わたしの願いは、透明
恵瑠
第1話 消えたい
「死ぬ」って、どういうことだろう? その意味を最近になってずっと考えていた。
身体が息をし、細胞が生きていれば、心が凍りついて動かなくなっていても、それは生きていることになるのだろうか? 身体と心がその動きを止め、こんなふうなことを考えることもなく、誰かに触れることも出来なくなって初めて、「死」と言うのだろうか?
考えれば考えるほど答えは出ず、黒く染まっていく自分の身体をボロボロに切り刻みたい衝動にかられた。既にきれいな部分などほとんど残っておらず、私の身体は黒い沁みだらけだ。それらはとても汚く思え、それらを全て切り取ってしまえば、きれいになれるような気がした。切り取る範囲が大きすぎて、残る部分は小さくなるだろうけど、それでも今よりはずっときれいになるように思える。
次々に浮かぶ疑問と自分勝手な思惑。こんなことを大真面目に考えている自分がおかしいのは分かっていた。身体が生きていようと、心が死んでいようと、どうでもいいことだ。悩むことさえバカバカしい。
こんなふうにおかしな悩みと決着をつけるため、私はある決意を固めていた。安易だと言われるかもしれない。だけどもう私は、こんなことに悩まされるのも、明日目を覚ますことも嫌なのだ。
私は持っているだけの睡眠薬の錠剤をプチプチと音をさせて取り出した。それらは次々に、足を投げ出している私のスカートの上に落ちていく。
病院からは一週間分の薬しか処方されていない。だから大した量ではなかった。数えた訳ではないけれど、錠剤が三十錠ほど。薬が身体に及ぼす影響なんて知らない。でも睡眠薬だって入っているのだから、きっと……
私はスカートの上へと落とした錠剤を次々に口の中に放り込み、さらに水で体の中に流し込んでいった。一回では飲み込みきれず、水を三回ほど口に含んだ。喉の奥へと次々に塊が流れ込んでいくのを感じる。
私は全てが胃の中に納まったことに安心すると、ベッドへと潜りこんだ。そして天井を見上げながら、誰に言う訳でもなく「さようなら」と呟いた。
誰かに向けて言ったわけではない。
ただ、自分の肉体への別れの言葉だったように思う。
「さようなら」
それは悲しい言葉だけれど、悲しみはもちろん、死ぬことへの恐怖など少しも感じなかった。それより、このまま楽になれるんだと、明日目覚めることはないのだと、その喜びのほうが大きく、私は満足しながら目を閉じた。
なのに_______
コチコチコチコチという時計の秒針の音だけが聞こえていた。
瞼をゆっくりと開く。
静まり返った室内。目の前に広がるのは、ただの闇。
何もかもが理解出来なかった。自分のことも、まわりのことも、何も分からなかった。
私、どうしたの? ぼんやりする頭を右側に向けると、サイドテーブルの上の時計が見えた。時計の針は9時をさしている。9時……?
9時という時刻を見て、私の脳がゆっくりと動き始めた。
私は……薬を飲んだはず。0時をまわっていたと思うから……1日眠ってたってこと? 眠ってただけ? 予測していなかった結果に、私はひどく焦りを感じた。
嘘でしょ? 睡眠薬って死ねるんじゃないの? 私……死ねなかったの? どうして? どうしてよ!
目を覚ましてしまった自分に嫌気がさす。何故死ねなかったのかと、自分を嘲る。なのにもう薬もなく、首を吊るために動くことすら出来なかった。ベッドから起き上がることさえ出来ない。体がだるい。頭が重い。
ベッドに横たわったまま天井を見つめていた私は、そこでハッ! と気づいた。
会社を無断欠勤してしまった。どうしよう。会社に連絡を入れなければ。
死ねなかった事実より、無断欠勤した現実が怖くなる。こんなことどう考えてもおかしい。死のうとしていたのに、仕事先への言い訳を考える……だなんて。
そう思うのに、私は必死になって言い訳を考え始めていた。
具合が悪くなったとか、倒れてしまって連絡が出来なかったとか。祖母はもう亡くなったから、身内で別の誰かが亡くなったということにして……止めてしまいたかった頭の中の回路が動き出し、急に吐き気を感じた。
どうしてよ! 嫌! 考えたくない! 考えたくない!
体が自分のものではないくらいに重くて、私は溢れる涙をそのままに、枕へと突っ伏した。
このまま、このまま、消えてしまいたい! それはずっと以前から持ち続けていた私の希望(のぞみ)だった。誰にも気づかれず、痛みも感じないままに一瞬で姿が見えなくなり、私も何も感じなくなる「消える」という状態。そんな無理難題な展開を私はずっと願っていた。
消えたい。消えたい。消えたい。
ガチャガチャガチャ!
乱暴に鍵が差し込まれる音がして、ドアを開く音が聞こえた。
それまで静かだった室内に、せわしない空気が流れ込んでくる。玄関からこの部屋までそう距離はないけれど、足音はやけに急いていて、バタバタとこちらへ走ってくる。
誰が来たのかは分かっていたけれど、その名前を呼ぶのさえ面倒だった。
どうして来たんだろう。私のことなんて構わないでほしいのに。私に近づかないで! 一人にして! 私は一人でいいの! 私は一人がいいの!
枕に突っ伏し、顔が見えないようにしていた私は、寝室の横開きの戸がスラリと開き、彼がそばに近づいて来たのを感じた。私は目を合わせたくなくて、さらに枕へ顔をうずめようとしたけれど、彼は私の腕を掴み、乱暴に引き起こした。見せたくもない私の顔が彼に晒される。
彼は驚きで目を見開き、今まで見たこともないような生物を見ているかのように私を見た。私に対して、怒りと恐怖を抱いているのが伝わってくる。
「咲(さき)! お前、何した!」
彼は、枕元に転がっているペットボトルと、空になった錠剤の包みを見つけたようだった。私がしでかしたことを瞬時に理解した彼は、私を見る目に嫌悪を浮かべた。その彼を見て私は笑ってしまった。おかしくて仕方がなかった。
「ふふふ……うふ……うふふふふ」
笑いながら、自分で思っていた。
おかしい! 私は、おかしい!
笑みを浮かべる私と、私への嫌悪を浮かべる彼の視線が絡みつく。彼の嫌悪は、時間の経過と共に、悲しみへと変わっていった。
何がそんなに悲しいの? 私を憐れんでいるの? もういいんだよ。私なんかと一緒にいなくても。
言葉にはならなかったけれど、彼を見ていたら、彼がかわいそうでたまらなくなった。私なんかが彼女でごめんね。そう言いたかったけれど、私の頭はぐらぐらと揺れ目が回った。そして意識が遠のき、自分の体が地の底深くの闇の世界へと落ちていくのを感じた。
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