ズッ友
親父は毎日のように俺とお袋を殴る奴だった。いや、殴らない日もあるんだが。新は突然思い改まったようにポテトチップスの咀嚼音混じりにそう言った。彼はポテトチップスを常備しているようで、暇さえあれば袋に手を伸ばしていた。
吾妻と新の二人は、学校帰りに、最寄りの、春になると桜名所となる事で無駄に知られている公園の中央部にある日陰のベンチに腰かけていた。吾妻が彼を誘ったのだった。足元には色素を失い茶色くなった落ち葉がいくつも散らばっている。目の前には鯨の噴気のような噴水が水柱を立てており、幼児たちがそれを浴びて歓声を上げてエキサイトしていた。そんな微笑ましい光景に似つかわしくない新の突然の激白に、吾妻は毒気にあてられた。そんな彼にお構いなしで新は指についたポテトチップスの塩を意地汚くしゃぶりとると、話を続けた。
「別にこれは不幸自慢じゃないぜ。親父は気性が激しい男でな。仕事から帰ってくる度に、挨拶代わりとばかりに俺やお袋をぶん殴ってきやがったんだ。まあ典型的なdv男だな。お袋は抵抗すれば殺されると思い込んでるらしく、ガンジーばりの無抵抗主義を貫いていやがった。どうやら殴られるのは自分に非があると思っているらしい、アホな女だぜ。俺はそんな両親を二人とも軽蔑していた」
吾妻は彼の話を話半分に聞きながら、自分が如何に恵まれた環境に育ってきたかを実感した…りは別にしなかった。彼の両親は超の付くほどの過保護で、ようするに子煩悩というやつだった。彼が小さい時、水槽の中のグッピーを、水替えのミスにより大量に死なせてしまった時も、両親は咎める事すらしなかった。なので彼は図にのって、新しく熱帯魚を買っても、わざと冷たい水などを入れて殺したり、トイレに流したりした。
彼に一切の悪意は無かった。玩具で遊んでいるのと同じ感覚だったのだ。それが却って質が悪いのだが。子供とは残酷なものである。
「俺も最初はその状況を享受していくしかないのかと思っていたよ、だが俺が中3の時、親父が帰ってくるといつものように目の前にいたお袋をぶん殴り始めたんだ。その時、俺は不意に部屋の隅にある、酒乱の親父が数日前にかっくらった焼酎の瓶が目に入った。もしこれでアイツの頭を殴りつけたらどうなるだろう?そう思ったよ。破壊衝動って奴かな」
破壊衝動。その名の通り、ストレスなどが原因となり、発作的に何かを破壊したくなる衝動のことだ。人間、誰でも大なり小なり持ち合わせているものだろうが、困った事に、それを抑制できる人間と出来ない人間がこの世にはいるのだ。で、何が言いたいのかというと、新は後者だったという訳だ。
「気が付くと俺は、お袋を殴る事に全神経を注いでる親父の後頭部に瓶を叩きつけていたよ。映画みたいに瓶の方が割れると思っていたが、実際は違った。瓶っつーのは、人間の頭蓋骨より硬いんだな。そうやすやすと割れはしないっつーのを学習したよ。親父はぶっ倒れて頭から血溜りを作ったよ。お袋は半狂乱になって俺を非難した。だから俺はお袋もぶん殴った。で、床でのびてる両親を見ながら俺は…」
新はくくく、と笑うと言った。些か、気恥ずかしそうだった。
「いつの間にかテントを張っていたよ」
「そいつは傑作だっ」
二人は腹をおさえて人目も憚らずひーひー笑い転げた。吾妻は新が笑っているのを見るのは初めてだった。何故か得した気分になった。近くにいた親子連れが彼らを白眼視して去っていった。どうやら会話の内容も筒抜けだったらしい。母親の目がそれを雄弁に物語っていた。あれは完全に蔑視だった。新は息を切らしながら、話を続けた。
「それ以来、親父は気が小さくなって、俺に何も言って来なくなった。というより、立場が逆転したんだ。俺はアイツが視界に映るたびに蹴りをかましてやった。それに飽きた時はお袋の事もぶん殴った。スカッとしたよ。その度におっ勃てたもんさ。」
新は尚も語り続けた。吾妻は夢中で耳を傾けた。何でも、彼は人を痛めつけている時にしか、勃起しなくなってしまったらしい。吾妻は笑いを堪えるのに尽力した。
新は両親を痛めつけるだけでは飽き足らず、街を練り歩き、何となく気にいらない顔の人物を殴りつける『ゲーム』を開始したらしい。時には返り討ちにされる時もあったが、新は血のにじむような独自の肉体強化を行い、めきめきと力をつけていった。相手を完膚なきまでに叩きのめした時、新は無上の喜びと快感を感じ、男根が限界まで屹立するらしかった。とんでもない性的指向である。相手からしたら性欲のはけ口のために殴られるのだからたまったものではない。
二人はそのまま、空が網戸を張ったように暗くなるまで、俗悪な話題で盛り上がった。笑い転げて吾妻が疲れていると、新がボソッと呟いた。
「殴って悪かったな」
「過ぎた事だ」
吾妻は白い歯を見せて笑った。かくして二人はズッ友となった。美談である。
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