活動凍結中
第1話:防衛省にて
特防隊の活動が凍結され、防衛大臣官房付へと異動になった宮津は、独り退屈な日々を送っていた。
異動になったとは言っても新しい部屋を用意されるわけでもなく、特防隊で使用していたいつもの部屋で仕事とも呼べないような雑用をこなす。それが、宮津の今の任務だ。
机に積まれた親指の先から第一関節ぐらいまでほどの厚さがある不要な書類の束から紙を1枚手に取り、チョキチョキとはさみで細かく刻んでいく。シュレッダーという文明の利器を使えばあっという間にバラバラにすることできるが、それをしないのは早く終わらせたところで面白い仕事はやってこないからだ。
どれだけ1枚あたりに時間をかけて1日を浪費するか、それがこの仕事の成果であると考えて、駆け出しの切り絵師の如くゆっくりと紙を切り進める。
9時頃から取りかかり、昼休みまであと数分となった今現在の時点で処理の終わった紙は僅かに5枚。そして今、6枚目を切り終わった。それと同時に、時刻は丁度12時に。事前の計算通り、6枚を処理して昼休憩の時間となる。
宮津は、はさみをおいて軽く伸びをすると、鞄の中から財布を取り出して立ち上がった。今日の昼食は何にしようか。
また近所の丼もの屋に行くのも手だが、最近は何かと昼間の来客が多い。不在時に来られて、訳のわからない仕事を問答無用で部屋の前に置き去りにされるのはもうごめんだ。
それを避けるにはこの部屋で食事を摂るのが望ましい。しかし、コンビニ飯は多忙のときのためにとっておかなければいざというときの僅かな楽しみがなくなってしまうし、かと言って食堂のトレーを持ち出して終業時間に返却するのも気が引ける。
そうなると、行くべき場所はただひとつ。宮津は部屋に鍵をかけると、エレベーターで1階へと向かった。
10分後、宮津は比較的上機嫌な様子で昼食の入ったビニール袋を持ってエレベーターを降りた。左手に提げてるその袋からは緑茶のペットボトルが頭を突き出しており、少しバランスが悪くなっている。
宮津は、中の物が倒れないように注意しながら鍵を開けた。そして、居るはずがないとわかりきっているが、誰も居ないことを扉の隙間から確認し、部屋の中に入った。
机の上に袋を置くと同時に、壁にあるフックへと部屋の鍵を投じる。右手から放たれた鍵は放物線を描いて壁へと到達する。そして、狙い通りキーホルダーの輪っかがフックにぶら下がった。この挑戦を始めて10日目にして初の成功となった。
日々の修正とイメトレが紡いだ結果に小さくガッツポーズをして椅子に腰を下ろすと、成功の余韻もほどほどに思考を切り替えて机の上のビニール袋に視線を落とした。
袋の口を広げ、中からペットボトル、割り箸、そして黒い発泡スチロールでできたどんぶり型の容器を取り出し、机の上に配置する。
食料を前にして、空腹の胃がグーと悲鳴を上げた。だが、昼食を口にするにはまだ少しばかり準備が整っていない。宮津は、どんぶりに手をつける前にまず、ペットボトルのキャップを緩めて片手でも開けやすい状態にした。
そして、満を持してどんぶりの蓋を開けた。その瞬間、湯気が吹き上がり、部屋中に牛丼の甘辛いつゆの香りが広がる。その匂いがより一層空腹を刺激した。
割り箸を袋から取り出してパチンという音とともに2つに分けると、そのままの勢いで白米の上に敷き詰められた牛肉へと箸を伸ばした。木の先端でつまみ上げられた肉とタマネギを舌に乗せた瞬間、甘辛いつゆと牛の脂の甘さ、そして、タマネギのシャキッとした食感が口いっぱいに広がる。
そこですかさず、肉の下から顔を出した米を掻き込んだ。つゆだくにした甲斐あって米にもつゆがよく絡んでおり、白米の甘さをより引き立てている。最後の晩餐には決してしたくはないが、人生で数多ある食事のうちの2割ほどを任せたい。そんな安心感のある美味さだ。
束の間の休息を目一杯楽しむようにお茶を交えつつじっくりと味わう。そうして、白米の下からどんぶりの底が少し見え始めたタイミングで一度箸を置いた。そして、ビニール袋に手を突っ込んで、中のピンク色が透けて見える小さな袋を底の方から引っ張り出す。
その袋を手で裂いて口を開けると、箸の先端を突っ込んで紅生姜を牛肉の上に掻き出した。先ほどまで茶色一色だった牛丼にピンク色の彩が添えられ、その酸っぱい匂いとともに停滞期に差し掛かっていた食欲を再び盛り立てる。
紅生姜を肉でくるむようにして一緒に口へ運ぶと、肉の脂身の甘さを引き立てながら、酸味のあるあっさりとした後味を口の中に残した。
耐え難い退屈さに束の間の憩いをもたらした牛丼との邂逅は、もうすぐ終わりを迎えようとしている。1度お茶で喉を潤し、ラストスパート入る準備を万全なものとした。
しかしそのとき、扉を叩くコンコンという音が、独りだけの静寂に包まれた部屋の中に鳴り響く。宮津は、はあ。という溜息とともに天を仰いだ。そして、予告もなく唐突に訪れたタイムリミットを人生と重ね合わせて、刹那の幸せがあるという大切さをぐっと噛み締めた。
「失礼します」その名が荻野だったか清田だったか定かではないが、とにかく最近よくここに来て雑用を置いて帰る役に任ぜられた新人官僚はそう言いながら扉を開けた。
「お食事中でしたか」
「もう済んだよ」宮津はまだ少し残った牛丼に蓋をすると、ビニール袋にゴミを纏めて袋の口を縛った。そして、新人が脇に抱えた60サイズの段ボール程度の大きさの小包に視線をやる。
「今日は何を押しつけに来たんだ?」
「これは外部からの贈り物です。なので面倒ごとじゃないですよ」多分。新人は最後にそう付け足した。
「誰からだ?」宮津がそう尋ねると、重そうにしながら小包を顔の前まで持ち上げ、宛名書きを探す。しかし、どこを見ても送り主がわかるようなものは見つからなかったようで、諦めた様子で小包を宮津の方に向けた。
「税関からとしか書いてないですね。多分海外からだとは思いますが」
「そうだろうともさ」宮津はその場で右腕を伸ばして小包を受け取ると、ズシリとその重みが腕を伝う。そして、素早くデスクの上に小包を置くと、ペンたての中に突っ立ったカッターナイフを手に取り、包み紙に覆われた縦長の箱、その上面にカッターナイフの刃を走らせてた。
パックリと開いた隙間に手を入れて紙を引っ張り剥がすと、中から飾り気のない木製の箱が姿を現した。
特に鍵などで閉じられている様子はなく、上面の板を手前にスライドさせることで容易に開けることができそうだ。
しかし、税関を通ってきたのだから危険物ではないのであろうが、差出人がわからない以上なにも考えずにこの場で開け放ってもいいものだろうか。特に、完全なる部外者である新人の目の前でなど。
今までならそう考えたのかもしれない。しかし、ここひと月ほど続いた退屈な雑用が思考を鈍らせてしまったのかどうかはわからないが、宮津はそんな考えにいたることもなく躊躇なしに木箱の板を取り外した。
蓋を失った木箱が一番に露わとしたのは、ヨーロッパ風の街並みが描かれたポストカードだった。興味津々で覗き込む新人をよそに、宮津はそれを取り上げる。
河に架かる数本の橋と両サイドに赤を基調とした外壁の建物が立ち並ぶ写真がプリントされ、枠の下部には筆記体で"Dublin"と印字されている。裏面を向けてみると、一面全てに罫線が引かれているメッセージ欄はほぼ白紙で、最上段の一部に手書きで"From Irish bad friend"と記されているだけだった。
それを見た宮津は、送り主の見当がつき思わず口元を緩めた。その様子を新人は見逃すこと無く、好奇心丸出しで疑問を口にする。
「なんですか、それ?」そう言って新人は木箱の中を指さした。宮津はその指の先を辿って、ポストカードの下から顔を出した鉄製の小箱に視線を落とす。
そして、デスクの引き出しを開けて、中にポストカードをしまうと少し格好つけた様子で新人に言った。
「少し早めのクリスマスプレゼントだ」
新人が姿を消し、再び静けさに取り憑かれた部屋で宮津は鉄製の箱を眺めていた。時刻はすでに17時を目前に控え、窓の外は夕暮れの様相を呈している。今日もまた、退屈な1日をどうにかやり過ごした。
午前中にデスクの上に積み上がっていた大量の不要な紙の束が全て似通った大きさに刻まれて、ポリ袋をパンパンに膨らませるまでになったのが唯一の目に見える成果とやりがいとでも言ったところだろうか。
機械にできる簡単な作業で働き盛りの大切な時間を浪費したなど考えるだけでもおぞましい。しかし、それもしばらくはましになるだろう。この"アイルランドの悪友"からの贈り物によって。
宮津はおもむろに床に置いたカバンを膝の上に乗せると、奥底に埋もれたスマホを引っ張り出した。画面を点けると、中央にでかでかと現在の時刻が表示される。時計を見るたびに虚しさを感じずにはいられないが、家に帰りでもすれば多少気は晴れるだろう。そう信じながら、宮津は電話を手に取った。
「あぁ、俺だ」宮津がそう言うと、電話口からは最後に会ったときと変わらぬ少しヤンチャそうな口調の声が答えた。
「あぁ宮津さん!どうですか、窓際ライフは?」久しぶりに話した第一声がこの言い様とは、相変わらず礼儀を弁えているようだ。普段なら多少なりともムカつくところではあるが、最近イラつくこともめっきりなくなった身としてはこの軽口が妙に心地よい。
「楽しい楽しい官僚生活を遅らせてもらってるよ。そっちは最近どうだ?」
「悲しいことに毎日バイト漬けですよ」
「学生らしくて結構なことじゃないか」あまり現状に満足していないような物言いだが、少なくとも血税を貰って犯罪行為の片棒を担ぐよりも確実に健全であるように思える。
しかし、社会通念において健全な生活が万人にとって幸福であるとは限らない。中には普通の生活ですら送ることが難しい人間だって存在する。それこそ、犯罪の片棒を担がねば学校に通えないような人間も。
「金は大丈夫か?」
「卒業まではなんとか」そうか。宮津はそんな冷たさえ感じる返事しかできなかった。できることならこれ以上彼の人生に踏み込みたくはない。そんな意思の現れだろうか。宮津自身にも、この反応の意味することはわからない。
それから、2人の間に数秒の沈黙が訪れる。しかし、その重苦しい空気もすぐに打ち破られた。
「それで、俺の近況が知りたくてわざわざ電話したんですか?さすが窓際族。暇ですね」
「うるせえ」宮津はそう吐き捨てると、鉄製の箱をつまみあげて振ってみせた。なんの音も立てることなく、虚しさに襲われる。
「ちょっと知恵を借りたいんだが」いきなり口頭でそう伝えるだけでは判断に難いだろう。その上、先ほどバイト漬けと言っていたことから時間も限られているだろしあまりいい返事は期待できない。しかし、その予想は嬉しそうな二つ返事によって一瞬にして裏切られた。
「よしきた。最近刺激不足で困ってたんですよ」この調子でいつか大きな失敗をしないといいが。そんな宮津の心配を他所に、ビデオ通話に切り替わったスマホの画面から、斑鳩がその笑顔を覗かせる。
「それで、どんな厄介ごとなんですか?」
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