、この場に流れる空気からは緊張感を与えられ続ける。宮津と丹波は次の行動に備え、体にグッと力を込めた。
音を発するたびに細かく震える喉、時折頷いて上下する顎。その動きひとつひとつに意識を集中させる。すると、突如としてそれら一切の動きがピタッと静止する時が訪れた。それが次の行動へ移る合図だ。
2人は息を吐き、それまでとは逆に全身から力を抜く。そして、そこから一気に息を吸い、呼吸を止め、これから動き出すであろう横並びの2人を注視した。
ケンドリックがスッと脚を動かしたのを見た瞬間、宮津は体を僅かにピクッと跳ね上がらせる。しかし、次の瞬間、前へ踏み出されるかと思われた半長靴が想像とは反対に1歩後ろへ下がっていき、そのままクルッと反転して背中を見せたかと思うと、部屋の外へ歩いて行ってしまった。
「上官を呼んできますので、少しお待ちを」ケンドリックの動きに気を取られ、しばらく視線を外していたが、その声で再びラドフォードの方へ視線を戻す。それと同時に、丹波はすっかり身構えるのをやめたようで、ふう。っと大きく息を吐いた。
「2対1ならなんとか逃げられそうだな」ラドフォードに聞こえるように、冗談めかして丹波はそう言うが、宮津にとってはあながちありえない選択肢ではない。上官を呼んだことの意図がなんなのかは量れないが、あちら側に抱き込まれ、一方的に情報を提供する立場になることだけはなんとしてでも避けなければならない。
宮津は依然として気を緩めずにラドフォードの方を見詰めていたが、あまりにも警戒感を表立たせたせいか、ラドフォードは大げさに両手を広げ口元を緩ませた。
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。ただ、我々の今の状況をご説明するだけですから」口でそう言われてもにわかには信じがたいが、口先でもそう言っている以上はこちらから手を出すわけにはいかないだろう。
「特殊な機械で俺たちの記憶を消したりしないのか?」映画の真似だろうか、丹波は胸ポケットから何かを取り出して顔の前に掲げるようなようなジェスチャーをとる。
「そんなことしなくても、ただ黙っていてくれればいい。協力はできなくても、せめてそれくらいのことはしてくれるでしょう?」
「それが日本の不利益にならないなら。ね」宮津はラドフォードと見つめ合い、睨むようにその視線をぶつけた。しかし、ラドフォードの方は相変わらず穏やかな、どこか余裕を感じさせるような表情で視線を返す。宮津の目にはそれが、心の奥深いところで弱者を見下す王の目のように映った。
そうしている内に、部屋の外から半長靴とはまた違った、コツコツという靴音が耳に入ってくる。それも、1人ではなく複数人と思われる音が。
やはり何処の国もお偉いさんはゾロゾロと後ろに人を引き連れているものなのか。そんなことを脳裏に浮かべた瞬間、教室のドアが開き、そのお偉いさんと思しき制服の男が姿を現した。
その制服には意識せずとも目に入るほどの派手な徽章が輝いており、否応がなしに身分の高さを意識させられる。
徽章の階級からいって年齢は50代くらいだと思われるが、軍人らしくがたいがよく引き締まった体つきをしており、丹波と同年代か、最高でも少し上程度に若く見える。
「あなた方が防衛省からおいでになった先遣隊ですね」
鼻の下に貯えられた髭を上下させながら発せられたその言葉には、階級という後ろ盾があるせいか、丁寧な口調ながら威風を纏っており、思わず背筋に緊張が走る。体への力の入り具合は、階級の重みをその身でよく理解している丹波の方が顕著かもしれない。
この男の登場によって、教室がたちまち先程までとはまた違った意味で凍てつくような空気に飲み込まれる。そして、この空気を打開するように口を開いたのはまたもやあちら側、今度はこの空気を作り出した男その人だった。
「私はアルバート・ウェルズ空軍大佐。本計画の責任者です」
「計画?」宮津は思わず、それが何かを考えるよりも先にそう尋ね返した。すると、大佐は意外そうに一瞬目を見開き、眉をピクリと動かす。そして、なるほどと言わんばかりにうんうんと頷くと、ニヤリと不敵な笑みを見せた。
「それではご説明しましょう。我々と、あなた方が瀕している危機のことを――」
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