ツバサの思惑

「マドカ、どうだ」

「頑張ってますけど、動く課題は早かったのではないですか」

「いや、尾崎なら出来る」


 ツバサ先生流を高校生にどうかと思いますが、尾崎さんが背景の弱点を克服しないとならないのはマドカにもわかります。


「アカネ先生を思い出されているのですか」

「そうだとも言えるが、少し違う」

「私への課題でもありますね」

「まあ、そうだ」


 マドカが学んだ時はそうでしたし、大改革後も元が同じだからわかるのですが、西川流の考え方の一つに背景重視があります。キッチリした背景にメインの被写体を当てはめるぐらいでしょうか。


 そういう指導法になったのは、初心者ほど逆だからで良いと考えています。まずカメラを持てば誰でもメインの被写体を撮るのに熱中します。背景など考えずに撮るものです。これを早期に是正するために背景重視のマニュアルが生まれたと考えています。


 ただ背景を重視しすぎるとメインの被写体が逆に手薄になる事があります。そう、マドカも苦労した動くものへの課題です。完璧な背景作った上で、動くもののベスト・ショットをはめ込むのは容易ではありませんでした。


「マドカとは逆のケースだが、到着点は同じだ。おもしろいものだろう」

「それをアカネ先生ではなく、マドカにさせるのがツバサ先生流ですか」

「まあ、そういうことだ」


 ツバサ先生が摩耶学園写真部にあれだけ肩入れされてる理由ですが、まずあの子たちの熱気に打たれたのは確実にあると思います。マドカも参加してみてヒシヒシと感じましたもの。なにか青春時代の熱い思いが甦る気分になってしまいましたもの。


 でもそれだけでは無い気がしています。なにか弟子育成のヒントをつかんだのではないかと考えています。弟子育成はマドカもやらせて頂いてますが、これが容易なものではありません。


 マドカがプロになってから、次のタケシさんがプロになるまで十三年もかかっているのです。それぐらいフォトグラファーになるのが容易ではないと言えばそれまでですが、指導法にどこか改善の余地があるのではないかの疑問を抱かれてる気がしています。


「さすがはマドカだな。良く見てる。悪いがあの子たちでテストさせてもらってる部分はある」

「麻吹流でも作られるのですか」

「あははは、さすがにガラじゃない。だが逆のアプローチもあっても良いだろう」

「やはりアカネ先生がモデル」

「結果的にはな」


 マドカも含めて三人は西川流あがりと言えますが、アカネ先生は完全に無関係です。アカネ先生の逸話は数えきれないぐらいありますが、西川流特有の背景重視と無縁なのです。


「そうだよ。アカネだけではない、最初にカメラを持てば誰だってメインの被写体を重視して撮るものだ。それから背景を考えるぐらいかな。野川は西川流に染まり過ぎているから別だが、エミさんと尾崎は違う」

「西川流と逆のアプローチですね」

「そっちの可能性を前から試して見たかったのだ」


 オフィスの弟子たちは必然的にほぼ全員が西川流の出身者。日本である程度の技量を備えている弟子を求めるとそうなってしまうのですが、弟子たちへの指導は西川流の殻をいかにして破るかになってしまう部分は確実にあります。


「西川流のメソドは優れているとは思うが、辰巳があれだけ改革しても、上達するほど固まってしまう傾向がある。たとえば背景の過度の重視だ。そうすれば綺麗に上手に見えるが、どうしても同じ写真になってしまう」

「背景軽視ですが」

「違うな。被写体重視だ。写真の主役はメインの被写体だ。これの魅力をいかに引き出すかが、すべてだと思う。エミさんや、尾崎の写真を見て感じるものがあるだろう」


 技術的には稚拙な部分は多いですが、マドカが見ても『あっ』と感じさせるものが撮れている時があります。あれは背景など考えず。メインの被写体の魅力のみを追求した結果かもしれません。


「テクニックは素直な感性の成長を邪魔している部分がある気がしている。テクニックは写真の質をあげるが、一方で写真の幅を狭めている部分もある」

「アカネ先生は、そういう意味で優れてますね」

「ああ、アカネは化物だ。アイツは、自分の撮りたいものに必要なテクニック以外は、頭から受け付けなかったからな。アイツにとってテクニックなどは自分の表現したいものの下僕に過ぎん。あそこまで徹底できる奴は、まずいないだろう」


 ツバサ先生がやろうとされているのは、その人のもつ個性や才能を、そのまま伸ばそうとする手法で良さそうです。西川流では『守』の傾向があまりに強く、最初に個性や才能を押さえ込みながらテクニックを教え、そこから『敗離』する必要があります。


 だからアカネ先生をあえて小林さんの指導を任せたのでしょう。アカネ先生の指導は、まさに天才が天才を教え導くもの。マドカはリスクが高いと見ましたが、小林さんの才能に一番合っていると見られたに違いありません。


「ああそうだ。エミさんもナチュラル派だからな」

「だからマドカは尾崎さんを」

「そうだ。尾崎の写真は奔放に見えて、あれでかなりの理論派だ。アカネではなにを言ってるのかも理解でないだろう。マドカへの課題は奔放さを失わないように、しっかりと背景を作らせることだ。とにかく、今のままでは確率が悪すぎる」


 尾崎さんの背景が良くなるには、計算を取り入れること。背景にまで計算を及ぼすのは尾崎さんなら可能のはずです。今まで出来ていないのは、そこの計算をレタッチで逃げていたからです。期間が二ヶ月足らずなのは厳しいですが、


「悪いが頼む。わたしは野川をもう少しなんとかしたい」


 野川君の写真は昔のマドカを見てるよう。あれこそ西川流の王道の写真。


「あのままでも」

「うむ。あれはあれで高校生なら十分すぎるほど良いのだが、写真甲子園ではバランスが重視される。野川の個性を上手く活かせればよいが、尾崎が期待通りに伸びれば、エミさんの負担が大きすぎる気がする」


 そう、写真甲子園はチームの三人が奏でるアンサンブル。単体ではよくとも、チームとして見れば不協和音になりかねないのです。


「やはりエミさんの才能を見て」

「マドカも羨ましかっただろう」


 新マドと組んで出場した時は自信がありました。マドカはあちこちのコンクールで賞を取っていたからです。新マドだってかなりの腕前ですし、二人の呼吸は双子のようにピッタリ合っていました。


 問題は出場のために出てもらった三人目。決して下手ではなかったのですが、どうしても呼吸もリズムも合わなかったのです。マドカはなんとか合わせてもらおうとしましたが、最後まで合わせることが出来なかったのです。


 あれは、マドカと新マドが異常なほど一致しすぎたのもありますが、あれを違う個性として取り込むことが出来なかったのも大きかったと考えております。それでもです。その差は今の写真部の三人と較べても小さなものでした。


「加納志織の時もそうだった。あの時にエミさんがいたら北海道に行けたと思う」

「マドカもです」


 あれほど見事に紡ぎあげられるのは、まさに天賦の才能。あそこまでになるには、相当の写真修業に明け暮れないと出来るものではありません。まだ初心者に等しいエミさんにあそこまで出来るのが驚異なのです。


「野川はエミさんをモデルに使うのが秘密兵器と言っていたが、あそこの写真部の本当の秘密兵器はエミさんのコーディネイト能力だ。あれはかなりのアドバンテージになる」

「だから野川君を」

「尾崎が伸びればそうなるのはわかるだろう」


 ツバサ先生は三人のレベルアップだけではなく、三人のバランスを常に見ておられる。そこをマドカも、ツバサ先生も、青島さんも高校の時には気づきもしなかったのです。ただ、写真が上手ければ勝てると思い込んでいました。


「マドカも時間があれば写真甲子園のアーカイブ見ると楽しいぞ。レベルがどんどん上がっている。あれを見ると写真界の未来は明るいと思えるからな」


 写真を目指した高校生なら誰でも憧れた写真甲子園。なんとか決勝大会を経験させてあげたい。

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