スナッフフィルム

耳障りな鼾声のようなもので吾妻は覚醒した。目を開けた瞬間、視界に映ったのは瞳孔が開いた小林の顔面であった。どうやら彼に覆いかぶさる形で気絶していたらしい。吾妻は飛び起きた。男にこんなにも密着されるのは、小学生の時、学校帰りに背の小さい変態男に後ろから抱き着かれた時以来だ。あの時、男が耳元で呟いた低俗極まりないセリフと荒い吐息は今思い出しても吐き気が込み上げ、肌には虫唾が走る。(吾妻は何とか男を振り払い、貞操の危機を逃れた。)周囲に新の姿は無い、もうどこかに行ったようだ。吾妻は足元に倒れこんでガーガーと工事現場のような鼾をかく単細胞の頭部にペナルティーキックの如く助走をつけ蹴りを放つと、自転車を立たせて自宅へぶっ飛ばした。彼の人生で初の暴力行為だった。心は落ち着いていた。これといって何の感慨も無かった。頭の中は新が何故自分を殴ったのか?その事で一杯だった。




翌日、吾妻が小林と新に殴打されたために試合でコテンパンにされたボクサーさながらに腫れあがった顔で教室に赴くと、樹木に塗り付けた蜂蜜に群がる虫の如く、彼のグルーピーと言えば聞こえがいい狂信者のビッチ共が密集した。ビッチ共の容姿は玉石混交。ピンキリだ。人間とパグの合いの子か?と疑いたくなるような、控えめに言っても「ブサカワ」な見た目の持主から、豊満な胸や尻を持ち、顔も器量よしな者までいた。共通しているのは性悪な性格だけ。だが、女性を見た目で篩にかけたりはしない吾妻は、グルーピーの殆どを食い散らかしてきた。吾妻は別に色情狂ではなかったが、それが彼女達に出来る彼なりの厚意であったのだ。彼女たちは我先にとばかりに吾妻に鼓舞激励の言葉を送って来た。吾妻に如何に気に入ってもらえるかが、彼女たちのステータスなのである。口々に「ダイジョウブー?」「カワイソー」などとまるで下水を流れる水のような普段の声とはかけ離れた猫なで声で親身になって心配するふりをするのだ。それが彼女たちの常套手段である。吾妻は亡者のような彼女たちにある種の畏怖を抱き、にべもない適当な対応をした。彼の肉体をどうやって自分のものにするかしか頭にない、欲求不満の彼女たちにはここ最近ほとほとまいっていた。いくらプレイボーイで知られる吾妻と言えど、男根は一本しかないのだ。色欲狂いの女どもに一人一人付き合っていたら体力が持たない。そのうち腹上死するのは目に見えている。どうやら狂信者がゆえに彼以外の男は眼中にないようだった。例え他の男に声を掛けられようとまるで犬の死骸に集る蠅を見るような眼で彼女たちはねめつくのだ。そうなった原因は元はと言えば吾妻にある。本人は気づいていないが、まったく罪作りな男である。


結局、彼女たちを誤魔化すには数十分の時間を有した。吾妻はまるで長距離マラソンを終えた後のようにどっと疲れた。


吾妻は教室の窓側で教卓から見て一番奥の席に腰かけている新の方へ歩を進めた。彼はあのスタビー・スクイードのような目でスマホの画面を食い入るように見つめていた。左手はポテトチップスの袋をあさっていた。


「やあ」


吾妻は簡潔に挨拶をすませ彼の前の席に腰かけた。はれ上がったベイビーフェイスでいつものような衒いのない笑顔を作る。まぶしい白い白い歯が輝く。窓から差し込む日光がその輝きを助長しているかのようだ。ウスラバカのビッチ共ならばこれだけでイチコロだ。またぐらに電撃が走る事必至である。吾妻は目の前の男に恨みは無かった。それどころか彼に興味を抱いていた。新から返事は無い。彼のスマホからは女の悲痛な悲鳴のようなものが漏れている。吾妻が覗き込むと、二人組の若い男が閑散とした廃墟のような場所で女性を殴りつけている、恐らく海外の映像が流れていた。女性は息も絶え絶えで血まみれになりながら許しを請いているようだった。おそらくスナッフフィルムという奴だろうか。男達は心行くまで女性をいたぶると、最終的に短銃を取り出し、殺虫剤をかけられた虫のようにぐったりと地面に横たわっている、顔面が陥没した女性の頭部に引き金を絞った。映像はそこで終わった。吾妻は初めて見たスナッフフィルムに興奮しながら言った。


「すごいな、これ本物か?どうやったら見れんの?こんなの」


「海外のサイトならすぐに見つかる」


新はハスキーボイスでそう言った。吾妻は久しぶりに彼の声を聞いた気がした。


「昨日は効いたぜ君の右フック。それのあの小林をボコるなんて大したもんだ。何か習ってるのか?」


新は我流だ、と答えた。確かにあの動きはどの格闘技の分野にも属していないように感じられた。


「なあ、昨日は何で僕を殴ったんだ?」


吾妻は笑顔を崩さずそう聞いた。新は数秒、間隔を開けると言った。


「さあ、なんでだろうな。強いて言うなら、そこにいたから」


「それだけ?」


「ああ。ちょうど殴るのに最適そうな奴が二人いたから、それだけ」




吾妻は、こいつとならいい友達になれる。そんな気がした。

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